本当にこのまま続けていいのか?
本当にこのまま続けていいのか。漠然とそう考えたことはないだろうか。勉強でも、この単語帳を覚えていくのでいいのだろうか。大学でも、このまま授業とアルバイトの連続の日々でいいのだろうか。仕事先でも、どんな仕事かわかってきたが、今の仕事のままでいいのだろうか。子育てをしていても、来る日も来る日も家事の連続で時間がなくて、本当にこのままでいいのだろうか。作っていたけど、ネタが切れた。何も発想できない。本当にこのまま続けていいのかと悩む。これには2つの状態がある。仮面をつけている状態と仮面をつけていない状態だ。これらについて話していく。
仮面をつけている状態
仮面をつけている状態と仮面をつけていない状態である。仮面をつけた人は周囲にこたえてきたので、こたえてもこたえても満たされなかったので、本当にこのまま続けていいのだろうか?と思う。その根っこには不安、自分を信じられない気持ちがある。
例えば、わんぱくな子、愉快な子として育ってきた場合がある。周囲から注目を集めるのが得意で、自分にこと、周囲のことを把握している。そのため、人の期待にこたえるのも上手である。周囲はいいねという。笑顔になる。いつしか、それで自分の気持ちにはこたえなくなった。周囲にはなんてエネルギッシュで、気配り上手で、優しい人なんだと思われる。しかし、本人は周りにこたえてきた。疲れている時でも人に気を使ってきた。ちょっと疲れるから休むね、とできなかった。
そのような人が本当にこのまま続けていいのかと思うのは、自分の気持ちにこたえてこなかったからだ。ちょっとこうしていたいな、という気持ちを抑えつけてきたからだ。それが、普段取り組んでいる仕事、勉強、育児などでふとした瞬間に思う。そうして思い続けているうちに、疲れる。やる気がなくなる。無気力になる。弱っていく。
仮面をつけてない状態
仮面をつけていない人、つまりは自分は大丈夫だ。と不安を感じていない場合でもこの感覚となる。この感覚は誰にでもある。誰でもそう思う。好きなことに取り組んでいて、一見満たされている人もそう思う。仮面をつけていない人ー満たされている人ー執着のない人ー囚われがない人ー無頓着な人もこのまま続けていいのか?と思う。
仮面をつけてない人は、自分のやりたいことをやっている。やりたいことは、自分がやりたいからといって感情だけでやっているわけではない。論理立てて考えて、目標に対して最も合理的なことだと思ってやっているのではない。ワクワクすることをやっている。エゴがない。こうしてやろうなどといった計算高い考えはない。多くの情報を頭の中に入れた中で、一旦寝るなどして情報のことを忘れる、気にかけなくなった後に、その目の前の自分の置かれている状況に対して、瞬間瞬間の身体が動くままに試す。取り組む。判断する。何度も言うが、そこにはこういった未来にしようといった具体的な目標はない。これが課題だから解決するためにと考えるわけではない。ただ、一瞬一瞬の身体が反応するがままに取り組む。集中する。判断する。
こういった形をとっていても、本当にこのまま続けていいのだろうかと立ち止まる。
仮面をつけてない人が、本当にこのまま続けていいのか?と思うのは、これまで取り組んできたものが、余白がなくなった時である。何か凝り固まってきた時である。または完全に近い状態になった時である。つまり、思考が感覚が自由でなくなってきた時である。そんな時は、これまで積み上げてきたものを白紙に戻すと良い。えいやと削ると良い。そして、最後にアクセントとして、ほんの少し足す。そうすると、取り組んできたものが、一つの形となる。仮面をつけてない人は、次の新しいことを始めるスタート地点に立つ。
ここで、画家のアンリ・マティス(Henri Matisse, 1869年12月31日 - 1954年11月3日)の話を例としてあげる。マティスの描いたピンクーヌード(1907年)は、あの構図となるまでに、何度も女性の体型を書き直している。のびのびと、どっしりした様子、おおらかな様子を表現するために、その形を試行錯誤している。目の前にあることを感じるがままに試行錯誤しているが、本当にこのままで良いのかと、何度も白紙に戻し、同じ対象を書き直している。
アンリ・マティス-ラージリクライニングヌード(ピンクヌード)、1935年
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