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不妊治療中のある本との出会い、こころ

以前のnoteでも公開したように、私は現在一人目妊娠にむけて不妊治療を行っている30歳会社員の女。

以前は、なかなかできない身体の自分に不安になり、
あらゆる文献や、健康法、医学書を読み漁り、子供のできやすい体作りを心がけてきた。いつしか心は不安定に、健康であるはずなのになぜできないのか心底落ち込んできた。

しかしここ最近の病院受診(このことは後でまたnoteに書こうと思う)時のちょっとした事から、少しずつ現状を受け入れ、ある意味で精神的に落ち着きを取り戻してきた。

そんなとき、次に読む本を探していると、ふと妊娠や出産を描いた小説に目が止まった。

なにかと現実主義、エビデンスを仕事柄も求めやすい私は、空想的な、現実から離れることの多い小説はなんだか地に足がついていない感じがして苦手だった。(そういえば、昔小学生の頃にハマったハリーポッターもそうだったっけ。最初は夢中になっていたけど、途中からあまりにも現実離れをしているストーリーに子供ながらに飽きてしまった。)

なぜかわからない。
今の不妊治療中の現実を受け入れたからなのか、これまでの行動力の遅さに嘆いて、少しでも何でもいいからいろいろな先行例をみていきたかったからか。

私は、とにかく目に止まったんだし、と思ってその本を手にとった。

その本は、甘糖りり子さんの「産まなくても、産めなくても」「産む、産まない、産めない」

そこには、様々な産む、産まない、産めない女性に関する短編ストーリーが並べられていた。
私はいつのまにか、時間を見つけてはそのストーリーを読むことを最優先とし、あっという間にその本を読み終えてしまった。

主に30後半から40代の女性を描いたものが中心だったが、30歳になった私も、他人事とは思えないストーリーにひどく引き込まれていた。
今まで自分だけだと思っていた妊娠にまつわる、女性としての心の葛藤が細かく描写され、胸をつまらせるものが多かった。読むのも辛く、少し時間をあけて深呼吸をしてからでないと読めないものもあった。

これまで自分が子供を持ちたいと思い、行動に移すまでは他人事であったことが一気に自分の事になった瞬間を思い出した。それと同時に、女性という産むという可能性をもった生き物はどんなに尊い生き物なのだろうとも思った。

私の不妊治療はいつ終わるのか、そして子供を授かることができるのかわからない。けど、そんなことは次にして、改めて女性として生まれてきたことに誇りを持ち、自分を愛おしいと思わせてくれるこの小説に出会えてよかったと思う。

この本を読んでから、
一つ前のnoteに書いたブッダの教えをまたふと思い出す。
あるがままを受け入れて、生きよう。
生きるとは、こういうことなのだ。

今の日本は少子化が叫ばれている。
簡単に女性の社会進出が原因とか、結婚願望が少ないとか、他にもいろいろと言われている。

しかし、そんな中でも女性は、子を持つ女性、子を持たない女性、子を持ちたい女性達は必死に己と、不安と、恐怖と、焦りと戦っていることを世間にもっと知ってもらいたい。そしてそんな女性達は、ひとりではないこと、いろいろな考え方があること、乗り越えていけることをもっと知るともっと楽になるかもしれない。

私のように不妊治療に励む女性だけでなく、他の男女にも年齢性別問わずこの小説を読んでほしいと思った。

また、今まで大した理由もなしに苦手と思っていた小説を避けていた自分に少し腹がたった。可能性は、自分の視野を広くしてくれるものは、そこら中にある。知りもしないで判断していた自分が少し恥ずかしい。

けど、もう、今それにまた気がついたから、
それでいいのだ。
これからは、何事も判断せずに受け入れて少しずつ進んでいこうと思った。

不妊治療に対する不安や怖れも、少し軽くなったきがした。

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