知らなかった名作◉アラン・ドロン トリビュート|ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい」
映画好きにとって観直しと観落としは、もっと映画が好きになる良い機会です。連載3回目の今回は、今年8月、88歳の生涯に幕を閉じたフランスの俳優アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい」。私たち世代は、アラン・ドロンをリアルタイムで知る最後の世代と言ってもいいのではないかと思います。アラン・ドロンと言えば二枚目俳優のイメージが付き纏いますが、本当にそうだったのか。ドンズバ世代ではない私たちならではの視点で観直してみると、若さゆえに滲み出るアラン・ドロンの魅力が見えてきました。
アラン・ドロンが亡くなった。あのフランスの稀有な二枚目俳優が亡くなった。今回は、名匠ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』を辿って、筆者なりのトリビュートにしたい。
この作品は貧しい育ちのアメリカ青年トム・リプレー(ドロン)が、身分の違う富豪の息子(モーリス・ロネ)とその美しい婚約者(マリー・ラフォレ)の間で、受け入れられない愛情と憎悪に苦しみながら殺人を犯す犯罪映画で、次第に刑事に追い詰められていくサスペンス映画でもある。最初の殺人は計画的なものだったが、二人目の殺人が予期せぬものだったところなど、ドストエフスキーの小説を想起しないでもない。
この作品は、いくつかのジャンルの要素でも楽しめる映画だ。登場人物の複雑な三角関係における愛憎のねっとりとした心理描写あり、犯罪後の偽装工作など犯罪サスペンス映画でもあり、抒情味溢れるニーノ・ロータの音楽は、1952年のクレマン監督の「禁じられた遊び」にも共通する。ファッション好きな人には、スーツやシャツの着こなし、海辺のサマーファッションなど、1950年代頃のイタリア、フランスのクラシックなファッションも楽しめるし、その後のトム・リプレーを追うパトリシア・ハイスミス原作の続編、ヴィム・ヴェンダース監督の「アメリカの友人」を異なる監督の作品として楽しむこともできる。
アラン・ドロンはどんな俳優だったのか
筆者の個人的な事情から言うと、眩いばかりに美しいこの俳優を同時代的に観ていたわけではなかった。世代的にはそれはもう少し上の世代だ。熱狂的に日本でも人気を博した時期を知らない筆者の世代からすると、アラン・ドロンという二枚目俳優は、その頃、円熟期を迎えた中年俳優にさしかかった印象だったと思う。ロベール・アンリコ監督の「冒険者たち」(1968年)も観ていたが、リノ・ヴァンチュラ、ジョアンナ・シムカスとか、今思うと、すごく70年代ぽい戦後の若者群像を描いた作品で、日本でもとても人気があったんだと思う。その他にも日本で人気のあった出演作にあったイメージは、時代のせいもあったかもしれないが、人気に便乗した作品のイメージで、あまり好きではなかったような気がする。
むしろ、本当はルキノ・ヴィスコンティ監督とかミケランジェロ・アントニオーニ監督とか、イタリア人監督の方が、アラン・ドロンの瑞々しい魅力を引き出していたのではないか。今回、彼の訃報に触れて、それぞれのトリビュートとして書きたくなったのは、そんなアラン・ドロンの印象が「太陽がいっぱい」には強烈に描かれていたことを記憶していたからだ。
アラン・ドロンはトム・リプレーだったのかもしれない
観る者が犯罪を犯すトムに感情移入してしまうのは、貧しく、卑屈で、何も持たない若者が、有り余る富を持つ者から屈辱的な扱いを受けることへの憤りとか同情からだけではない。それはあのニーノ・ロータの悲しげなテーマ音楽とともに、犯罪者の若者を演じたアラン・ドロン自身の、若者に特有の清冽で物憂げな表情と何と言っても妖しげな美しさに魅了されるからだ。この作品の魅力は、当時、まだ無名だった若き俳優アラン・ドロンがその天賦の表情から無邪気さ、卑屈さ、美しさ、惨めさ、清冽さ、邪悪さを、それぞれ見事に表現して、観る者に強い印象を残すところにある。ラストシーン近く、奪った恋人の絶叫の裏で、ナポリ湾の燦々とした太陽を浴びながら、溢れる満足感とともに「ああ、太陽がいっぱいだ」と呟く無邪気さに破滅が忍び寄ってくる。そこへ観る者は置き去りにされて、トム・リプレーを演じるアラン・ドロンへの別れを惜しみながら、物語は終わってしまう。まるで、もはやアラン・ドロンがトム・リプレーだったかのように。
観直しが、齎すものとは
良い映画は、何度でも観たくなるし、何度観ても新しい発見があるものだ。トムの犯罪が発見される瞬間の描写のディテールが、記憶違いでロングショットの映像を記憶していたこともあって、新鮮な驚きを味わうことができたことも、改めてこの連載「映画の観直しと観落とし」の楽しさを再発見する契機になった。
観直しが齎すもの、それは再び映画を楽しくさせ、作品と俳優に永遠の生命を吹き込むことなのではないか。
そして同時にまた、この作品を初めて観た時の、ラストシーンの強烈な印象は、色褪せることなく変わらなかった。むごたらしい犯罪を犯しながらそれでもなお抗えない、若き日の美しく孤独なアラン・ドロンの魅力を存分に味わうことができる傑作だった。
Rest In Peace.