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フィンセント・ファン・ゴッホ / メトロポリタン美術館
雑談内でのスケールの違い
ある人間関係の中でしか生活していない人は、最近起きたことに対する周囲に話すことのスケールが小さい。
例えば、学校と家しか所属を持たない人と学校、家、習い事、部活動、休日の遊び仲間(年代の違う人とキャンプ、釣り、釣りなど)と様々な所属を持つ人は、ちょっとした雑談で最近起こったことの規模感が違う。前者は〇〇がこんなことを言って、それは〇〇だと思った。などということだ。対して後者は〇〇の世界では今〇〇が流行っているという具合だ。所属の数が少ないと雑談の中でちょっとしたことに着目しやすい、その世界だけで比較しがちであるが、所属の数が多いと触れ合っている人の母数やその人たちが持っている情報が違うので、様々なことを話す。
所属の数が少なくても、本やS N Sで多くの情報を触れ合い、所属が多い人と同じようなことができると考える人もいるだろう。確かにそうだ。しかし、ネットでは自分で単語を打ち込んで検索する。そのような場合は、自分が持っている単語、気になっていることしか派生しない。SNSのコンテンツの中では自分の趣味嗜好に合わせて情報を展開するものも多い。結果、情報が限られてくる。
捉えている世界が狭くなると小さなことにも気になる。大局観を持って物事を分かろうとしても難しい。些細なことに執着する。ちょっとしたことが気になる。比較する。
視点が狭くなるのは不安になっている証拠だ。所属が限られていたとしても安心している人は限られた世界の中でも新しいものを生み出していける。それはある人間関係の中で生活している人、所属が少ない人よりも広い世界に出会える。