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過去や未来への執着

私は30代の2回転職したサラリーマンであるが、私がこれまで経験した会社は、外から見れば一見きらきらとした世界でも、過去や未来への執着で溢れかえっていた。執着は人を搾取する。搾取は人を弱らせ、無気力にする。

ビックネームの会社は、誰もが知っているだけあってCMを出していたり、財力があり、多くの場合は創業歴が長く歴史がある。歴史がある企業には風土があり、風土は同じような人を集める。組織に入った頃は異なる毛色であったとしても、徐々に染まっていく。

この染まっていく、と表現したことがどう人が変わることかと言えば、過去・未来への執着が出てくるというところであると思う。これまでは、イキイキと好きなことをしてきた人でも、たいていの場合は8H程度は決められたことをやるように言われる。

理系の世界では、大学で専攻していた研究を企業でやらせてもらえる形も多い。側から見れば、本人が選択して好きなことをやらせてもらえているから、病む要素がない、過去や未来に執着しないのではないの?と思うかもしれないがそうではない。よっぽど研究にしか頭になく、ほぼ何かに熱中していて、好きな時に休んで、また熱中するといったサイクルで生きていれば別かもしれないが、たいていの場合は弱っていく。研究所によっては、サラリーマンというイメージからかけ離れた、もはや自由人で熱中できる環境が整っていることもある。そして、本当に研究が好きで好きでたまらず、何かの思考に囚われずに成果を出す人もいる。しかし、多くの人はそれなりに周囲の主張や求めていることも分かるし、与えられた少しやりたくないことにも無難に取り組む。これは個人的な意見であるが、日本人が日本の研究所に勤めようと思ったら、ある程度の社交性が求められる。大学に残る場合も同様である。正直、研究は政治だからだ。前述した研究が好きで好きでたまらない人は政治なんてやらない。愚直で不器用である。真っ直ぐに研究に邁進してきた研究者たちは、博士取得後に居場所をなくす。そのため、早くから海外にいく人もいるが、そこでも同じようなより熾烈な席とり世界が待っている。正直、生き残るためには対人スキルを身につけるのは必須である。大学や研究所を選ばなければ別であるが、たいていは選ぶ。

話を戻すと、過去、未来への執着が会社では溢れている。

過去への執着においては、これまでやってきたことの延長線のことをやることが求められる。まず、求人する時からこれまで何をしてきたかを求められる。新卒の時が一番顕著であるように感じる。ちなみに、中途採用であれば、これまでやってきたことではなく、全く別の分野に行ける間口が広がる。企業の場合は、入社の時からこれまでやってきたことを軸に社会人生活が始まる。

未来への執着においては、会社からは、必ず期初など何かの区切りに、目標やそのプロセスを話す場がある。そういった目標は、本人の自発的なものであったりするが、多くは組織の大目標と繋げて目標を立てる。全くそれに関係のない目標は立てられない。ここで、目標を立てる時は、起こり得る結果を包括するような文章で目標を掲げるテクニックがある。しかし、数字を出さないと達成したか判断できないため、判断基準として数字を掲げる。確かに数字を出さないと定量的な判断はできないが、こういったことの小さな繰り返しが、人を搾取する一つの原因であるように思う。

この記事にも書いたが、本当に頭の良い人は分野に囚われない。そのアイディアはランダム吐出で側から見ると繋がりがない。

本人の中では、多くの情報から身体が勝手に動かされるように熱中すること、やりたいことが出てきたとしても、企業ではそれをやることを認められないし、その一見突飛とも見える考えを理解しない。というよりも、理解できないという方が正しい。

健康的な人であればあるほど、色々なことを、これまでやってこなかったことをやってみたり、その体系だった世界とは違うー何か別の分野のものを組み合わせて新しい発見ー気付きーアイディアを得るのであるが、その状態を理解しない。一般人にも理解できるように理論立てて説明することが求められる。

説明することはできるが、何かの型を正しいと思っている人にわかってもらうのは、非常に困難である。むしろ、説明を求めた人が勝手な解釈を入れて事実をねじ曲げるもの、自分が理解できるものへと勝手に変換するため、永遠に事実が伝わることがない。

上記で何か新しい発見と書いたが、これは大それたことではない。例えば、このお客さんとうまくいなかいのは、こういった会社の風土が原因で、こうすればもっとスムーズに事が運ぶのに、といった純粋な素朴な意見も、考えが固執した組織では届かず、変わらない。

そこに長年いる人が安心する形に、最後には流れていく。

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