意識を向けていることは言葉に出る
日も影ってきた午後3時半、最近は雑談しているラジオを聞くことにハマっている中、今の感じ方や思いを書き綴っていこうと思います。
「人って日々考えていることが会話に出るんだな」
これが私の最近の所感です。昨日は前職の友達に会ってきました。今月末からアメリカに行くのでその壮行会です。アメリカに行く友達はかつては私と同じチームメンバーで仲間でした。立場や年齢も私よりも上なのですが、当時から上司や先輩と言うよりかは「仲間」や「友達」と私はその人を認識してきました。そのような親しみのある人に久しぶりに会ってきたのですが、会ってきた所感は「会社に染まった」でした。他にも前職の友達がその席にはいたのですが、アメリカに行く友達が振る話題としては仕事のことばかりです。「〇〇は何時間くらいやっていた?」「〇〇さんってどうしてる?」など同じ会社に勤めている仲間に仕事の情報を聞いているという形です。私はその話を側で聞いていて「本当に仕事しかしていないんだな」といった印象を受けました。
みんなで雑談する時には様々な話題を話ます。今回の壮行会では、私が普段オンラインゲームをするときに雑談する人も参加していました。勤めていた時はそこまで話せなかったのですが、勤めている時は美味しいものを食べに行ったり、ちょっとしたレクリエーションの時に一緒に演奏したりする仲でした。私が退職してからは何故か季節が変わるごとくらいに「最近どうよ?」と連絡するようになり、それがきっかけでオンラインゲームを一緒にするようになりました。会社が同じ時は距離が近くなるのもどうかなと思いそこまで親しくならないようにお互いに適切な距離を保っていたのですが、同じ会社ではなくなり、面倒ごとなどに巻き込まれない関係になると一緒に遊ぶようになったのです。その友達も「こんなに一緒に遊ぶようになるとは思ってなかった」と話ます。要するにお互いに無理をしていないのです。久しぶりに連絡するとあれこれ語り、良い関係だなと思います。おそらく金銭感覚や疲れたりする対象が同じことも仲良くしている要因でしょう。
ゲーム友達とは遊ぶ中で様々な話をします。最近ハマっている料理、悩んでいること、起こったイベントなどです。しかし壮行会を行ったアメリカに行く友達は会社のことしか話しませんでした。その様子から同じ会社にいても様々なことを話す人とそうはなく会社のことしか話さない人がいる様子を見て、この人は会社のことしか普段考えていないんだなと所感を抱くに至ったわけです。
一番びっくりしたのが、「会社の理念が大事だよね」とアメリカに行く友達が話だした時です。友達は聞きます。「会社の理念は?」私は「おそらく本質を極める、みたいな感じだったと思う」とこたえました。すると友達はスマホを手に取り検索を始めたのです。すると全然違う理念が出てきたのですが、会社の理念を言えない人はこれだから…と少し本人の中で判断した、ような態度を取ります。この一通りの様子に驚きました。
私が以前勤めていた会社は1代で会社を大きくした所だったので、会社の、つまりは会長の理念が大切にされる所がありました。アメリカに行く友達はその会社に新卒で入ったので、他の環境を知りません。その会社には独自のルールがあります。朝清掃をするところ、朝礼があるところ、社訓を読みあうところ…私は転職してその会社に入社したのですが、初めのうちは「なんてところに来たんだ」と思いました。もちろん折角入社したので、郷に入っては郷に従えと言いますか、その文化に馴染もうとしました。しかし結局は慣れないまま、違和感を感じたまま離職することとなりました。2年半努力しましたが「宗教っぽい」と感じるその文化に馴染むことはありませんでした。
久々に会った友達は会社のカラーにより強く染まっていました。会社を抜けて「壮行会」と言う名のカジュアルな場であったとしても、その色は抜けていませんでした。何よりもうその会社にはいない私に対して会社で大切にされているモノサシを向けてはかろうとした姿勢に驚いたのです。染まったなと感じたのです。
アメリカに行くということは会社の中でも期待されている人事であることを指します。だからこそアメリカに行く友達が、今会社のことに精力を上げている時期であることはわかります。だけれどもアメリカに行くのは仕事のことももちろんあるでしょうが、見聞を広める、様々な経験をする、人の器を大きくする、といった所に重きを置かれるのではないでしょうか。私は会社のことばかりに囚われている友達の姿に、それ以外のもっと様々なことを感じ取る勘所を持ってもいいのではないだろうかと思うに至ったわけです。
そういえば思い出したことがあります。私が退職したことを伝えるとアメリカに行く友達は「もったいない」と言いました。私は退職した経緯を話すと、友達は「その先の世界を見たいと思わなかったの?」と言います。つまり同じ土俵の中でもっと高みに登る選択肢もあったのではないかと言ったのです。
私は「正直もう先が見えちゃったから良いかなと思ってる」とこたえると「わからん」みたいな顔をしていました。そして続けます。「今は何をしているの?」私はこたえます。「日々気ままに過ごしているよ。ゲームやったり、本書いたり、好きなもの食べたり」すると友達は「今しかできないことをやらないの?たとえば日本1周したり」と話ます。
私も働いている時はそう考えていました。自由な時間を手に入れたら積極的に動いて見聞を広げよう、色々経験しようと。しかしいざそのような状況下に身をおくと違いました。もちろん特別なことをしようと動いた時もあります。だけれども最近の傾向を見ると「落ち着いている」方向に収束していっているのです。
ここで再び話が変わるのですが、最近旦那さんが転職サイトに登録しようと思うと話すようになりました。旦那さんは今、仕事で順風満帆です。それを示す出来事としては島の違う後輩からも先輩や上司からも「一緒に仕事がしたい」と言われているのです。旦那さんは周りから慕われ、あぁこれは出世するなぁという道を歩んでいます。
そんな旦那さんが転職サイトに登録することをしようと思うんだと語ったり、ひとりの時は新しいアプリや新しいネタを調べようと思うんだということを話すようになりました。旦那さんは昔から陰で今のトレンドを調べたり幅広く最新の情報を得ているところがありましたが、それを意識してやっている時期のようです。
嫁が無職でどこに行き着くかも分からないですが、旦那さんは自分がリスクとも捉えられることを気軽にやろうとしています。これは私たち夫婦に昔から当てはまることだなと思いつつ「考えていることが言葉や行動に出ているなぁ」と感じます。
最後に壮行会でゲーム友達に言われた言葉を書こうと思います。それは「よくそこまでやるよね」という言葉です。私は最後の会社を辞める直前、それは大変な仕事に携わりました。それで身も心の削ったわけですが、アメリカに行く友達とゲーム友達に私はその話を壮行会でしました。するとアメリカに行く友達からは「その先の世界を見たいと思わなかったの?」と言われ、ゲーム友達からは「よくそこまでやるよね」と言われたのでした。これらの言葉はよくその2人を表していると思います。
ゲーム友達は生活に重きを置くタイプです。アメリカに行く友達同様、そのゲーム友達も仕事で長いこと海外に滞在したことがあるのですが、その時も同様でした。渡航する前に何が心配かの話で「向こうは寒いからこっちで防寒具を買い揃えた」や「向こうに着くのは土曜日の朝になるようにした。月曜日から滞在先に行くにあたり、スーパーや道などを抑えておきたいから」と話していたのです。アメリカにいく友達はそんなことに重きは置いておらず、仕事するぞ〜といった形でした。この2人の言葉からも重視していることが雑談で出るなぁと思った次第なのです。
私は今何に興味があるのでしょうか。最近の私は人に恵まれています。明日も高校からの友達のお宅にお邪魔してきます。周りから親しまれ、そのことに私自身満足しています。どの友達も昔から変わらないのですが、少しずつ変わる様子に興味があるといった所です。今も自分のことに意識を向けたものを書き綴っているのではなく、周りの人に意識を向けています。
自分がこの先どの方向に流されていくかは分かりませんが、昔と比べて「ゆっくり生きている人を尊敬できるようになった」のは確かです。たとえば昔は大学を卒業して結婚して退職して専業主婦になる友達に対してどこか偏見を持っていました。そのような友達と話せば「良いじゃん〜穏やかな幸せな感じで」と話ます。しかし心ではその友達を羨ましいとはかけらも思っていません。自分はバリバリ仕事をしている自分が良いなと捉えていました。その友達を悪いとまでは思いませんが、自分の方が良いなと思っていたのです。
しかし最近は違います。自分がバリバリ働かなくなった、余裕のある生活を始めたことが大きいでしょうが、専業主婦になる友達に対して心から「良いね」と声をかける自分がいます。家族と笑い合うことがどんなに尊いことか、その瞬間が特別ではないことかを感じます。以前のようにバリバリ働いていることが勝ち組などのような捉え方をするような自分ではなくなりました。
私はこれまでダラダラするということに抵抗がありました。愚痴やネガティブなことを避ける所がありました。そうならないように必死でつくろう所がありました。しかし今ではそういうこともあるよねと受け入れるようになりました。体調がすぐれない時は無理に優れるようにしようと行動するのではなく、そのままゆっくり過ごすということをするようになったのです。これは私の中では大きな変化でした。こんな私の横にいる旦那さんは、最近マッサージで体調が良くなることを覚えました。景色を見て癒されることを覚えました。以前までは街に買い物に行ってお手洗いから出てくる私を待つときにスマホをいじって待っていた旦那さんが景色を見て待つようになりました。
少しずつですが何かが変わっています。この変化が何を引き起こすのかは今は分かりません。しかしサラリーマンの時にバリバリ働いて狙って何事も引き起こしてきた時とは違う何かがそこにあるのは確かです。狙いがなくもと、自分に目標がなくとも、自分が心の底で求めていることに、近づいていくことが何となく分かります。
この流れがどこに続くのか本当に分かりません。ですが今を楽しみたいと思います。明日は久々に友達に会うことが楽しみです。手土産にときめいたりするかな?とか想いを馳せているこの時間に癒されています。