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夢を持つこと

私はかつて夢を持っていた。しかし、今は夢を持っていない。

私のかつての夢は自分の研究室を持つことだった。私は理系であり、当時は大学で自分の研究室を持ちたいと思っていた。研究室では好きなことができる。好きな時間に研究室に行って、何時まででもそこにいられる。興味の赴くままにそこで探究できる。仲間もいる。ご飯を食べに行ったり、たわいもない話もできる。発表の場もあって、ああだこうだと意見をまじ合わせられる。最初は右も左もわからなかったが、いつの間にか詳しくなっている。まわりも成長している。中には研究室に全く来ない人何かもいるが、そういった人は違った風を連れてくるから好きだ。1年経つごとに、その雰囲気は変わる。人も変わる。変わらないけれども変わるその環境が好きだった。

そのうち、夢を目標として叶えていくようになった。研究室をつくるべく、その形に近づくためにあれこれやった。結果はついてくる。しかし、どこか焦る気持ちばかりが募る。あんなにワクワクしていたのに、その形は影を潜めた。周囲と競争していた。常に全体の中で自分はどの程度のところにいるのか意識した。特別となるべく、道を企てた。

夢を持つと毎日が楽しい。イキイキとする。私の場合、夢を叶えようとした。しかし、叶えようとした結果、どこまでやっても満たされないようになった。周囲を伺った。自分はこのままではいけないと思った。なにか特別なことをできるようにと試行錯誤した。その結果、時間に、人に、お金に追われた。疲れた。やる気がなくなっていった。

かつて抱いでいた夢への気持ちには、こういった形でなければならない、こうするのが良いという考えはなかった。しかし、夢を追い求める過程で、執着が出た。合理的に物事を進めようとし、結果ばかりにこだわった。無理にでも進めた。無理に進めた結果、身体に体調不良が出るようになった。

私は今は夢を持っていない。正しくは、目標を持っていない。夢は私にとっては叶わなくても良いものだ。目標は達成するものだ。成し遂げるものだ。成し遂げるといったものを持っていない。結果的に当初思い描いていたものと近い形となる場合はある。しかし、強い意思を持ってその形に近づけたのではない。日々、気の赴くままに取り組んでいたら、その形となっただけである。無理に進めていない。時間もかけていない。なにか新しいスキルを得ているというものでもない。結果的についたかもしれないが、意識してそれを習得しようとはしていない。

叶わなくてもいい想いを、私はたくさん持っている。自分がご機嫌になるイメージや好きなことがたくさんある。それに触れる、関わるだけで満たされる。たくさんあるため、なにか1つが欠けても問題はない。心は満たされたままである。


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