2024-10-04-23:18-

気づいていた。
自分がことあるごとに一人が好きだと言いはるのは、自身にそう言い聞かせないと死んでしまうからだ。
ものごころついてから今に至るまで、集団の中で居場所を見出すことがとてつもなく苦手で、人付き合いにコンプレックスがある。自分を守るには、「群れ」を否定し「孤独」を賛美する必要があったんだ。
うまくやっていけない。必要としてもらえない。みんなの望む答えを持っていない。笑わせられない。けれど笑われることも嫌だ。
他人のために自分を偽る必要があることをおぞましく思った。そのままの自分で生きることを素晴らしいことだと思った。けれどそれは、偽るという努力、社会化することをサボりたい、楽をしたいという気持ちと多分紙一重だ。
友達ができない。友達とうまくやれない。クラスのなかに居場所がない。人と関われない。避けられていく。寂しい。
寂しくて一人で公園でずっと遊んでいた。声をかけてくれる誰かがいないかと待っていた。年上でも年下でも関係ない。かまってくれるならそれでよかった。
そんな幼さを直視していたら自分は恥ずかしくて、悔しくて、死んでしまう!と思った。
まともに寂しがっていたら自分は、生きていかれない。ひとりで泣いて、勝手に失望して、そして孤独を飲み込もうと強がった。
自分に群れは必要ない。一人でも平気だ。常に誰かの顔色をうかがって、役割期待に答えようとしているやつらは馬鹿だ。私を見るといい。こんなに自由だ。ひとりは、すばらしいものだ。お前らは弱いから群れたがるが、私にそんなものは必要ない。なぜならお前らよりずっと優れていて、強いいきものだからだ。貴い魂を持つからこそ、お前らが忌避する独りの苦痛に耐えられるのだ。
何度も反芻するうちに他者への蔑みへと変わったそれは、ただ自分を殺されないためのバリアだったはずのものだった。
今もなお、それは自分を守っていて、しかし昔より大人になってしまった自分はこれがちょっとした呪いだと気づいている。
もうそんなに意地になってまで孤独にしがみつかなくてもいいじゃないか。そう思う。けれどあの日の小さな私が「他の人みたいに楽になるのなんて許せない」「誇りを持って孤独を選んだんだ」「今更普通になどなりたくない」と駄々をこね、へそを曲げるものだから、未だに解除できないままでいる。少しでも他人と仲良くすると「馴れ合いだ」と自分を気持ち悪く思い、人といて楽しいと「つまらない人間になってしまった」と落ち込んだりするのだ。なんて困ったバリアだろう。もう他の方法で己を守り肯定できるようになっていたっておかしくないのに。

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