
汚いものや醜いものすらも"美"に変容させてしまうのが「芸術」と呼ばれる成熟した大人の世界
今回は、戦後「アートを商業ビジネス化する事を好むアメリカ」の影響を色濃く受け過ぎて、
この日本では、あまり深く理解される事がなくなってしまった「芸術」というものに付いて、私なりの見解をお伝えしています。
商業ビジネス化された世界というものは"夢を売る事をビジネスにする世界"故に、「お金を払ってくれる存在に喜ばれる世界を生み出す=他者主体」で以って、ものを生み出すといった傾向が根強くあります。
一方、本物の芸術家というものは、そういった打算や媚びというものを一切持ちません。
何故なら彼らは何にも囚われる事無く、自由に「自分のインスピレーションからものを生み出す=自分主体」で以って、その人のオリジナルな創造世界を生み出す存在だからです。
一つ確実に言える事は「楽しさや美しさのみを追及するエンターテインメントの世界は、全てを内包する芸術に含まれますが、その逆はない」という事でしょうか。
ですので、宇宙的な視野で観ると、非常に奇異な「一部の者達がこの地球を支配する為に生み出された金融システム」というものがベースとなってしまっている、この病んだ社会生活の中で、
本物の芸術家気質を持った存在が、否応なくエンターテインメントの世界=他者主体として生きなければならないコンディションというものが、必然的に生まれて来てしまうという、
彼らに取ってはそうした環境は、非常に窮屈で残酷な世界でもあるという事であり、繊細な感性を持った者ほど、正に生き地獄の様に感じてしまう、非常に空しさや孤独を感じてしまう世界でもあるという事でしょうか。
これは「実際に芸術家の道をプロフェッショナルとして歩んでいる者しか分からない感覚」かもと思いつつ、
今回私は敢えて「真の芸術家が人知れず抱える苦悩と孤独感」というものを皆様にお伝えしてみました。