安心している人の畑を変えるきっかけ
転職しようかと悩んでいる人はいないだろうか。学校を変えようかやめようか悩んでいる人はいないだろうか。環境を変えることは不安な人にとっては一大イベントである。これまでの嫌なことやトラウマーこのまま頑張った方がいいのだろうかという自責の想い。今まで一生懸命やってきたのだから、このまま騙し騙しやった方がいいのかもしれない。こんな自分を受け入れてくれるところなんてないかもしれないし、そもそも新しい環境の門を叩くのが大変だ。時間がなかったり、時間はあるがやる気が起きなかったり。結局現状維持になってしまう。
安心している人は簡単に畑を変える。後先のことをあれこれ考えない。周囲にもあまり相談しない。ただ、無頓着な人には畑を変えようとしているんだと話すかもしれない。その無頓着な人はおそらく必ず”いいんじゃん?”と言ってくれる。根拠もなく応援している。あなたならまぁなんとかなるよと思っている。
安心している人はこれまでやってきたことがある。これまで過ごしきた場所がある。その生活をしてきた人たちに、他の畑に行こうと思うんだ、と話すと残念がったり、応援されたり、無責任だと言われたり様々だ。それでも安心している人は次の畑へと行く。そのきっかけは自分の畑に対する熱量がなくなった時だ。
これまで積み上げてきて、体系立っている、成果が出ている、人間関係もあるとしても、その関係とは全く異なる畑で生活を始める。時にはその畑を探す旅に出る。畑を見つけてタネを撒く。耕して水をあげる。その始めたての時は素人だ。そのへんの少しその分野に詳しい小学生の方が知識があるような状態くらい素人である。しかし、安心している人はそれでも構わない。自分が熱を出せる、夢中になれるのであれば、例え素人でもいい。素人ならではの強みを生かす。ビギナーズラックを呼び寄せる。
その業界のカラーに染まっていないからこそ、新鮮な風を呼び起こせてビギナーズラックを得る。しがらみがなく物事に取り組む。何事も始める時に抑えるポイントは同じである。よくその対象を観察するのである。それが音楽や絵などこれから自分が表現するものでも同じである。今からやろうとしているものを観察するのである。観察した結果の気づき、自分の強い想いを3つ程度にまとめる。これだけである。3つまとめるまでにエゴが入ってはいけない。自分の正直な気持ち、本音を並べるのである。ここには夢を形成するキーワードを揃えて、そこからブレないように取り組むのである。これが例え言語化できなくても、安心している人は自分の軸をよくわかっている。大切にしたいポイントがわかっている。こだわるポイントがわかっている。そこから逸脱しない。
安心している人が畑を変えた後のことについて述べてしまったが、安心している人が畑を変えるきっかけは鬱になった時だ。何かやり切った後は必ず鬱になる。ここで言う鬱は比喩である。やる気が出ない様、意欲がない様、疲れている様、出し切った様の比喩である。仮に何かを自分がやり切って鬱になっているのなら、それは畑を変えるサインだ。どんなに大きな功績を残そうと、ガラッと分野を変えていい。むしろこれまでと少し似たような畑を選択すると、これまでの成果に引っ張られるそのため、身体を使っていた人は頭を使い、頭を使っていた人は身体を使うくらい、全く自分がやってこなかったことがいい。
しかし、不安な人であるとやり切ることができない。それは自意識過剰、罪悪感、劣等感といった心が邪魔をして、何かに夢中になることができない。演じたり、目標に達成しようとしたり、効果を狙う自分が現れる。この場合は夢中になれる状態を作ることである。それは十分に休息することである。休息すれば意欲が湧いてくる。その上でなんとなくやってもいいかなという方向に流れていくことである。ここで注意したいのは、条件を求めないことだ。給与や社会的ステータスなど条件を求めないことだ。その辺に注意を払わないと、また大変な生活になると怯えるかもしれない。それでも勇気を持って、条件を求めないことだ。自分が素敵だな、元々好きだったなと思える方向に歩んでみることだ。
話は逸れるが、やりたいこと(理想がある方)と自分の得意なことが違う場合がある。つまり、不安な人が素敵だなと思える方向に進むと、理想を掲げる方向に進む場合がある。こうすると以前よりも大変な状態に巻き込まれる。そのため、自分が理想を掲げない、エゴがない、正直どうなってもいいかなと思えて夢中になれる方向に進むといい。するとやり切ることができる。安心している人の仲間入りがいいつの間にかできている。なお、安心している人は全てのことが自分には支配できないことだ、流れのあるものだと悟っているので、何をやってもいい状態となる。
なお、どんな分野であれ安心している人がつくった畑はわかる。そこには人が集まる。繁栄する。派生して様々な流派がつくられる。つまり真似をされる。どんなに真似をされても安心している人の畑にはかなわない。例え周囲の安心している人を真似した形がテクニックや技術ではそれを超えていたとしても、安心している人の畑は熱量が違う。感情に訴える何かがそこにはある。それは安心している人が観察した結果の3つのポイントを抑えているものであったりする。3つのポイントから説明することはできるが、結局のところそれには理由はいらない。子供のような人がやったことは魅力的である。人を惹きつける。安心している人がその畑を耕し終わって空っぽになると、次の畑へと移る。移った後でもファンはついてくる。その安心している人が好きだからである。