辛い状況にしがみつく人
辛い状況にしがみつく人がいる。周囲も耐え抜いてるからと我慢する。これをしなくなれば生活ができなくなると思っている。いや、これをしないと周囲からこう評価されるから、こういう形になるからと決めつける。
確かに、想定した困難はそのことができないとやってきたりする。更に困難な状態になる。しかし、本人の体調は悪くなり、生活をまわしているだけでもやっとといった状態になる。
そういった人は、世界を愛することができるが、近くにいる人を許せない。例えば、アーティストなどは自分の生活を削って応援する。その存在がいないとやってられないと思う。応援することで、生きている。活力になっている。しかし、近くにいる人は愛せない。同じ職場の人、家族に対しては冷酷に接する。存在を無視をする。比較してマウントをとる。支配する。他の例では、日頃SNSで美しいものを発信する。どんなに美しい世界にいるか発信する。それを生きがいにしている。しかし、その美しさとは裏腹に、身近に同じような発信する人を毛嫌いする。どこか遠い国の人、見知らぬ人に対してはいいねと言うのに、隣人には言わない。認めない。
辛い状況にしがみついているのは、心の底で不安を感じているからである。不安が周囲に自分をわかってほしいという気持ちとなる。大変なのをわかってほしいが、わかってもらえないと感じるため、状況が変わらないため、人を憎む。苛立ちを募らせる。怒りは、無気力に繋がる。無気力な状態からなんとか今を生きていくために、自分の世界を作る。身を守る。頑張っても報われないため、安全な世界を作る。しかし、周囲の人に自分のことをわかってほしい甘えがあるから、隣人を許せない。比較する。嫉妬する。攻撃する。避ける。
辛い状態にしがみついてきて、困難な状態を耐え抜いてきて、本当に大変だったと思う。大変という言葉ではそれは表現できない。だが、大変だった。そんな中、今日までなんとかやってきた。
このまま困難な環境に身を置いて、安全な世界をつくり続けても、どこかで無理が生じる。怒りや、憎しみ、悲しみ、わかってほしい、気づいてほしいその気持ちは、成仏しない。しかし、困難な環境に一生身を置いたまた、どこか自分の気持ちに蓋をしたまま、生涯を終える人も多い。それも一つのあり方である。しかし、今よりもより満たされる状態があるということを伝えたい。
より満たされる状態になるためには、ゆっくりと休むことである。頭と身体を空っぽにすることである。これまで身の拠り所にしていたものを手放すと、何か似ているものをやりたいと思う衝動に駆られる。生活ができない、貯金が減っている、社会との関わりがなくなる、所属がなくなる、この道に乗っておけば、それなりの人生を歩めそうだが、それがなくなるように感じる。様々な不安が襲いかかる。そのため、辛い状況からしがみつくことをやめない。休まない。何か行動を起こす。じっとしてられない。口を閉じない。
なお、筆者も辛い状況にしがみついてきたひとりだ。ずっと戦ってきた。耐え忍んできた。時には刹那的になることもあった。衝動で行動した。人にこたえた。結果を出そうとした。なんとか日々を回そうとした。安定しようとした。しかし、心に不安がある限り何をしても同じだった。最終的には身体に出た。やる気がなくなった。
そんな辛い状況にしがみついてきた私は、この辛い状況を脱出するために情報を集めた。考えた。試行錯誤した。その結果、安心している人、辛い状況にしがみつかない人と出会った。そのような人も、元々は辛い状況にしがみついてみたことがある。しかし、今はしがみついていない。満たされている。その違いは、充分に休息したかどうかであった。頭と身体を空っぽにしたかであった。ここで詳しいことを語ることは長くなるため割愛するが、頭と身体を空っぽにすると、意欲が湧いてくる。エゴのない意欲だ。こういう風に思われたい、これが正義だとも思わない。ただやってみたいと思う子供のような素朴な気持ちだ。
辛い状況を手放すことは、どんな時でもできる。一瞬でできる。しかし、辛い状況にしがみついてきた人は一瞬ではできない。時間をかけて休む必要がある。虐待された動物が保護されて、大丈夫と思うようになるように、怯えずに生活できるようになるのに時間がかかるように、時間を要する。しかし、中には一瞬で大丈夫と思う人もいる。直感的に自分は大丈夫と思える。その瞬間はこれまでのことを思い出して理屈立てて思うのでもなく、リラックスして、大丈夫と思うのでもなく、平衡した状態で認識する。しかし、これはごく一部である。人によってこの状態を経験するかは個人差がある。
辛い状況にしがみついてきたのは、世の中が大変で、それをなんとか切りもりしようと思ってきたからだ。もっと気楽になって大丈夫である。きっとうまくいく。ワクワクする方の道を選択することが、なんとなくやりたいなと思ったことをやることが、より満たされる世界への入り口である。
最後に、辛い状況に置かれている場合でも、独立していない、つまり法律上、働ける年齢に達していない場合がある。親の庇護の元に生活している場合がある。庇護と言っても、守られているわけではない。家に帰れば、関われば、日々の生活の中で攻撃され、無視され、支配されて自由に動けない。動くようなものなら、より困難な状況に置かれる。これ以上困難な状況にならないように、なんとか心に蓋をして毎日をまわしている人がいると思う。そのような人は、勝手にどこか行こうにも行きづらいと思う。そのような場合の話は、また別の機会に話す。そのような場合でも大丈夫だ。より満たされるようになることができる。
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