人生で最も困難なこと
私は大学で首席だったリケジョで、2回転職したサラリーマンだ。そんな私が人生で最も困難だと思うことについて語っていこうと思う。
それは、仮面から逃れることだ。
そもそも仮面とは何かと言えば、何かと不機嫌な人のことだ。もっと言えば、恩着せがましく、高圧的であったり、無関心、刹那的などの性質を持った、過去や未来に囚われている人だ。
私はこういった類の人に囲まれてきて、そういった人と距離を取ることに大変苦労した。なぜなら、私自身も仮面をつけており、誰かにこたえてしまうためだ。
話は変わるが、私の実家はペットを飼っている。うちのペットは、常に人がいる環境で育った。しかし、子供が自立して実家を出ると、ペットは留守番する時間が増えた。すると、ペットは人にべったりくっつくようになった。トイレに行こうと離席しようとするものなら、慌てて後をついてくる。これは、子供が実家を出る前は見られなかった光景で、ペットは常に孤独に対して不安を感じている。ペットに、これまで安心できる環境であったのに、不安を感じる環境が増えた、という避けがたい困難があった。
これと同じようなことが人でも起こる。幼少期は穏やかな生活であったかもしれないが、環境と共に不安を感じることが増える。例えば、習い事、勉強、部活。初めのうちは取り組むことが尊かったことも、周囲と比較して、自分がこのままでは良くないのかと焦り不安を感じる。
個人的には、都心で成長すると仮面をつける傾向にあると思う。それは大勢人がいる中で常に誰かと比較され、比較し、本人が自分はこれではいけない、もっと何かをできるようにならないとと不安になるのである。
人生で最も困難なことは仮面から逃れることだ。仮面に囲まれてどうしようもなくなっている時は、自身も仮面をつけている。一度、避けがたい困難を経験すると、身体が反射的に保身に入る。元の自分ではない自分。例えば、良い子を演じたり悪い子を演じたりする。完璧主義となることもある。これらは、劣等感や自己不信でこのような演じ方をする。自分のことを非難すれば、犠牲心で人に尽くすようになったり、決めつけるようになる。また、〇〇できなかったけど、〇〇すればいいと苦痛を軽減する形で無理に奮起する場合もある。自意識過剰になる場合もある。うわべを飾ったり、妬み深くなって虚勢をはったりする。また、何事も回避的で挑戦せず、無気力となったりする。関心は自分だけとなり、被害妄想を膨らませることもある。このような性質の人が、仮面から逃れることには大変なことである。
不機嫌な人に囲まれた人ー仮面をつけた人に囲まれて育った人は、物事の受け取り方が、そうではない人とは全く違う。仮面をつけていない人は、人は人、自分は自分となる。もちろん、人のことに共感するが、迎合したり、攻撃することはない。仮面をつけている人は、常にありのままの自分ではいないため、疲弊して無気力となる。そうなるのも当然である。むしろ、それまでの環境から身を守るためには、それは最善の対策で、自然な行動である。
仮面を外す最も効果的な方法は、ひとりになることだ。誰かに何かを見せることなく、ただひとりで過ごす。無頓着な人ー仮面をつけていない人と過ごすのはいいが、そうでない人と関わる時間は極力避けた方がいい。元の仮面をつけた、不安や罪悪感でいっぱいの状態に戻るからだ。
何事をするにしても、実は今の状態でいい。これができない、あれができない、〇〇の条件を満たせていないから、論点が破綻するなどあれこれあるかもしれない。しかし、それは遠く彼方の現実のこととイメージできても、はるか彼方のことを話ている。満たされることは、今の状態でできる。仮面を外すようにすることは、今の状態でできる。ひとりになって、充分に休息すると、思いがけなかった方向に人生が進み、満たされた生活ができるようになる。充分に休息するときは、何かやる気が湧いてくるまでゆっくりと休むと良い。そして、休んでいるときは頭と身体を空っぽにすると良い。そうすると、何かこれまでのことを肯定的に捉えたり、今後のことで安心しようと根拠立て安心するでもなく、自分はこのままで大丈夫と思えるようになる。瞑想やマインドフルネスが頭と身体を空っぽにする手段の一つとしてある。
私は、仮面から逃れるために自分ではない自分になろうとした。多くのスキルを身につけ、問題解決ができるようになった。しかし、どんなに知識や技術を手に入れても、仮面から逃れることはできなかった。むしろ、何もしないこと、身体を充分に休めて、何かやりたいと意欲が湧いてくるのを待ち、それに従うことで、やっとこさ仮面から逃れることができた。
転職を2回して色々な会社を見てきたが、どの環境でも仮面をつけた人は多い。高学歴であったりすれば、ほぼみんな仮面をつけている。そして、そういった人の仮面が巧妙で、一見すると大変満たされているようにも側から見れば思う。しかし、当の本人たちは乾き、心がワクワクしない、無邪気にならない、エゴばかりの世界で生きている。