東京のナチュラルライフ
こんにちは、madokaです。
イギリス、那須と「田舎暮らし」のお話が続きましたが、今、私が大半の時間を過ごしているのは東京です。
東京でのナチュラルライフなんて無理なんじゃない?と思いますよね。
もちろん、「土のある」または「自然と共に」という生活は都会ではなかなか難しいのは間違いありません。
でも、「一人の1万ポンドより、一万人の1ポンドを!」の教えから、ひとりでもj仲間を増やしながらできることをしていくことが大切だと、私はナショナルトラストの活動で学びました。
そうです!
“Be the change you want to see in the world.”
とガンジーは言いました。
「あなたが見たいと思う世界に、あなた自身が変化していくこと」が大切なのです。
そんな理想的な世界を想像した私の小さなチャレンジを積み重ね、実践した東京での土のある地面からは遠い集合住宅での暮らしのお話をします。
理想の未来に向けて一歩ずつ
細かく言えば、私がみたい未来はあなたとは違うかもしれません。
でもざっくり言えばこの美しく豊かな自然や文化を持つ日本、世界、宇宙と、そして、今、私たちがそこから受けている恩恵を後世まで受け継いでいきたいと思っているのではないでしょうか?
私が学生の頃から環境活動をはじめ、循環型のまちづくりにのめり込み、江戸のエコライフを地元で実現しようとNPOを作ったりナショナルトラストで働いたり、イギリスのガーデンで働いたり、ホメオパシーを学びながら「円の人生総生産」として結論づけた世界ととても近いことを言っている人を見つけた!と感激をして大ファンになったサティシュ・クマールさんが今、来日しています。
先日の講演会に行ってきた際に「パーマカルチャーを学んだけど、東京では真逆の生活で苦しい思いがこみ上げる」と涙ながらに語る若い子がいました。
私もイギリスでパーマカルチャー的生活をしていて、東京に戻ってきたときに同じ思いに苦しんでいたことを思い出しました。
そのときサティシュは、世界平和を願って、一歩一歩何年もかかって世界を歩いた時の話をされました。
「大きなことはすぐには成し遂げられないけれど、一歩ずつ進んだから、時間はかかったけど世界を回れたし、東京から広島までも歩くことができた。どんな活動も一緒だ」と。
止まってしまったら先には進めないし、小さくても、大きくても前に進んでいればいつかはたどり着くゴールがあるのではないでしょうか?
大学生の頃から私も全く同じことを考えて毎日行動していました。
この数年「こだわるのをやめよう」と意識的に思ってたらどんどん自分と遠くなり、「円らしさ」はなくなってしまったかのように振り返って感じています。
気が付いた時から、毎日の生活や身の回りに起こることを初心に戻って見直し、こだわりすぎず、でも意思に反しないところを探し、徐々に心地の良いところをつかみ始めたら、どこに行ったらいいか立ち止まっていた足でしたが、また一歩、一歩楽に足を前に出して歩めるようになってきたようです。
東京でのマイ・ルール
そう考えた時に、私がとった行動は以下のようなルールです。
電力をなるべく使わない
電化製品は本当に必要だと思うもの以外は持たないし、持っているもを使わない時はコンセントを抜く(掃除機もテレビも持っていません)土に帰らないもの、再生できないものはなるべく買わない
口に入れられないものはなるべく買わない
化学的な力に頼ったものはなるべく買わない
成分や材料に知らない名前があるものや作り方がわからないものは買わない
最初の頃は「なるべく」は「絶対」としていたし、「買わない」でなく「使わない」と決めていました。
「なるべく」や「買わない」に変更したのには理由があります。
お友達や家族がくれるものはいつも私が欲しいものでははありません。
最初の頃は「こういうのは使わないから」と突き返すこともありました。
でも、せっかくのご好意を無駄にするのは申し訳ないという罪悪感も毎回あったのもあり、ある時、ありがたく受け取りつつメッセージを伝え「それも一理あるな」と少しでも思ってもらえないかな?と思ったのです。
いただいたものを誰かにあげてみたこともありますが、自分が罪悪感を持つものを人にあげるのは気が引けました。
もしも、その人は喜んだとしても地球は喜ぶとは思えませんし、捨ててしまうのもこれができるまでに使われた電気や熱、機械や人というたくさんのエネルギーが無駄になることでもあるし、ゴミが増える要因にもなる。
ならば、感謝をして利用するのもありなのかもしれないと思い直したんです。
最初のころはそれでもやっぱり「地球を汚してる」とか「体に悪いものが入ってくる」という罪悪感や恐怖もありました。そんな気分で使うのは良くないとも思いつつ、、、
いろいろ試して、考えて、心地よい今の形が出来上がりました。
実際のところ、地球にとってはどうするのが良いのかはわかりませんし、結論が出ないし、気分が落ち込んできてしまう。
今、私が心地よくできることをする!と決めました。
変な人だと思う人は思えばいい。
面倒臭い人だと思うならそれでいい。
そして似たようなことをしてる人、したい人が増えればそれはもっといい!
誰もジャッジせず、喜びとしあわせのボーダーラインを自分でみきわめ、その範囲内での行動をすることを選択しました。
その結果、先ほど挙げたルール以外に以下も付け加えました。
いただいたものは感謝していただき、自分で使うか、欲しい方にあげる
感謝の気持ちで使い切ったものや不要になったものはコンポストするかリサイクルまたはアップサイクルする
スーパーやお店で買い物をするときは消費期限が使い物を買う
ゴミのない暮らし
土がないのにコンポスト?と思った方がいるかもしれません。
今はベランダでできるおしゃれで小さなコンポストも購入できますし、段ボールなどを使って作ることもできます。
私は家にあったプラスチックの蓋付のバケツに那須から持ってきた両手いっぱいに乗るほどの土に生ゴミを少しずつ入れ始め、今は10年以上コンポストを続けています。
なので、うちから出るゴミ捨て場に持っていくゴミは、スーパーなどで買った野菜が入っていたビニールや梱包容器と紙のゴミくらいでとても少ないです。
週に2回燃えるゴミの日がありますが、45L袋いっぱいのゴミが山のように積まれている中、私のゴミは片手に乗るほどで、みんなどんな生活をしているのか毎回不思議に思えます。
コンポストに入れるゴミは、野菜は皮やタネも固かったり大きかったりしなければ、ほとんど丸ごと食べてしまうのであまり生ゴミが出ることも少ないです。
お茶の出涸らしの葉もタイミングによりますが、佃煮やふりかけにしたり、パンやお菓子に入れて焼いたりすることもあります。
ケチくさい、貧乏くさいと言われたこともありますが、自分がそのものになった気持ちになると、天地の力や人の手によって生み出され、奇跡的とも言える一つ一つの命を大切にしたいのです。
買い物は未来への投票・投資
化繊のお洋服やフリースなどを洗濯するごとにマイクロプラスティック出ることや、肌との摩擦で乾燥を促進したり、経皮毒となったり、作られる過程での汚染や、廃棄の際、土に戻らないすることを考えると何を身につけるか、何にお金を使うかを考えています。
お薬、添加物の入っているもの、薬剤を使って作られたものも、環境へも自分へも負荷があるという同じ理由で自分からは購入しません。
考えてみてください!
E3Liveで扱っている古代から35億年形を変えていない藻は、なぜそこだけで長いこと生きているのか?
環境が大きく変化することなく、全てが調和した状態でずっとそこにあるからにほかなりません。
山の上の方だから守られているということもあるのかもしれませんが、もしかしたら下の方で、遠く日本に住む私たちの暮らしがいつか雲に乗って山の上の方に届いて、その結果、アッパークラマス湖に降る雨からブルーグリーンアルジーに影響が出てくることもあるかもしれません。
私たちの生きているこの世界に壁はなく、全てが繋がっているから。
投資とはお金が儲かるところにお金を出すと思う人もいるかもしれないけれど、私は応援したいところに頑張ってもらうためにお金を支援するものだと思っています。
なので、買い物も同じく、大きくなってほしいところ、頑張って欲しいお店や企業でお支払いをする生活をしています。
要するに、私の考えに似ていたり、共感できるところということになります。
特に農家さんや作家さんから直接売買できるときは、その人を応援したいときはお釣り分とか小さな金額ではありますが、感謝と応援を込めて、定価よりも多めに払うこともよくあります。
台所のくすり箱:キッチン・ファーマシー
毎日私たちが口にするものはお薬になります。
食べたもので私たちは作られているから。
母方の祖父の家系は明治の頃までは日本伝統医療の医師でした。
そのせいか代々母は小さい時から祖父や祖母が作る薬草や動物の油などを使って不快な症状を治していたようで、私が小さい時は祖父が作った熊の油やかりんの蜂蜜漬けなどが家にあり、私もそれをもらっていましたし、母は小さい時から自分が使ってもらっていたであろうものを、私たち子供にも、風邪を引いたらネギ味噌を食べさせたり、咳が出るとかりんの蜂蜜をお湯で割って飲ませたり、お腹の調子が悪い時は「大根は消化を助けるから」とことあるごとに食材がどういう症状に効くのかを語ったりしていました。
なので、三つ子の魂なのか、私の中にも多少ではありますが、そういった知識が受け継がれています。
そんな藤田家でも台所に当たり前にあった品々は徐々に消え、いつの頃からか、薬が当たり前になっていきましたが、、、
私は加藤家の伝統を取り戻すべく(最近気がつくまで全く意図してなかったのですが…笑)、さらにはイギリスで学んだ薬草や花療法、そしてホメオパシーをはじめ世界の植物療法を取り入れながら、薬は使わない日々を始めてもうすぐ30年になろうとしています。
今の私の家には、ドライハーブやハーブティンクチャー、フラワーエッセンス、ジェモセラピーが棚に並び、引き出しにはホメオパシーのレメディーや精油が、キッチンの花瓶にはフレッシュハーブが、冷蔵庫には蒸留水も。
全てはいざという時のためのストックでもあり、ものによってはお料理に、お風呂に、化粧品として、日常的に利用しています。
そして陰陽五行とマクロビオティック、アーユルヴェーダ、ヒルデガルトなどの智慧を参考に体に合わせた食材や料理法で食事をするようにしています。
「えーそんなに学ぶの大変そう!」という声が聞こえてきそうですが、いろいろ学ばなくても、季節の旬のものをその素材を生かして美味しく料理したり、飲むようにしたりすればそれだけでも十分養生になるんです。
自然に抵抗することが、心も体も不協和音を奏で始める原因だと思います。
基本は、自然と共に!です。
自然と触れ合う
家の近くには10分も歩くと河原があります。
大きな2本の川が流れているので、空がとても広く、緑がたくさんあります。
川の中にある島にも水門を越えて渡ることができます。
晴れた気持ちの良い日は、そこがオフィスになることもしばしば。
都会のビルや人混みの中で過ごした数日の後には、なるべく広いところへ、遠くの見えるところへ、そして木があり、太陽の光が注ぎ、大地と水と空を感じることができるところへ行くようにしています。
お気に入りの木に寄りかかってツリーセラピーをしながら本を読んだり、パソコンを売ったりすることもあります。
ツリーセラピーは私のホメオパシーの師匠ロビン・ヘイフィールド先生の教えで、木の幹に背骨を沿わせて、木と一体になった自分も一緒に地中からのエネルギーを通してもらうというもの。彼はクライアントに1日20分以上と言って処方したりしていました。
時には木の上に登って、ちょうどいい枝の間に止まって仕事をしていることもあります。
飽きるとポケットに刺してた笛を吹いたりもします。
そうすると、鳥が近くに来て、または遠くから一緒に歌を歌ってくれたりするんですよ!
そんな時間が大好きで、また家に戻っても室内で頑張ることができます。
もしも、自然が近くにないときは、街路樹で神社の木でも良いので、ハグしたり、背骨をつけて一緒に過ごしてみてください。
裸足になって土や草や地面を感じられたらなお良し!
川や海が近ければ素足で砂浜を歩いたり、水につけてみたりするのも良いでしょう。
それもできないときは、ブルーグリーンアルジーを飲んだり、ハーブのお茶を飲んでもいいし、アロマのスプレーとシュッとしても、精油の瓶を鼻に近づけるだけでもいいし、野菜や果物を食べたり、大自然が作り出した力を借りてください!
私はヘナやクレイ、自然塩やお酒や重曹を入れたお風呂もお気に入りです。
または、たまには前ばかり向いているのをやめて、頭を上に向けて、月や星を探して夜空を見上げたり、雲の形が変わるのを、空の色の変化を楽しむなど、空を感じてみるのもオススメです!
どんなことでも良いので、これを読むのをきっかけに、少しでも自然を感じる毎日をぜひ過ごしてもらえたら嬉しいです。
自然と寄り添って、楽しく、しあわせで、健康な毎日を心がけて、
私を耕しながらココロとカラダを健康に導き、私らしい美しい花を咲かせましょう!
ナチュラルライフガーデナー Madoka