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想いがすべて

私は想いがすべてだと思っている。こう考える経緯を働いている”サラリーマン時代”とフリーで自由気ままに過ごしている”人生の夏休み時代”とで比較していく。

サラリーマン時代

働いている時は何かと忙しかった。常に新しいことを要求されできることを増やしてく。そうして2年も経つ頃には自分の身の周りのことはほぼこなせるようになるため、私の場合は転職してきた。新しい環境ではそこでの仕事が割り当てられ目標がある。私は正社員であったが環境が変わるという意味では派遣社員と同じである。ある能力を持って短期間で成果を出すいわゆる実力だけはつくあり方を選択してきた。会社ではできる人である。なんでも卒なくこなせる。

ただし、環境により常識が変わるので、初めのうちはその職場環境の地雷を踏むことがあった。地雷と言っても、”お、この人なんか違うぞ”と周囲に思わせることである。少し価値観が違うと注意されるようになるといった形であろうか。一度注意されるとつっかかられることが多くなるため、そのうち私のスタンスは”物腰柔らかくなんでも率先して取り組み責任感のある人”となった。なんでも屋さん、便利屋さんを極めた形である。

そうして新しい環境に突っ込んでもすぐに柔軟できるようになった。例えるならばカメレオンである。軟体動物である。何色にでも変わり、柔軟なカラダをその風土や人に合わせる。生きていくための蘇生術である。私は不安な気持ちから、自分をどこでも活躍できる人へと導いた。0から1を生み出す人へとなっていった。

30代となりチームを取りまとめる人として周囲と関わることが多くなった。組織の長として取り組むようになった。現場から離れるようになった。これまでは自分が変わってきたが、今度は自分がどっしりと構えるようになった。これまでのようにコロコロ色を変えてては、チームの人々はたまったものではない。そのため、炎上しても周囲がパニックになってもブレないことに徹した。

私は人を取りまとめる方法は2つの方法があると思う。束縛と放任だ。束縛は人によって仕事を小分けにする。どこまでに終わらせるようにと期限を決めて管理する。放任はそこにいる人の判断に委ねる。それが時には目標に対して少しずれることであっても良しとする。

私は放任のやり方を選択した。一見、無責任にも聞こえるこの方法は、私は人を伸び伸びとしてその人の良さを最大限生かすことに繋がると思っている。人によっては何かを追求する。興味がコロコロと変わり色々なことをやる人もいる。休むのが好きで人と雑談ばかりしている人もいる。自由で大丈夫だよというメッセージを発信すると、人は次第に安心して自分が一番やりやすいことをするようになる。追求する人の強みは小さなミスを見つけたりすること、興味が変わる人は新た強い情報を取ってくること、雑談している人はチームの小さな変化に気づくことに強い。その特化したそれぞれの能力に課題や問題ごとにアプローチするだけでうまくいく。安心している人たちはこれまでは叩かれたり、ダメだと強制されることもなく、次第にイキイキしてくる。勝手に組織がまわっていく。リーダとしての私はメンバーを褒めることしかしていない。どっしり構えて”いいね”と応援する。

私はメンバーの一番のファンである。かつて不安だった私は安心していた。自分が困っても仲間がかゆいところに手を伸べてくれる。メンバーのイキイキとしている姿が私の生きがいであると感じていた。私の気持ちは確かに周囲に届いていた。サラリーマン時代の私の想いは実力がある人になりたいということと、周囲がイキイキあってほしいということであった。

人生の夏休み時代

そうして順風満帆であったが、私は休職した。かつての理想であった実力をつけたいという想いは叶えられ、流れに乗っていた。周囲とも良好な関係を築いて結果も出ていた時にである。理由は忙しく体調に不調をきたすようになったためだ。大きな目で見れば安心していたが、今を繋いでいたその瞬間では忙しかった。常に何かに追われていた。どっしりと構えていたものの、自分の焦りなどには蓋をしてきたのだ。周囲の状況と比較し、常に組織がうまくいくようにアンテナを張り巡らす。臨戦状態だった。気を抜いていなかった。そうして休職という名の人生の夏休みを選択しているのが今である。

サラリーマン時代は目標があった。自分はひとりの力でなんでもできるようになりたいと願った。不安を払拭しようと頑張った。結果、たいていことはできるようになった。リーダとして周囲を牽引し仲間もできた。正直会社の出世ルートに乗っていたと思う。私が始めた小さなプロジェクトという形であったものが、課から部へと形をづくる準備をし、関連会社を買収してより大規模にまわっていこうとしている時だった。そうして成果は出ても波に乗っていても、自分の気持ちにはこたえていなかった。

私は周囲のイキイキとする姿に生きがいを見出していたが、そのプロジェクトを大きくして今後も躍進していくことは私のやることではないと感じていた。0から1は作った。1から2、3にしていくことは、秀才の人の方が適している。再現性のある人の方が適している。私は0から1を生み出すことの方が得意だ。それはかつて私がそうなりたいと想ったためだ。私の初心なのだ。

幼い日の私は今思えば1から2、3を生み出す人も、0から1を生み出す人もどちらにも憧れを覚えていた。どちらにも憧れ、取り急ぎなんでも対応できるようにした結果、0から1を生み出せるようになっていた。これが同じ環境でコツコツと積み上げることを続けたらおそらくあり方は1から2、3を生み出す人になっていたとも思える。人生の夏休みである今は0から1を生み出す形を追求している。

サラリーマン時代は何か向かう方向性、目標などはなんとなく求められるところがあった。しかし、人生の夏休み時代は違う。お金もあり時間もある状態である。これまでは需要があり、それに対して応えるということをしてきた。今はそうではない。”なんでもしていい” ”なんでもできる”状態である。

その中で私はあえて目標を立てていない。自分をこのような人と決めつける形をとっていない。〇〇な課題を解決できる人になろう、〇〇を救おう、〇〇を促進しよう、などと取り急ぎ決めることはできるが、あえて目標を置いていない。どこかの記事でフリーでやっていく際に自分が何者か説明できないと相手にされないとあったが、それでもこのスタンスを取っている。

私はこれまで環境を定期的に変えてきて、”満たされている人”に出会ってきた。満たされている人は一見共存しないラベルやハッシュタグで形成されると思っている。例えば、#研究者、#ランナー、#ネイティブ、#父親、#気分屋、#冷静沈着、#レーサといった人である。研究職につきながらも、各地で開催されるマラソン大会では常に上位に入り、マラソン大会では招待を受けていた。日本語と英語が話せ、父親であった。そのような本人はいつもご機嫌で人に対してケラケラと話しながら雑談している一面もありながら、冷静に状況分析をすることができた。また、バイクでレースに出たりする一面もあった。職業は研究職であるが、その一言でおさまらない特徴を多く持っていた。他にも、#コンサルタント、#作曲家、#棋士、#ビオラ弾き、#小説家、#テニスプレイヤーという人もいた。コンサルタントとして会社の業績を上げる働きかけをしながらも、作曲をして売っていた。また、将棋も大変強くその腕前は棋士さながらであった。ビオラを弾きながら小説を書いていた。また、テニスを楽しむ一面を持っていた。満たされている人は子供のように無邪気に笑い、現状に満足していた。そしてこれまでのように自分の好きなことを気ままに始める。

これらの人を多趣味、なんでもできる人、ジェネラリストと思うかもしれない。しかし、満たされている人はこの形を狙ってなろうとしているのではない。目標もなく気の赴くままに取り組んだ結果、そのような形になっていた。それは別に多くの時間をかける必要もない。その形を理想に想い、何か能力を頑張って身につけようともしていない。試行錯誤した結果、自分なりに自分が楽しむと、結果的にそのような形になっていた。

私は日頃記事を書いている。それは私がこれまで会ってきた満たされた人について語っている。私は自分も満たされた人のようになりたいと思い、その様子を真似している。自分の日々の意欲に従ってみている。私はこれまでは”何者か”になりたいと想ってきた。今はそれを手放すことをしている。”何者か”にならず、自分の嗅覚のままに過ごしている。

私の人生の夏休み時代の想いは、自分のことを大丈夫だということだ。流れを愛し、今の状態は大きな状態のひとつと捉えている。私はこの想いが自分を形成することを知っている。

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