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安心している人と不安な人の捉え方の違い

絵を描くとき、大抵の人は先入観がある。例えば子供が人を描くにあたっても、円や三角を組み合わせた形で描く。これは様々なものを省略している。抽象的にしている。頭を円で表す、体を三角で表す。この作業は実は高度な脳の使い方である。具体的なものを抽象的にする、情報を削り落とすということをしている。この作業は誰しもができるわけではない。

絵において先入観がないとは、ネガスペースを追うようなことである。物と物の境界線のスペースを追うことである。先入観、ネガスペースの関する詳しいことはこちらの記事に書いている。

https://note.com/e8ecef/n/n73401e605329


それでは、思考において先入観がない状態とはどのような状態か。それは情報、単語が集まっているが、特に意味付けをしていない状態だ。美しい、汚い、良い、悪い、心地よいなどの主観を入れない。ただ、情報だけが連なる世界だ。先入観がないとは、事実がのみが存在する世界のことだ。

安心している人は、ただ情報だけが連なる世界に生きている。自分の中で持っている情報や、今現在、目や耳、肌などから得られる情報に対して、感情で処理しない。ただ事実として捉える。安心している人は主観を入れて解釈しない

不安な人は得られる情報に対して、良い、悪いなど意味付けをする。感情が衝動として押し寄せる。自分の中で持っている情報に甘えがある。期待がある。失望がある。それらが入ってくる情報に対して作用し、感情となって処理される。物事を捉えることとなる。

安心している人は事実を事実として捉える。そのため、情報は丸め込まれることはない。簡略化されることがない。省略されることはない。多くの情報がそのまま入ってきて、フレキシブルに観点を変えて物事を見ることができる

不安な人は勝手に解釈する。情報を簡略化し、丸め込む。抽象的にする。例えば絵で言えば人を円と三角を組み合わせた形で描くように、勝手に情報を削ぎ落とす。不安な人の中には色眼鏡で、つまり勝手に自分が捉えやすいようにした情報しか得られない。それは受け取った時点で、事実とは異なる形となっており、そこからどんなに考えても、自分の中に降り積もった甘えによって解釈される。

この解釈の違いは、物事を何度も反復して練習する時でも気づきの多さを変える。安心している人は何度も反復すると、ただ情報が増える。その増えた情報を後から自分で切り口を変えて考えるので、視野が広い。様々な考え方ができる。引き出しが多い。不安な人は反復しても気づきがない。そもそも自分のやりやすい形で取り組むため、情報が削ぎ落とされる。そのため、何度反復しても、同じような気づきしかない。認識は広くならない。考える以前に、情報の受け取り方で安心している人とは差がある。

不安な人が安心している人と比べて、情報の受け取る量が少ないのは、そのままでいいとされなかったためだ。常に周囲からYESかNOかでしか返答できないような要求をされたためだ。情報に対してすでに意味を含んだまま自分に向かってきた。対して、安心している人は周囲に要求されなかった。甘えることができた。のびのびと世界を受け取り、それを自由に捉えることができた。不安な人は、情報が命令だった。要求だった。向かってくる情報にすでに価値観が入っていた。自分から発する情報も同様である。自分から周囲へと発した情報を無視された。スルーされた。その誰にも受け取られない、キャッチボールの成り立たない状態は、NOであった。拒絶、回避であった。甘えることができなかった。

不安な人と安心している人ではそもそもの世界から得る情報が異なる。捉え方が異なる。不安な人がどんなに勉強を努力しても、できることを増やしても、考えても、その行き着く先は執着である。囚われである。依存である。

不安な人はまず安心している人へと変わることだ。大きく深呼吸して頭を空っぽにすること。ゆっくり休むことだ。休むことで、寝ることで身体は回復する。不安な人がそれまで抱いてきた甘えを緩めることができる。どんなに人から話を聞いたり、本に習っても無駄である。本を習ってもそれはある他の人の捉えたことだ。自分の考えとは異なる。

例えば、多くの点が集まっているとしよう。それを気持ち悪いと感じるか、心地よいと感じるかは、その人次第である。不安な人はこれまでの経験からあれこれ意味づけをする。自分の持っている類似した情報に紐づいている意味をその似たようなことにも当てはめる。安心している人は、情報を得た後にどっちにでも解釈することができる。どちらの感じ方も理解できるようになる。

事実に対して自分で考えること。自分がどう思うかを考えていくこと。これは安心している人の在り方である。安心している人は問題を”どうでもいい”と思わない。そのままにしない。放置しない。対して、不安な人は”どうでもいい”と捉える。問題を抽象的なままにする。発散させたままにする。それがさも人生かのように。

問題を考えることは簡単なことではない。頭を悩ませる。難しい。一度立ち止まる必要がある。立ち止まって捉えるからこそ、ユニークな自分になれるようになる。自分の人生を歩めるようになる。安心している人は何者にでもなれる

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