見出し画像

世間体とより満たされること

5日ぶりに自分の気持ちを書いていこうと思います。心の底で人と親しみを持って交流したいと思う気持ちが引越しに出たり、幼少期の私に出ているという記録です。

引越しは衝動買いと同じ

このところ次の居住地区を探していました。今住んでいるところは以前勤めていた会社の最寄り駅です。そのため、私は地元を歩き回る時は帽子を必ずかぶるようになりました。帽子は好きでかぶっているのもありますが、「変装している」という感覚もあります。それは仮に前の職場の人に会っても気づかれたくないという意識があるためです。

別に会社を辞めたことに後めたさがあるわけではありません。ただ「会いたくない」と思うのです。以前の職場の人は好きでした。親しみを持って仲間だと思っていました。しかしそこには仕事という媒体がありました。仕事があるからこそ、なぜか自分の本音までをざっくばらんに話すというところには至りませんでした。

その前の会社の人とも同じでした。勤めている時、そこにいる人たちに親しみを感じていました。仲間だと思っていました。しかし自分のプライベートなことをベラベラ話すような仲にはなりませんでした。退職するとある人はプライベートなことを話す仲になりました。休日に一緒にゲームしたりもします。半年に1度程度ご飯も食べます。普通に仲がいいなと感じます。親しみを持てています。しかし仕事をしていた時はこの「忖度なく接する」形はなかったように思います。

引越しを検討したのは、辞めた会社の最寄りではない、新しい場所で、新しい人生を始めたいという想いがあったからでした。言い換えるならば「より満たされたい」となんとなく思うのが行動理由でした。仕事と疎遠になってから半年、自分の心にこたえるように生活してきました。これまでは戦略、計画、論理的に把握するといった形の人生を歩んできました。何か着手するものは理想から決めます。周りから認められそうなものを選びます。自分に利益があると思うものを選びます。「自分が心地よいと感じるか」という軸で判断してきませんでした。

一番わかりやすい例が大学で首席をとったことでしょう。勉強にコンプレックスがあったからこそ、周りよりも劣等感があったからこそ、目の前のことへの結果を出すことに執着していました。マイナスな欲求を解消しようとしていたのです。

次にわかりやすいのが、ビックネームな華やかな仕事をしてきたことでしょう。私のこれまでの仕事は人に話すと大抵「すごいね」と言われます。そうでないリアクションはあまり見たことありません。私自身そう思います。聞こえが良いというのでしょうか。勤めている会社の名前、仕事内容の華やかさ、それは自分自身、自分が認められた気がして、できる人になった気がして満足していましたし、生活も安定させることができました。自分の能力も高まりました。10代よりも多くのことができるようになったと思います。

しかし私はどんなに生活が豊かになろうと、人間関係に恵まれようと、収入があろうと「満足感」がなく生活していました。それは「人にどう思われるか」で生きてきたからです。会社では上の求めることを察して体現します。上司には本当に良く思われていました。部下が自分の願望を叶える形になっていたのですから。そんな人の気持ちを汲み取り、結果を出していく私自身の心は動いていませんでした。まるでロボットのようでした。動物園の動物のようでした。餌もあるし十分に寝られるけど、どこか空っぽでした。自分の意思で動けたらどんなに楽しいだろうと思ってきました。

そうして私は「忖度」のある環境をやめました。恵まれた環境から抜け出しました。会社員時代は、こんなにも動けるんだからフリーになったらどれだけ結果が出るんだろうと楽しみにしていました。フリーになったらやりたいことリストを持っていました。将来にワクワクしていました。

「忖度」のある環境をやめて半年、勤めていた当時に握りしめていた「やりたいことリスト」を達成している自分はいません。ただ朝のんびり起きて、気分で喫茶店に行ったり、買い物に行ったり、ゲームをしたり、物書きをして暮らしている私がいます。どれも中途半端で、正直「満足」には至っていません。そのような生活の中で、ここ数日は引越しを検討して不動産屋さんを巡っていました。

条件で考えれば、今住んでいるところはサイコーです。駅から徒歩1分で新幹線の駅からも乗り換えなしで家につけます。部屋も広く、日当たりも良好です。そして通行人から奇跡的に見られないところに家があり、プライバシーもしっかり確保されます。水回りも綺麗で申し分ないです。そんなところから、より都心に、新幹線の通る駅から5分か10分以内で徒歩3分以内の物件を探したわけなのですが、なかったです。あっても水回りの綺麗さを妥協しないといけないなど、全ての理想を叶えるところには至りませんでした。

私はこの度、引越しは衝動買いと同じだと思いました。今の住んでいるところは条件は良いものの、以前の会社の人に会うかもということで、ほんの少し意識をします。微々たるものですが精神的に微かな負担があります。私は今、夢中になれることがないので、毎日を気分で生きています。私は思うのです。これが夢中になれるものがあったら、夢に向けて頑張れる自分がいるのならば、会社の人のことなんで気にならないのだろうなと。引越しにも執着しなかったのだろうなと。

また会社から距離を置く形になってから、私は毎月新入社員の基本給くらいの消費をしてきました。これは私の感覚ではかなりお金を使っています。その内訳は月によっては異なりますが、服を買ったり、毎日外食したり、エステやジムに行く生活をしていたのでそのくらいの金額にいきました。

しかし会社と距離を置いてから、私の貯金は全く減っていないのです。つまり、会社勤めせずとも、毎月新入社員の基本給くらい収入があったのです。そうして、散財してはいるものの、貯金はまったく減らないという形で今日まで至ったわけなのです。

私は会社を辞めた時、おそらくガッツリ今の貯金から減るだろうと捉えていました。それでも、人生において自分の求めていることを追求する時期が会ってもいいかなと思って辞めました。そう見込んでいたのですが、実際には収入があって、別に焦る気持ちが出てくるという形になりませんでした。失ったら頑張れると見込んでいたのですが、そうはならなかったのです。

そういえば私はかつて、画家になりたいからと会社を辞めて、美大の予備校に通っている時期がありました。その時期は半年程度でお金が尽きてしまい再就職したのですが、今はその時のように生活を心配する必要がありません。承認欲求や生活安定の欲求、言い換えるならば人からの見られ方やお金を得たいということを求めている欲求をマイナスの欲求とするならば、今はプラスの欲求、自分は何を楽しいと感じるのか、何に熱意を感じるのかについて意識できる状態になったのです。

かつての私はマイナスの欲求に従って動いていました。一流の研究者になることを目標に日々自分なりに必死に努力しました。できることを着実に進めていきました。そんな自分が好きでしたし、結果も出たので楽しくて仕方なかったです。しかし、それらをしていても、私の心は心底満たされていると感じるには至りませんでした。「今日は〇〇をするぞ!」と意気込まないと着手できませんでした。完全に自制の中で生きていたのです。

その時にしか通用しない「できること」を増やしても、周りの意向に合わせて動いて「ありがとう」と言われても、私は満足しませんでした。この話はクドイですが、本当に満足しなかったのです。

そうして自分が楽しいと感じる、子供のように夢中になれることをやっていたら、いつの間にか満足も得られているような状態に狙いをつけて、エゴのない生活をしてみました。周りからの見られ方を気にしない生活、結果を出さなくてもいい生活、何かに追われることのない生活。私はこの生活をし続ければ、いつかは自分が子供のように夢中になって、フローに入っていて、誰も紡げない世界を紡げるようになるだろうと思っていました。現に世の中にはそういう人がいます。私もそれを真似ようとしてみたのです。

会社から離れて半年、子供のように何かに夢中になって継続してできている私は現れていません。ボードゲームや自分の気持ちについて書くことは、それに極めて近いことの一つだと思います。しかし、どこかハマりきっていません。正直、ボードゲームに関してはウチの旦那の方がハマっています。

そんな中で以前から考えていた引越しを検討したわけなのですが、条件で見れば今の家を越えるものは出てきませんでした。そのため、今の場所に住み続けるかとなるのですが、会社の人に会うかもと心理的に負担を感じているので、ジレンマに陥っています。そこで思うのです。「夢中になることがあれば、こんなことをジレンマに感じなかっただろう。」と。

「夢を追い求める過程が幸せ」という言葉があります。私の人生を見返しても、首席を取ろうと頑張っていた頃も、有名な企業で難易度の高い仕事をしようと頑張っていた頃も、会社に入って周りの求めることを体現しようとしていた頃も、それなりの充実感はありました。正直それはそれで満足しています。かつての自分が予想のつかない自分になれたと思います。一般的にはその状態を「幸せ」と呼ぶのかもしれません。

ただ、私には気づいていることがありました。どんな環境にも「子供のように無邪気な人」がいることを。「人に対して無頓着」で「自分のイメージしたことをどんどん体現できていける人」がいることを。現にそういった人はどんな環境でも目がキラキラしていました。置かれた環境で結果を出し、そこで伸び伸びと暮らしていました。

私もこの姿になりたいと思ったのです。この姿と私の違いは「囚われ」があるかでした。言い換えるならば「執着」や「理想」があるかでした。私は物事を「しなければならない」と捉えます。「べき」「せばらならない」など枠組みに当てはめて物事を判断します。対して「子供のような無邪気な人」はどんな窮屈な考え方をしません。バランスよく「そういう時もあるよね」と語りますが、物事を論理的に考えたり、周りと親しみのある関係を築くのも得意です。さらには「自発的」で囚われのある私とは異なり「受け身」にならないという特徴を持っていました。

半年以上、自分の心が求めるように生活しても、「子供のような無邪気な人」なようには正直なれていません。しかし「私が好きなもの」には気づき始めました。マッサージ、清潔な空間、美味しい食べ物、ふかふかのお布団を私は好みます。しかし、まだまだそれらには「受動的」な側面が多く、自分から動いて何か表現するといった「自発的」なものには至っていません。

まぁ、それでも良いかと思いつつも、現実的な「引越しどうしよう」「今日は何しよう」は解決していません。おそらく日本人の多くはこの現象に至るのではないでしょうか?生まれてから、一応何不自由なく与えられたり得られたりします。切実に生きていくことに困る、ことに直面する人はまだまだ少ないはずです。私の場合は中学、高校、大学くらいに「生きていく」ことが本当に困難になったからこそ、これまでは「生活の安定」を目指して必死に生きてきたのだと思います。そして思います。ようやく周りのような悩みになった、と。

「より満たされるために」にこれと言って正解はないと思います。その人の性質、育ってきた環境、今興味のあること、全て異なります。しかしそれでもなんとか「満たされたい」と思います。この気持ちを無視して生きることもできるかもしれませんが、私はとことん悩んでいたいと思うのです。

今の私を表現するならば「悩みはないけど悩んでいる」状態です。漠然と何をしたらいいんだろうと悩んでいます。そこでこれまでのように「お金を得るため」「生活を安定させたい」といった表面的な欲求を軸にするような状態でもありません。よく自己啓発系の本に出てきますが、「モテたい」、「痩せたい」という純粋な気持ちで動ける人もいるでしょう。しかし私の場合は「どうしてモテたいんだっけ?」「どうして痩せたいんだっけ?」となってしまいます。今の衝動的な気持ちだけで動けないのです。ですし、そのような欲求に従っても、以前のような周りからの見られ方、忖度のある世界、搾取される環境で悩む自分がいるのではないかと思うのです。

ここまで色々書きましたが、私は私自身を悲観的に捉えているわけではありません。完全にうまくいっているとも思っていませんが、まぁこんなもんかなと楽観視しています。なんとなく今のままでも「子供のような無邪気な人」になるのではないかと思っています。

そういえば最近、親しい人に「働かない方がいいかもしれないね」と言われました。私はこの言葉に心底救われました。心のどこかでまた働かないといけないのではないかと思っていたからです。また大変な状態に戻って、自分が機械のように感じるようになるのではないかと、傷つくことを恐れていたのです。

「働かない方がいいかもしれないね」と言われて楽になりました。それを受けて私は「無意識のうちに働かなければ」と思っていた自分に気づきました。どこかで働くことが美のように捉えていたのです。

思い返せば、実家に帰った時もこれに気づくような出来事がありました。親が「あなたには〇〇とか向いてるかもしれないね」と話すのです。また、引越しの話を家族に連絡したところ「子供ができたことのことを考慮して引越した方がいいよ」だったり「次を考えて引越した方がいいよ」などと、心配が故の言葉をもらっていました。私はこの言葉たちを正直負担に思っていました。「ほっといてほしい」これが私の気持ちです。まぁ引越しを検討した家で、なかなか良い物件が見つかったので、気持ちが高まって家族に連絡した私の自業自得とも言えるかもしれません。このような形で日常の何気ない会話にプレッシャーを感じていたりしたのでした。

「働かない方がいいかもしれないね」と言われたのには理由があります。働くと一つの目的のために忖度が発生したりします。以前の会社で勤めている時はそんなにプライベートでは親しくしていなかったけれど、会社を辞めたら親しくなったのもその状況だと思います。そんな状態あるの!?と驚く人もいるかもしれませんが、会社では微妙な出世競争や派閥などがあり、本当に人間関係や発言には気を使うのです。大きな組織になればなるほど尚更です。そんなことを気にせず好き勝手動く人もいますが、そういった人は大抵炎上します。「子供のような無邪気な人」も好き勝手だからこそ炎上することがあります。しかし「子供のような無邪気な人」はそれを気にしないのです。もはや「自分はそういうキャラだから」と割り切っている人が「子供のような無邪気な人」なのです。

私はそう割り切ることができませんでした。今でもできません。これは人からの見られ方を気にしているという側面もあるかもしれませんが、相手がどう想っているか瞬時に読み取れるからこそ、このような行動になるのかもしれません。以前の会社の仕事をしていた時はそこまでプライベートで仲良くしていなかったけれど、同じ会社でなくなると仲良くなった人も同様です。自分の発言で相手がどう思うかまでも考えますし、ちょっとしたニュアンスも気にします。相手によって言葉を使い分けますし、炎上とは無縁です。

こう書いていて思うのですが「子供のような無邪気な人」にも2種類いると思います。人は人、自分は自分、受け取り方は人次第だから深く考えても意味がないと割り切って、好き勝手言うタイプと、言葉によって受け手の心証が変わるから微妙なニュアンスの違いも使い分けるタイプです。前者のまま変わらない人もいますが、前者から経験を重ねて後者になる人も私は見たことがあります。後者の方が最終進化系という印象を受けます。好き勝手言うタイプでなくとも、微妙なニュアンスの違いも使い分けるタイプに至るパターンがあります。それは私や同じ会社でなくなると仲良くなった人と同様の「人の想いを瞬時に読み取れるタイプ」です。このタイプは無口です。人を観察するに徹します。子供があるタイミングから急に話せるようになるのと同じで、ある程度情報を蓄えるに徹している無口な期間があったかと思えば、急に「微妙なニュアンスの違いも使い分けるタイプ」に変わっているように思います。

あれこれ書きましたが、足りないモノを補おうとしていた昔の私、足りないモノはないけれどより満たされたい私、より満たされたいけれど心の底に夢中になれない何かを抱えている私がいることをここまでで表現してきました。これにタイトルをつけるならば「引越しは衝動買いと同じ」というところでした。それでは次になぜ「満たされているのに夢中になれないのか」私の幼少期から振り返ってみようと思います。

男の子のように育った

私は幼少期、男の子のように育ちました。お母さんからは「(私の名前)太郎」、「(私の名前)の助」と愛着を持って呼ばれていました。それは私が家族の中でもワンパクだったことを意味します。親しみを持って、女の子だけど「〜太郎」や「〜の助」と呼ばれていたのです。

私もこれを気に入っていました。特別視されているように感じたのです。そのため、私は小学校高学年では自分のことを「ボク」と呼んでいました。時には「ミー」と言ったりしていました。これはムーミンに出てくる赤い女の子の「ミー」に由来します。ユーモアがある人が「ミーは〜」と言ったりしますが、子供の頃の私はムーミン谷の「ミー」を意識して自分のことを「ミー」と呼んでいました。

私は3人兄弟です。上と下に歳の近い兄弟がいます。そんな私たち兄弟はジブリで育てられた子供でした。人によっては「ディズニーで育った」「ジャニーズで育った」など色々あるでしょう。うちの場合は「ジブリ」で育てられました。そのためある時の誕生部プレゼントは「ジブリの手帳」だったのですが、このプレゼントは今でも私の心に印象的に覚えています。

私は数あるジブリの手帳の中でも「ラピュタのロボット」が表紙になった手帳をもらいました。兄弟は「猫バス」と「魔女の宅急便のキキ」です。幼少期に私は自分だけ「ラピュタのロボット」で大変ショックを受けた想いがあります。自分もみんなみたいに「猫バス」や「魔女の宅急便のキキ」のようなのが良かったと思ったのです。そうして私はプレゼントをもらったにもかかわらず、泣きじゃくったことがあります。

この時親は動揺を隠していませんでした。私が急に泣き出したので、プレゼントをしたのに「悪いことをした」ような感覚になったでしょう。その親の困った顔を見て、私は「まぁラピュタのロボットさんも空飛んでかっこいいからやっぱりこれが好き」といった形のリアクションをした気がします。自分の心には蓋をして親が困らない方を選んだのです。今こうして思い返しても自分は「聞き分けの良い子」だったなと思います。

他にも私が「男の子のように」育った思い出があります。私が「サッカー」を始めたのです。私はサッカーを無理に始めました。家族でサッカーを見たりやったりもしないですから、何か特別な思い出もないけど、「男の子っぽいから」始めたのです。小学校の頃、授業が始まる前に「サッカークラブ」みたいなものが開催されていました。そこにはサッカーを習ったりする「サッカー好きな男の子」がたくさん集まってサッカーをしていました。私は底に混ざる決断をしたのです。

周りはサッカーを習っていたりもしましたし、私の存在は浮いていました。それは子供ながらに自分が浮いていることは自覚していました。自分自身サッカーに全然興味はなかったけど「ものすごく頑張って」やろうとしたのです。

結局、ルールを知らないことや周りと浮いていることなどが重なって長続きはしませんでした。この出来事を思い返すと、私はどこか「男の子のように」と意識していました。どちらかと言うと「強くなろう」としていたのです。どうして自分がこんな使命感を持ったのかは分かりませんが、昔から「自分が楽しいからやろう」ということをせずに生ききたのが私なのです。

確かに私は他の女の子のようにキラキラした鉛筆のキャップやかわいい洋服などに全く興味を抱きませんでした。そこはそうだと思います。だからと言って男の子として冗談を重ねて接するのが良かったのでしょうか。私が今思い返すに「自然が好きな女の子」だったような気がします。もっと言うならば「山ガール」です。都会的なキラキラしたことには興味ないけど、焚き火を囲んだり、野山を散策したり、生き物を捕まえたりは大好きだったわけです。

ここでふと思い出したことがあります。私は図書館でもアウトドアの雑誌を見るのが好きでした。キャンプ道具を見たり、そこに書いてあるカワセミのイラストを自分なりに真似して書いてみたりしていました。それとエジプトの象形文字などが好きでした。記号などに興味を持つ感じも論理脳なように思いますが、絵を書いているところは感覚脳です。こうした私はかなりユニークだったと思いますが、それを親はざっくりした切り口である「男の子」というジャンルで接するに至ったのでした。それはかなり私に歩み寄った形でしたが、実は歩み寄っていませんでした。私は心のどこかで負担を感じたのだと思います。

今だからこそ言語化できますが、当時は言語化できないので、それをサッカーを無理矢理やってみたりする行動で出たのでしょう。ラピュタの手帳をプレゼントされた時は、私は完全に「男の子」として捉えられた感覚がありました。私も「猫バス」や「魔女の宅急便のキキ」のような生き物がいいと思いました。親は「トトロの手帳」という選択肢もあったでしょうが、大道を嫌う私たち子供の心理を読んだ良いプレゼントだったと思います。求めすぎですが、私は親が自分のことをわかっているかをプレゼントで図っていたのは確かです。

そんな幼少期から年月が経ち、私は大人になりました。今の私は「満たされているのに夢中になれない」というところで悩んでいます。正直、自分の好きなことが分かりません。継続できません。はっきりと自覚できるのは小学校の頃は違いました。好きなことがありました。焚き火を囲んだり、野山を散策したり、生き物を捕まえたりは大好きだったのです。それが中学校、高校と競争世界に身を置かれることで、家庭環境がいっぱいいっぱいになるにつれてその感覚はなくなりました。当時の私はそのことを悟ったことがあります。「今時自分は何も感じず勉強をしているけれど、きっとこの状態を続けたら好きなことがわからなくなる。」その通りになったと思います。しかしその甲斐があって親も満足するし私自身も満足するところに至ったと思います。そして今「親も満足するし」と書きましたが、私はずっと親に期待されてきました。それを一心に受けてきたと思っています。

今の私と親の関係を言葉にするならば、良い方だと思います。お互いに干渉もなく互いに自立した生き物として認識しています。何か大きな期待があるわけではありません。親とは仲良いと思います。引越しを検討して、良い物件が見つかった時に「良い物件を見つけたんだけれども!」と報告するあたりがそうです。仲がいいが故に、それに対してアレコレ意見が来るのですが、それに疲れたり喜んだりする自分がいます。難しいですね。しかしまぁ、この感じで私は満足しています。

自分の心に蓋をした期間が長かったせいか、なかなか自分の「好き」の感覚が分かりません。昔はザリガニ釣りをしていても咎める大人はいませんでした。ただ今の私が子供も一緒にいないのに「ザリガニ釣り」をしたら「変な大人」でしょう。それにあの頃は家族がいて、共にはしゃいでいたから楽しかったところもあったと思います。私は人と交流して「好きなこと」をしてきたのでした。今は家にひとりでいて「人との交流」がないところに、一緒に何かして分かち合うことができないことに物足りなさを感じます。何かやる媒体はなんでもいいのです。仕事でもそうでした。仕事内容はなんでも良かったのです。そこにいる人と交流できれば私は満足でした。しかし相手に迎合したり、顔色を伺ったり、過度に攻撃される私は、私自身どこか問題があるのかもしれません。交流したいという欲求が故にそうなっているのかもしれません。しかし子供に「親しみ」を求めても「搾取される」だけでした。一番相手が喜ぶのは「忖度を読み取って結果を出すこと」でした。喜ぶからこそ、それをやるのですが、すると私の生活はどんどん大変になっていきました。世の中で「自分軸」とかいう言葉があるけれど「自分軸ってなんだ?」と感じる私が顔を出したりしたのでした。

「満たされているのに夢中になれない」のは孤独だからかもしれません。周りには人がいません。以前はジムやエステに通っていましたが、「一緒に楽しむ」という感じではないのでやめてしまいました。仲間がついて来るのは二の次だと思うので、まずは自分が夢中になれるものを見つける模索をしたいところです。そうしれば引越しをするか否かでも悩まないでしょう。今の自分に満足して、より満たされることになるでしょう。きっとこの先、もっと満たされるようになるというチョットしたワクワクを胸に、今日はここまでにしたいと思います。ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!