あまざけ
あ
こんにちわ。 めずらしく、今周期の高温期は36.8℃超えをずっと(一度なぞに落ちたけど)キープしていた私です。 ドライに二層に分かれるか経過をみていくというていで再開した基礎体温測定なのに、いつのまにか妊娠するために必要な36.7℃超えを始めてキープしだしてからは、期待がふくらみ毎日るんるんしていました。 そんな今朝、体温36.3℃ グーンと下降 気持ちもグーンと下降 そういえば、ルナルナアプリでも 明後日生理予定日になっていたから、ドンピシャ。笑 けど、人工授精
と、題に書いておきながら、実はこの3週間に3/21食はグルテンとってしまったので厳密にいうと違うので【ほぼ】グルテンフリー生活というのが正解か?笑 最初から、あまり厳しくすると続かないから、たまに食べるのは良しとしようと決めていたので自分ではまずまず満足。 実際にほぼグルテンフリー生活をしてみて、 始める前に想像しているよりも案外簡単に取り入れることができた。 そんな、ゆる〜いほぼグルテンフリー生活をはじめて3週間の途中経過をまとめてみる。 はじめに、 グルテンフリー
結婚してから、いや、妊活を始めてから、 普段口にするものに対して意識を変えてきた。 巷で一時的に流行るテレビに影響されたものではなく、 もっとシンプルな、根本的な原則原理に即したもの。 栄養とは、人体とは、ということをベースにした考え方にそくし、共感したものはどんどん学び、取り入れ、食生活を改善してきた。 夫の弟は、ビーガンだ。夫も一時期ベジタリアンだったこともあり、健康的な食生活への変更はなんら抵抗がなかった。 むしろ最初の頃は、私よりもよっぽど栄養について、食べ物
前回のnoteから月日が経ってしまった。 いろんな理由はあるが、 言い訳にしたくないからどうでもいい事にする。 最近は、コロナの影響でお家時間が増えた。 もともとお家が大好きな私は、 特にストレスを抱える事なく楽しく過ごしている。 今世界を取り巻く無言の不安な波は恐ろしいものがあるけど、誰かがいっていた「すこしはゆっくりしたら?」という空からのメッセージでもあるのかもしれないと受け取って、前向きに日々過ごすようにしている。 私は幸いにも?仕事を続けることが出来ている
これまで、何かを決める時、自然とひとの意見や聞いたことを選んでしまっていた。だからこそ、うまういくこともあったけど、そうでないこともたくさんあった。人間の脳は自然とできるだけ楽をするように出来ているらしい。 うん、納得するところは沢山。 私の性格的に、’’なんとなく’’でいろいろな物事を成し遂げてきてしまったところがある。けど、これからはそうはいかないし、そうはしたくない。 私にも少なからずある。 頭を使った時のあの脳が重くなる感覚。 あの感覚が必要なのだ。考えることが好
昨日、用事があって 久しぶりに都内の高級デパートにいった 店内はきらびやかに装飾され、 音楽から香りまで完璧にその空間をつくりだしていた いつもあまり買い物にいかないものだから、 余計にぎこちなく感じる空間 その空間に30分ほどいて、なにか重くなる感覚を覚え 自分は改めてそんなきらびやかなものには満たされないんだなと思った。 昔は、バイト代が出ては何か常に消費していた。 必要、不必要かも考えずに。 欲のまま、他人の目を気にして、 自分の本心とは違う買い物をよくした
最近、 ふとした時に日常の幸せを感じるようになってきた 先々週、友人とたまたま出かけた先で出逢ったコーヒーカップとソーサーのセットを家に連れて帰ってきた。 今までは主にマグで飲み物を飲んでいたが、そのカップとソーサーは一目惚れだった。 もともと私も旦那も量を飲む方だし、笑 ソーサー付きのカップはたいてい小さめが多い。 そもそも先月たまたま信楽を旅したときに入ったカフェで、素敵なカップとソーサーでコーヒーを出してもらった事がきっかけだった。 その時のセットがあまりにも良
いつからだろう、器が好きになったのは。。 実家暮らしの長かった私は、 器の事を気にかけ始めたのはついここ数年。 最初の職場を退職するまで、 はずかしながらいつもお母さんのご飯にお世話になっていた。 自分で作ることなんて、必要に迫られたときくらい。 もっぱら食べ専門だった私は、器よりも器の上に載っている 食べ物の方に目が行っていたし、楽しみだった。 そんな私は職場を退職した後、夢だった海外へ。 なんだかんだ数年過ごし、 結局帰国したときは今の旦那と一緒だった。 その
人のこころと言動って、 やっぱり伴わないもんだなーと。 色んな人と関わって見ていて思います。 普段から特に高齢の方々に接する仕事をしてるので、 いろんな方と出逢うのですが。 なにかと人生経験の多い人達でさえ(しっかりした人も、病気の人も様々ですが)、こうも素直になれないものかと日々感じております。 小さな子供の様に、感じたままを口に出し、行動に出せたら本人はどれだけ楽か。しかし、色々と学んで知識も経験もついてきた途端、本心とそれ以外とで隔たりができる。 まぁ、それが人
私は、今までも将来のことに関して常々考えてきた(つもり)。 だけど心のどこかでは、まだまだ一、二世代前くらいの感覚(女性は結婚したら仕事そこそこにして、子供産んで、子育てメインにやって、仕事はまた復帰してもそこそこにやって)が自然と残っていた。 けど最近、今後の事を夫と相談したときに、 「日本に住んでいるのがしんどくなってきた」と言われた。 旦那は簡単な日本語の日常会話はできるけど、 それ以上は難しかった。 私の英語力の方がよく、普段の夫婦の日常会話は英語だ。 今旦那
以前のnoteでも公開したように、私は現在一人目妊娠にむけて不妊治療を行っている30歳会社員の女。 以前は、なかなかできない身体の自分に不安になり、 あらゆる文献や、健康法、医学書を読み漁り、子供のできやすい体作りを心がけてきた。いつしか心は不安定に、健康であるはずなのになぜできないのか心底落ち込んできた。 しかしここ最近の病院受診(このことは後でまたnoteに書こうと思う)時のちょっとした事から、少しずつ現状を受け入れ、ある意味で精神的に落ち着きを取り戻してきた。 そ
最近自分のなかで腑に落ちたことがひとつ 生きるとは 普段から考えることが多く、 人よりも5倍は何につけても考えていると思う 考えすぎが以前は弱点になっていた気がするけど、 ある時尊敬する人から言われた「それだけ考えられるってすごいよ」 そんな単純な一言で、考えすぎな自分を責めなくなった そんな私の中で比較的幼い頃から考えていたことが、 生きるってなんだろう?という哲学的な問い そんなに頭もいいわけでなく、考察しているわけではないけれど 普通の人間としてふと疑問に思った。
タイトルにあるように、 なんだかんだ子供を欲しい!と夫婦で話して 避妊をやめてから2年。 あっという間に時が過ぎた。 今日も仕事終わりに病院受診してきました。 いつ私達のもとに子供が来てくれるかわからないけど、 今日の受診でなんだか少し心持ちが変わったので これを機にnoteに綴っていくことにしました。 いつか子供ができたら、 例えできなくても、 歳を重ねた時に、旦那と、家族と、 こんな事もあったねって笑えるように。 繊細な事だし、 そんなに簡単に色んな人に相談でき
ものに溢れ 情報に溢れ 大切なことを見失いがち そんな時に、 ちょっと一歩引いてよく周りをみて 本当に必要なものを 必要なだけ 「足るを知る」 ひとつひとつに 愛着と意味を持たせて 丁寧に 大切に 周りが整うと 心もすっきり 時間もすっきり