僕は自分に何が必要なのかわかっている
居場所のなさの理由を探る。
おしゃれじゃないから。ノーセットの髪に化粧ひとつ施していない顔。動きやすさと暖かさ以外考えていない服装。社会人としては周囲への配慮に欠けているのだろうか。
話し方が変だから。硬すぎるか無礼すぎるかのどちらかで、言葉の選択が微妙に文語っぽい。そのつもりはないのにどことなく偉ぶっているように聞こえる場合があるし、なんとなく不気味で鼻につく。
あとなにがいけないんだろう。
自分にバツをつけていく。周りが悪いのではない。自分が、欠けている。
今の居場所が良くないのではない。
今までもほとんどずっとこうだった。
自分の周囲にいてくれている優しい人たちは転職するようにいう。給料の面、待遇の面も含めての言葉で、それは本当に正しいことだと思う。
どこかもっと、君の居心地のいい場所がある。ここではない場所で、君はもう少し楽になれるし、やりがいを見つけられる。
その励ましのニュアンスを、皆の言葉の端々から感じている。
けれども、その励ましはいつも僕を軽く傷つけている。
結局僕がどこに行ったって、僕であり続ける限り、この生き辛さ、居場所のなさが変わることはないと思っているからだ。
この諦念、絶望をひとはわかってくれない。
これから先、生きる場所を探してすこしずつ苦しみを薄められると皆が皆思いたがる。自分も「思いたい」という気持ちだけはなくさずに持っている。
だけれども、それがかなわないと本人の体感は告げている。
だからほんとうは、「苦しいよな。この先どこ行ってもこうだって思いながら生きるのは苦しいよな、そうだよな」と言ってほしい。
僕は僕に必要な言葉を、わかっている。