見出し画像

いつもと違うパターンの風邪を引きながら迎えた「この年末年始に私が思う事」


今回は、今までに経験した事の無いパターンの年末年始を過ごしている私が色々な情報を拝見し、改めて感じているままをお届けしています。

ちなみにこれは私事になりますが、昨年の夏と秋に、立て続けに九州に住む二人の伯母 (満102歳と98歳) が亡くなった事は、以前記事でもお伝えしておりましたが、

実は年末に私は珍しく風邪を引いてしまい (でも最初はさほど辛くなかったので、年末の大掃除がいつもの様に無事終えられた事は、私的にはとても良かったのですが)、

徐々に「これから熱が出るか出ないか」という様な感覚になっていた大晦日に、従兄から「秋に亡くなった母と同い年であった父(※私に取っては父の実兄である伯父)が、今日急に亡くなった」という事を電話で知らされたという事がありました。

二人の伯母の時は、それぞれお葬式に参加する事が出来た私でしたが、さすがに今回だけはその様な自分のコンディションと、時期が時期だけに飛行機も新幹線も何処も予約満席という事が重なり、行く事を断念せざるを得なくなってしまいました。

そして良くも悪くも「こういう流れにも、何か意味があるのだろうな」という事を、今回私は素直に思いました。

そしてこういう事は、個人的なものだけでなく、きっと「人類である私達人間にも同じ事が言えるのかもしれない」という事も思ったり致しました。

とにかくキナ臭い事がずっと続いている、今のこの奇妙奇天烈な「地球という星の禊」というものは、これからが本番なのではないかという事を私は常に覚悟しつつ、

それと同時に私がいつも思う事は、今後地球がどうなろうとも、常に"自分に出来る事"というのは「与えられた環境の中で、今日一日をどう過ごすか」しか無いという事でしょうか。

無知では駄目だと思いますし、私達人類に巧妙に仕組まれている無意識な洗脳にも気付く必要がある為、色々な情報にはアンテナを張りつつ、

何かから逃げる様に「お花畑に夢を見る」という様な事にならぬ様、支配層達と私達人類の、それぞれの「因果の法則から生じる因果応報」というものを含めた"或る種の覚悟"を持ちながらも、

常に冷静さを保つ事=誰にも予期する事の出来ない死という自然の摂理を自分が迎える瞬間まで、心の健康を保つ事の大事さを思います。

そしてやっぱり究極は、結局「起きてから考える」という事しか私達は出来ないのではないかという事を、今日もシビアにクールに思う私としましては、

賢く色々な事を知りつつも、それに拘らず縛られず、又お花畑という非現実的なものに逃げ込む事無く「常に現実的に実直に生きる中に身を置きながら、明るく楽しく過ごした方が賢明だな」と、

そんな事を改めて自分に思った「いつもとは何かが違う年末年始」を現在過ごし中の私なのでございます。


いいなと思ったら応援しよう!