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上手くいかない状況から毎日が楽しくなるにはver1

新年が始まりましたが、休み期間では「ずっとダラダラしていた」という人や「仕事や学校が始まるのが憂鬱」という人がいるのではないでしょうか。今日はそのような「上手くいかない状況」から「毎日が楽しくなる」ためへの3つの鍵を話そうと思います。こちらの記事では1つ目の鍵について話しています。

3つの鍵は「囚われ」(過去:成長過程のこと。依存性、自立性、中庸性)、「気づき」(現在:休息と集中のこと。情報を集めること。行為と行動のこと)、「イメージ」(将来:集中のイメージのこと。逐一更新されるもの、無邪気な状態)です。それではこれらの鍵をどのように使って、無気力な状態から活気のある状態になっていくのでしょうか。

初めの「囚われ」は脳が偏った思考をしている状態のことです。そのため「毎日が楽しくなる」ための方法ではありません。あくまでも置かれている状況であり、「囚われ」という鍵を使えば「毎日が楽しくなる」というわけではありません。しかしこの鍵の「形」を知っていると、次の鍵である「気づき」という「毎日が楽しくなる」手段につながります。よりスムーズに何だか上手くいく状態に自分を変えていけることができるのです。

「囚われ」とは誰しもが持つものです。「あの人何だか無理していないな、何だか楽しそうだな、周りとも上手くいっているな」と感じる人は、大抵「囚われ」をなくした状態にいます。それではこの「囚われ」の実態とは何なのでしょうか。

「囚われ」は子供から大人へ成長する上で持つものです。囚われは大きく3つに分かれ「依存性」、「自立性」、「中庸性」です。人によっては3つ全ての囚われを持つという人もいますし、「依存性」の囚われしか持たないという人もいます。ただ、多くは「依存性」の囚われを持っていれば、その中に「自立性」の囚われが顔を出し、「自立性」の囚われの中には「中庸性」の囚われが顔を出します。他にも「自立性」の囚われを持っていれば、その中には「依存性」の囚われが出てきます。最後に「中庸性」の囚われだけであれば、それだけの囚われという形となります。それではなぜ、囚われは”重箱”のような仕組みになっているのでしょうか?

囚われが重箱のような仕組みであるのは、子供から大人になっていく過程にヒントがあります。子供から大人になる過程が3つに分かれるのです。それは「依存する時期」「自立する時期」「バランスを取る時期」に分かれるためです。

初めの「依存する時期」は「自分の身は危険に晒されている」と無意識のうちに感じている時期です。言い換えれば子供がお母さんのお腹から生まれてから、あれこれ何かしてもらう時期のことです。あれこれ何かしてもらうというのは、例えば周りの人にミルクを飲ませてもらったり、着替えさせてもらったり、お風呂に入れてもらうことを指します。赤ちゃんは自分からミルクを用意したり、着替えたり、お風呂に入ったりできません。周りの人にやってもらうからこそ、生きて行けるのです。しかし、状況によってはそれが叶わない場合があります。周りの人に余裕がない場合や無視された時、気づかれなかった場合などです。すると赤ちゃんは自分の願いが叶わなず、自分は危機的な状況に置かれていると感じます。そうした感覚を強めると「依存性」を持った脳の状態となっていくのです。「自分は大丈夫ではない」という感覚です。言い換えるならば「自分の身は危険に晒されている」と感じる感覚です。この脳の状態には周りの人との比較はありません。ただ本能的に「自分の状況が命に関わる」と感じている脳の状態です。この感覚があるまま大人になるとあらゆる手段で「自分の状態は危険だ」と感じないように対応します。完璧主義になって様々なことを理想的に行おうとしたり、誰かの意見に従う、つまり自分の意見や気持ちには蓋をする事勿れ主義となって自分を守ろうとします。この自分を守ろうとする行動は「本能的」とも言えるので、大人になってこの囚われを持つ人は、自分の生きづらさの原因が全く分からず、頑張った果てに無気力になることもあります。

「自分は大丈夫だ」という感覚を得ようと得なかろうと、子供はどんどん成長していきます。例えば歩き回れるようになったり、言葉を話し始めます。すると「自立する時期」となります。「自立する時期」は「自分から行動を取って結果を予想する」時期です。初めのうちは興味から触れたり接したりということをします。例えば花瓶に触れたりすることです。しかし周りの人は花瓶に触れると割れて危ないと言葉や行動で子供に示したりします。すると次第に花瓶を触ると周囲から何か言われるという予想を持ちます。この時期の特徴は期待や予想を持つ点です。初めのうちは行動した結果どうなるか予想せず、興味で動いていたところから、次第にどうなるか予想できるようになっていくのです。しかし自分の予想通りにならないこともあります。例えば、遊ぼうと友達に行ったけど、断られたりする場合です。このようなことを経験する中で「自分の思い通りにいくわけではない」と受け入れて折り合いをつけていくのですが、受け入れられないと、わざと自分の思い通りに事が成り立つようにコントロールを始めます。例えば困っている人の助けになり、相手の要求を叶えることで、自分を成り立たせようとします。他にも自分は周りとは全く違うんだと意識づけることで自分の思い通りにいかないことによるしんどさを回避しようとします。この自分の感じ方によって振る舞いを決める様は「感情的」とも言えるので、大人になってこの囚われを持つ人は、自分の気分によって行動や感じ方が大きく変わるので、どこか衝動的という傾向があります。

「自分の思い通りにいくわけではない」という感覚を得ようと得なかろうと、すると次の「バランスを取る時期」に入っていきます。「バランスを取る時期」は「物事の大きな流れに直面する」時期です。子供が大人になる中で、集団としても役割を与えられる機会があります。例えば学級委員を割り当てられたり、部活で団体戦に出るような場合です。例えば委員長に任命されてみんなをまとめる役を与えられたりしますが、皆んながハイテンションになって、なかなかまとめられない事が出てきたりします。またサッカー部などで試合に出たとしても、個人の頑張りではどうしようもできないところで、勝ち負けという結果が出たりします。そのような中で「社会には流れがある」と折り合いをつけるのですが、どうしても結果を出したいと思うと、大きな流れをコントロールしようという意識に変わります。例えば、上手くいくように慎重に”石橋を叩いて渡る”かのように行動したり、知識を多く身につけて、この先の予測ができないことに備えようとします。この事前準備をしたり計画したり知識の集める様は「論理的」とも言えるので、大人になってこの囚われを持つ人は、変わることを恐れて傍観者となったり、過度に楽しさなどの嗜好を求めるようになります。

これらの「依存する時期」「自立する時期」「バランスを取る時期」は脳が意識している範囲が異なります。「依存する時期」の意識している先は「自分自身」です。周りの状況がどうあれ「自分自身が大丈夫ではない」という感覚を持っています。次に「自立する時期」の意識の矛先は「周りの人」です。「依存する時期」の「自分自身が大丈夫ではない」という想いを人に投影しているに至ります。「依存する時期」よりも巧妙に自分の気持ちを隠しており、人をコントロールすることで自己防衛しているのです。そして最後が「バランスを取る時期」です。「バランスを取る時期」の意識先は「世の中の流れ」です。「自立する時期」の「自分の思い通りにしたい」という気持ちの規模が大きくなり、周りの人以外、組織上での結果や世の中での出来事に自分の想いを投影しています。

つまり、なぜ囚われが”重箱”のような仕組みになっているのかと言えば、脳が意識している範囲が異なっているため、意識の範囲が広いほど囚われが重箱のように隠されているのです。このように子供から大人になるに従い、囚われが重箱のように開けばまた次が出てくるという形になるわけなのですが、そうやったら毎日が楽しくなっていくのでしょうか。次回にまた続編を書いていきます。


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