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かまってほしい人

かまってほしい人は初対面で親切である。とてもものごし柔らかく丁寧に接する。日頃から人とかかわることを好む。自分は満たされていると思っている。

そのようなかまってほしい人は何をしても長続きしない。好きなことがない状態である。何かやると決めてトライしてみても、元々好きではないので無理が生じる。高い目標をえがくが、現状とのギャップに悩む。いつまで経っても満足しない。周囲と常に比較する。周囲の真似をしたり周囲にこたえてばかりいるので、なんだか大変な状態になる。

かまってほしい人は人からかまってもらうとご機嫌になる。しかし、人によってはかまってほしい人に対して時間が割けられない時がある。別に嫌いとか好きではないのだが、ほかに優先順位の高いことがあってそちらに集中する。かまってほしい人にエネルギーを割かない。そのため、あなたにかまえないという事実を伝える。

するとかまってほしい人は怒る。どうしてわざわざ構えないと言うんだと怒る。期待と異なることをされて憤慨する。人と言葉のキャッチボールをしろと要求する。しかし、周囲には他にやりたいことがあったりするためそれは叶わない。かまってほしい人は、事実に対して相手は自分を傷つけてきたと思う。相手をサイコパスだと思う。なんて常識がないやつなんだと思う。相手がヤバいやつだと思う。実際にはそうではない。かまってほしい人が自分の感情に振り回されるだけである。かまってほしい人は自分の価値観を中心に話すので、周囲はだんだん自分が悪いのかもしれないとおもうようになる。試しにかまって欲しい人の要求にこたえてみるが、その主張はコロコロ変わるのでやるせない。

かまってほしい人は、周囲に好きなことは?と聞かれると、取り急ぎ普段やることをこたえる。漫画を読むこと、ネットを漁ること、動画を見ることなどである。どんなのが好きなの?と聞いても面白いところとこたえる。本人は自分がどんなところに気持ちが振れたり感動しているのか認知していない。

対して満たされている人は、好きなことは?と聞くと普段やっている好きなことをこたえる。どんなところが好きなの?と言うととても具体的に話せる。それは人によってはどこに感動しているのか共感できない場合はあるが、何に夢中になっているかは理解できる。例えばオセロであれば感情の駆け引きのようなところに至ること、常套手段をとりがちなところであえて突飛な手を打ってみること、もう巻き返しは無理だと思えた時に盤を狂わすこと、人によって楽しいと感じられるところは異なる。一つのことでも遊び方をあれこれ変えてじっくり楽しむ。周囲から見ればものすごく変わった人である。

かまってほしい人はそのような人には見向きもしない。成功してそうなひと、かまってくれる人に飛びつく。しかし、実際の世界で成功している人は上記のオセロをやる人のような特徴を有している。そのような人は周囲に対して事実を伝える。かまってほしい人は再び事実を勝手に解釈して傷つく。大変なことに巻き込まれる。本人は満たされていると思っているが、永遠に静寂が訪れることはない。

かまってほしい人はまずは自分の好きなこと、気になっていることが、どうして気になっているのか人に説明できるようになることである。自分のことを客観視することである。すると、物事から一歩引いたスタンスで物事を捉えることができ、人にかまってほしいと思う時間が短くなる。自分が気になっていることを静かに取り組むようになる。するといつのまにか満たされている人になっている。オセロをやっている人のようになっている。

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