前校長先生の言葉
前の校長先生の著書に記してある言葉などで心に残ったこと。
今まで出会った先生の中で、圧倒的に心にスッと入ってくる言葉や話が多かった。
~~~~~
「生きる力の一つには、見方を変えて考える力がある」
事実は変えられないけど、どう捉えるかはその人次第。
「高校3年間と小1から小3までの3年間は、同じ3年間でも全く違う。」
低学年の頃の先生のことなど、大人になったらほとんど覚えていないけど、実は生きていくために一番大切な根っこ作りを自分たちは背負っているという誇り。
「悲しむことは一人でもできるけど、笑うことは一人ではできない」
コロナで休校明けのインタビューで言ってた。とにかく楽しく。
「子どもたちに、生きていくうえで一番大切にしてほしいと願っていることは、誇りをもって生きること」
世の中は、生まれた時から公平ではない。大人になってもずっと感じる人もいる。
そんな時、大切なのが自分への誇り。自分が認められ、励まされた経験。自分が全力で頑張り、やり遂げた経験。人と喜怒哀楽を分かち合いながら、生きていくことの素晴らしさを感じた経験。誇りとはこんな経験が生み出すもの。
「教師が常に念頭に置いておくべきは、「子ども自身が問う」ような学級の雰囲気や授業づくり」
学校では知っている者(教師)が知らない者(子ども)に問う。普通は逆。
これはなぜこうなるのですか?と点検的にやっていくと、やがて回答に自信のある子以外は手を挙げず、教師の気にいる言葉を探すようになる。
「思いを語るためには、何を言っても馬鹿にされたりからかわれたりしないという安心感が必要」
教師は子供が感想や意見を発しない事態が困る。特に国語の物語のような正解がない時。国語の学習が深まるかどうかは、子ども同士や子どもと教師の信頼関係にかかっている。
「子どもを未熟な大人としてではなく、その時期を夢中で生きている一個の人格として捉える」
小学校の時期を将来のための準備としてしか捉えないと幼稚だとかまだ理解できていないなど達成度のものさしでしか評価しなくなる。
子どもたちの今、ここで感じている喜怒哀楽に寄り添うことも大切。
「隠れたえこひいき」
向こうから近寄ってきて発表もよくする子と、教室にぽつんといて発表もしない子との関わり頻度を記録すると、その差は歴然だった経験から。教室で一番運動や勉強が苦手な子がにこにこになることを目指したらいい。
「教師生活を若さだけで突っ走るのではなく、尊敬を抱いてもらえる人になることを目指す」
人から何かを学ぶとき、信頼・尊敬する人から教えられる場合とそうでない人から教えられる場合とでは納得の仕方が違う。これは、人間として、当然の感情。
教師として若さは武器で、それだけで子どもを引き付ける力をもつ。
しかしそれだけだと、
・友達のような関係になり、けじめが付かなくなる
・寄ってくる子ども以外に対して気が回らなくなり、不公平を生じさせてしまう
・よい悪いの判断基準が曖昧、人や場所によって変わるなどして信頼を失う
というようなことが起こり得る。若さだけでなく、子どもにとって尊敬を抱いている人を目指すべき。
「子どもの一部を切り取って、この子はこういう子と判断するのはよくない」
AがBをいじめている場面だけを見て、Aはいじめっ子とはならない。もしかするとAはCにいじめられているかもしれない。
計算ができない子には苦手な原因があり、人前で話しにくい子には、話しにくい要因がある。その原因・要因に寄り添い、全人格として見つめることで克服すべき課題が見えてくる。
〜〜〜〜〜
大切にしていきたい考え方
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?