一番障壁が高いことは、やろうと思っていることをやること
私は30代リケジョで、人並みに研究開発をしてきたサラリーマンだ。会社では上にも下にも人がいて、現場をまわしたり、現場を離れて管理職っぽい政治的なことも多くなってきた。プライベートでは、油絵を習ったり、ヨガをやったり、セミナーの講師やYoutubeをやったりと精力的に活動してきたが、そんな私が思うことがある。
それは、一番障壁が高いことは、今やろうと思ってできていないことだ。
時間は限りがあるし、こうなったら良いなと憧れる世界を持つ人もいると思う。私は自分が気になることや、大縄跳びのように自分の機会が来たらえいやとその中に入って縄を飛んでみたりした。一通り回して思うことがある。それは、初めの一歩が一番大変であったと言うことだ。
油絵やヨガを習おうと、教室を検索するところであったり、その教室を覗きに行ったりすることは、大変であった。大学の頃は塾の講師をしていたので、人の成長を肌身で感じることが好きであったが、セミナー講師をやらないかと声をかけられて引き受けた時や、Youtubeに動画を初めて投稿する時が一番大変だった。
その世界に入ってしまえば、あとは流れがあるので、苦労や困難はあるが正直最初よりは大変ではない。すぐには芽が出ず、芽が出るまで試行錯誤することもそれなりに労力を要するが、最も大変だったことは、これまでやっていない未知の世界に入る、入るために行動することであった。もっと小さなことで言えば、ダイエットしようと、毎日ストレッチをすることかもしれない。健康を考え、食生活を帰るために野菜を多く取ることかもしれない。明日の試験のために、今後来る受験のために、英単語を覚えることかもしれない。
このちょっとした些細なことをやることが、一番障壁が高い。
理系で研究職につくことは、誰でもやりたいです!といってやれる世界ではない。その間口は限られているし、働ける人の人数も限られている。そんな限られた世界に行き着いた私でも、家に帰ってきてひと段落した時に、明日は出張だから、出張の準備をしないとなーと立つことが障壁が大きいと感じる。動いて仕舞えば、まぁ大したことはないし、誰にだってできることーと考えることができることであったとしてもである。
障壁が高くなるのは、自分がそんなにやりたくないと思っているのに、無理して、奮起して、自分を偽ってやる行動である。
例えば、本当は音楽に興味があるのに、いい大学に行かないと苦労するよ、いい大学に行った方が、将来の可能性が広がるよ、いい人脈を得られるよ、といった声が周囲から聞こえてきたとする。本人は音楽に興味がある。だけれども、そのほうが良いのかもしれないと不安から偽って無理に頑張る。初めのうちは勢いでできるかもしれないが、継続するうちに興味が薄れていく。やろうと思ってもできない。眠気に襲われる。そうすると、再び勉強を始めることはものすごく障壁が高い。
些細なことができないから、自分はダメ人間と思う人がいるかもしれない。しかし、そうではない。障壁が高いその環境を作ったのも、周囲が仮面をつけていたからだ。周囲が何者になってもいいし、まぁなんとかなるよとどっしり構えていたらこうはならない。他人の不安を受けて、自分も不安になることもなかった。ちょっとした、いいねー、やってみれば良いじゃんと呑気にかまえている一言があるから、小さな最初の一歩を歩み始めることができるのだ。
自分を根拠なく信じれず、不安を抱いたまま選択し続けると、ちょっとしたことができなくなる。子供のような人は、こういったことがない。真っ直ぐ自分を信じていて、何事もチャレンジし、失敗したら、失敗しちゃったと笑える。むしろ失敗を失敗と思わない。楽しむ。
やろうと思っていることをやれなくなった時は、ゆっくりと身体を休める必要がある。そのちょっとしたことがめんどくさい、できないのは、最近疲れが溜まっているからとか、休めていないからといったことが問題なのではない。大人になる過程で植えついた不安から着ている。
不安ー罪悪感ー劣等感ー自意識過剰になることを解決するには、人とかかわらず、ひとりになることが最善である。ひとりになり、頭や身体を空っぽにして、ただひたすら休めるのである。何か思考や過去のことを思い出しても、その事実を認識して手放していく。また、人と関わる時は満たされている人のそばにいると良い。執着がなく、あれこれ支配したり決めつけたりしてこない人。身体を休めることで、やる気が湧いてくる。そのやる気は、当時やりたかったことかもしれないし、今の自分がふと思いついたことかもしれない。その今の自分にできることが、やりたいと思っていることができて、時間もお金の心も満たされる世界に繋がっていく。