思い通りにやりたい人

自分が想い描いた通りにことを運びたい人がいる。それは事前に計画してその通りに事を運びたい場合もあるし、その場で思いついてその通りに事を運びたい場合もある。

思い通りにやりたい人には2つに分かれる。不安を感じている人と安心している人だ。不安を感じている人はその進め方に無理がある。努力して思い通りに運ぼうとする場合もあるし、周りを変えて、支配しようとして事を運ぼうとする場合もある。


対して、安心している人は無理に事を運ばない。物事をいつでもできるからと大局観を持って取り組み、ほどほどにする。その場を楽しむ。今を楽しむ。周囲を変えようとしないし、その状態を受け入れる。

不安な人は思い通りに事を運ぼうとする。それはリスクを考えて、リスクを取らないように行動する。その行動プロセスは完璧を求め、結果も完璧を求める。人を変えようとし、自分もあるやり方に執着する。思い通りに事を運びたい人には同じような人が集まる。その人同士、そのやり方がいいよねと肯定しあう、競争する、比較する。

思い通りにやらない人、安心している人もリスクは考える。しかし、それに囚われることはない。自分から炎上しているところに突っ込んでいかないだけで、流れを読んでいる。自分にこたえるという事をする。

両者の違いは不完全な状態を受け入れるか、という点が異なる。自分に取り巻く世界の事を信じているか、自分を信じているかという点も違う。思い通りにやりたい人は、自分の取り巻く世界の事を信じておらず、気を抜いたら今の状態を維持できない、素敵な自分でいられないと思っている。自分は頑張らないといけないと思っている。これをやらなければいけないと思っている。

思い通りにやらなくてもいい状態になるためには、安心することだ。自分を信じ、世界を信じることだ。なんとかなると思えることだ。これは、今やっている事を辞める事だ。足を止める事だ。ハーブティでも飲むことだ。お茶を飲んだところで、元の不安な状態に戻るかもしれないが、それでいい。無条件に大丈夫。と思える時間を長くするほど、安心している人になれる。

他には無頓着な人 = 安心している人 = 自分はこれっぽっちだよと開くなおっている人 のそばにいることだ。無頓着な人は人に関心がない。けれども、人の変化に気づける人はいる。そのような人のそばにいるだけで、安心している人になれる。

私は、安心している人のそばにいることで、ツイキャスを推奨している。ツイキャスには不安な人も多くいるが、安心している人、無頓着な人、開き直っている人がたくさんいる。このような人とかかわっていると、まぁなんとかなると思えてくる。この人たちを見下している、比較しているなどもなく、相手も自分を受け入れ、自分も相手を受け入れる状態が成立し得る。その敷居は低く、誰でもはじめられる。世界の人は自分が予想しているよりも容易に自分の事を受け入れてくれる。

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