学校のことつらつら
田舎で育った。子どもの数は少なく、必然学校の数も、その内側にあるクラスの数も少なかった。
小学校。1学年だいたい1クラス。多くても2クラス。30人に少し足りない程度だったから地域の中ではまぁ普通のほう、なんならまだマシな方だったんじゃなかろうか。周囲のさらに人が少なかった学校の人間を知って、そう思うなどしてみる。けれど自分には、まだマシだったその教室の中ですら苦しい場所だった。
変な学年だった。最初からそうだったのかはわからない。いつから、何が理由でそうなったのか、わからない。わからない自分だから輪に入れずつらい思いをしたのだろうか。
授業中手を上げて発表する人間をクスクスと嘲笑うようなクラスだった。誰もが黙して手を挙げず、教師の促しを無視してうつむき加減でいた。だるい。面倒くさい。ダサい。熱意を見下す態度が小学4年生ごろにはすでにして生まれていたように思う。朧な記憶。
運動会でもやる気を出さない。勝ち負けもどうでもいい。早く終わらせて帰りたい。そうクールぶっていることがステータスのようなそんな空気が、30人に満たない狭い部屋の中を満たしていた。自分はわけもわからず、ずっとジタバタしていた。男子、女子、どちらにも必死さを忌避する冷めた眼差しが備わっていた。女子は大人になるのが早いとは言うけれど、その中でも子どものままいたかった自分は男子とつるもうとし、男子の中でも居場所を見いだせず、ぽかりと教室の中で浮いていた。
自分はみんなに合わせられなかった。みんながなぜそうなのか、わからなかった。
知っていることは発表したい。わかっていることをアピールしたい。隠す必要はない。褒められたい。誰も言わないなら全部自分が言えばいい。しんとした授業中に得意になって手を上げ続けた。最初のうち先生は笑顔だった。と思う。あとから、もう困ったような顔をして、私を避けた。私の挙げた手を無視して、他の子どもがなにかアクションするのを待っていた。あれは、悲しかった。けれど、先生が一番苦しかっただろう。今はそう思っている。
ドッヂボールでわざとボールにあたって、さっさと外野に出てサボろうとする女子たちと仲良くできなかった。遊ぼう遊ぼうと声をかけていた休日も次第に誰とも会えなくなっていって、疎外感は耐え難いものになっていった。
小中学校での記憶はただただその疎外感に塗れたものでしかない。探せばキラキラと素敵な時間が確かにあった、見え隠れする良いことだって本物だった、けれどもそれを掴み取るのがひどく大変だと思えてしまうほどに、忘却と恨み言の砂が降り積もり覆い尽くしている。
田舎の嫌なところは一度できた人間関係がなかなか崩れず捨てることもできないところだ。役割が定まり、そこから抜け出すことができない。他に行く場所はない。どんなに嫌でも苦しくても逃げられない。狭い学校の中で一度決まった自分の役は、いつしか自分そのものになっていった。役ではなく、己自身に。