てまひま、わざわざ、がすき。
より速く、より簡単に、より便利に、より身近に、よりスマートに、より、より、より…
そんな、いわゆる世間や経済が言うところの「成長」や「進化」に疲弊してしまうことがあります。
もし、全部便利になってしまったら、なんてつまらない世界なのだろう、と「手間」や「無駄」が大好きなわたしは天邪鬼な考えを持っちゃったりして。
人間の生命体としては何ら変わらないのに、本当に私たちは外部環境の変化についていけているのかな。
次世代の人材はこうあるべき、べき、べき。そこに合わせて生きることを求められる子供達。
子供が大人になった時には、
すっかり自分のこころの声を聞くことなんて忘れていて、もしくはそのスキルさえも失っていて、
社会から求められる、必要とされる人間でなければならないから、
それをモノサシとして生きる人が増えるようになるんじゃないかなって。
でも、
「世の中から求められる人間」のタイプは時代とともに変わっても、
「幸せだったと言って死んでいく人間」のタイプは今も昔も似ていると思っています。
胸に手を当てて、どんな生き方がしたいかこころの声を聞いて、こころの赴くままに歩める人でありたい。
そんなことを、Finding Joe というドキュメンタリー映画でつらつらと再認識させられました。
昔は、人から賞賛されている人、美人でスタイルの良いインスタグラマー、脚光を浴びている人にばかり目がいっていました。
最近は、自分をさらけ出している人、こころのままに行動している人、自己表現をしている人に目がいく自分がいる。
それは自分の欲求が承認欲求から自己実現欲求に力点が置かれているからなのかなぁなんて、ぼやーっと考えたりして。
わたしも少しは自分で自分を認められるようになったんじゃなかろうか、なんてね思ったりするわけなのです。
そんな感じでちょいとレベルアップしたから、そろそろ、こころに従って進めそうな予感がしておりますの。