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【雑記】『日本のふしぎな夫婦同姓』、というより母親との対立について

(ヘッダー画像はこちらから引用させて頂きました)

一つ記事を書こうとしていたが、難産で手が止まったまま半月が過ぎてしまったので気楽に書けるものを書こうと思う。選択的夫婦別姓問題や『日本のふしぎな夫婦同姓 社会学者、妻の姓を選ぶ』(中井治郎)について書くつもりだったのだが、筆が走るうちにどちらかというと親子喧嘩に関する随筆的な性質を帯びるようになってきたものをそのまま書き記すことにした。


帰省するのが気が重い

これを書いているのは2024年12月10日。盆と暮れが近づいてくると田舎の母からは帰ってこいと言われるのだが、正直に言うと気が重い。いくつか理由はあり、一つには私が車を運転できないので自分の意志では家を出ることが出来ないというのがあるのだが、もう一つは母と会うこと自体への気の進まなさがある。

母には感謝もしているし尊敬もしている。子どもの贔屓目であることは重々承知だが、聡明な人でもあると思う。私の趣味嗜好のうちいくつかは母譲りのものだし、政治や文化などの話題についても話し相手にもなってくれた。間違いなく私の人格形成において最も重要な人物であると言って良い。

それでも、やはり旧い人なのだ、と思う。小言こそ言われはすれど、成人するころまで母と喧嘩したような記憶はほとんどないのだが、東京で一人暮らしを始めた頃から母と考え方の違いで衝突することが増えた。その多くが「家」に関するもので、田舎の長男の長男である私は母が「家」の価値観を押し付けてくるたびに感情的に反発した。「家」のせいで苦労している母が、その価値観を私に押し付けようとしてくるのが不思議でならなかった。

当時すでに下火だったお見合い結婚で私の母が父の家に"嫁いで"から、ずっと苦労をしてきたことは知っている。結婚後すぐに臨床検査技師の仕事を辞めさせられ、専業主婦として3人の子どもを育てつつ義父母と同居し、10年以上も要介護5の夫を介護している母。母方の祖母の葬儀で遺品整理をしている時に出てきた母の結婚式の写真を見たが、あまり嬉しそうには見えなかった(それは父もそうだったのだが)。

今年の正月だったか去年の盆だったか、私が「自分が結婚する時は苗字を変える、あるいはじゃんけんやあみだくじでどちらの姓にするか決めるつもりだ」と言った時に喧嘩になった。
自分は婿養子になりたいのではない、◯◯家と縁を切りたいのでもない、ただ女性側が当たり前のように姓を変えるのはおかしい、というような主張をしたように思う。それに対して、「結婚は家の問題だから本人たちだけで勝手に決めて良いものではない」「あなたが婿養子になるわけではないと言っても周りはそうは見ない」「女性側が姓を変えるのが自然、変えたくないなんてわがまま」と母は主張した。
これ以上加熱すると絶縁だの勘当だのといった話が出てきかねないのをお互い察知してその場ではこれ以上ヒートアップすることはなかったものの、もし法律婚をすることがあれば再度この問題に向き合わなくてはならないのは目に見えている。特定の相手から改姓してほしいと言われたわけではないので、この問題の本質はよくある嫁・姑の対立ではなく、母と息子の親子喧嘩だ。そして、火種は今もきっと燻っている。

親に対しての逆張りで小供の時から損ばかりしている

私は子供の時からから逆張り精神だけで生きているような人間で、同調圧力や「こうするのが賢い」といった選択肢に対しては反発してきたように思う。

一つ一つ例を挙げればキリがないが、この私の性質が最もよく発揮されたものの一つが母との関係である。
母もまた、時として私にとって(多くの子供にとってもそうだろうが)支配的であった。
よく世間が見える人だったので、私にとって何が賢い選択なのかを見抜いていることも多かったが、私はあまりそれに従ってきたような記憶がない。学生の頃まではそれで喧嘩をするということもなく好きにしていたのだが、母からはよく「お母さんの言ったとおりにすれば良かったのに聞かないんだから」と小言を言われてきた。
中学受験の時の塾選び、文理選択、大学2年生のときの専門課程の進学先、大学院の進学先、新卒の就職先と言った比較的重要な岐路において、そもそも私は誰かに相談して決めたようなこともほとんどないように思う。今思えば遠回りでふらふらとした選択ばかりで、もっと早く公文式を辞めて中学受験塾に集中していれば灘や開成に受かっていたかもしれないし、自分で文系を選んだのに結局理転したし、今の就職は大学院の分野とは異なっている(大学院でやったことのうち多くは今も役立っているのだが)。
母の言うことを聞いていればもっと近道だったかもしれないと思うような選択はいくつもあったが、自分の選択に後悔はない。

姓に関しても、「親が反対しててさあ」などと嘯いて相手に改姓してもらうのが角を立てない賢い選択なのかもしれない。友人(女性)が結婚する際も夫側が改姓するかという話が出たそうだが、親類の「面倒くさいことはやめときなさい」という鶴の一声で女性が改姓したらしい。選択的夫婦別姓が実現しようがしまいが、女性側が改姓しないのは当の女性以外にとっては面倒事なのだろう。
でも、だからと言って改姓という不便、人によってはアイデンティティにも関わるような負担を他人に押し付けたくはない。何より、それを「当たり前」とする価値観に反発したい。

『日本のふしぎな夫婦同姓』小文字の描写こそが姓に関するリアルを描き出す

『日本のふしぎな夫婦同姓』は社会学者の中井治郎氏による新書で、現在では世界で唯一結婚時に夫婦同姓を強いる日本の慣習や諸制度について考察したルポルタージュである。著者自身が結婚の際に妻氏姓に改姓しており、その際の家族の反対の様子や同じく妻氏姓に改姓した男性たちとの座談会の様子が記されたパートがあるのが特徴的である。

正直に言って、社会学者として日本における戸籍制度や日本の家族観について解説する大文字のパートは私の想像の域を出ないものであり、興味深くはあるものの多くは意見として目新しいものではなかった。
一方で、筆者である中井氏や座談会の参加者の体験が語られる小文字のパートでは現実的に改姓という問題に取り組む時に対峙するかもしれないリアルが語られ、非常に面白く感じられた。

中井氏は次男で「家を出ていかないと行けない」、私は長男だが「家を出たかった」という違いはあるものの、田舎の出で継ぐべき家業や立派な家名があるというわけでもないというところは共通している。著者の家は曽祖父の代に事業に成功していたとのことで、一方の私の先祖もどうも戦前はその土地ではそこそこの名家だったようなのだけれど、今となってはよく知らないというのも同じだ。
そして何より、おそらく望まぬ改姓をしているであろう母親のほうがむしろ強い違和感を示す、というところが同じだった。

中井氏曰く、私が「家」の問題だと思っていた対立の本質は「母と息子の精神的なつながり」だったらしい。

彼女たちが訴えたのは、意外なことに「家」の問題ではなかった。それは、「母と息子の精神的なつながり」についてだったのだ。親の心、子知らずとは言うが、たしかにこの点について、僕はほとんど気がついていなかった。
息子だけはずっと私と同じ苗字、同じ家の人間でいてくれると思っていたのに……。そんな母親としての寂しさだったのだ。
(中略)
家の名前である苗字を変えながら生きていく彼女が生涯の中で帰属する家は、「父の家」「夫の家」、そして「息子の家」である。つまり、どれも自分以外の誰かが「主」であり、自分以外の誰かが「長」である家なのである。そんな娘たちの自覚――「私の家は、いまも、これから先にも、どこにもない」――を端的に表した言葉が「女三界に家なし」だったのではないだろうか。
つまり、この国の母親たちにとって、彼女たちの「女三界に家なし」という寄る辺のない人生の中で生涯を通じてずっと変わらずに同じ苗字でいてくれる人間は、息子だけということになるのだ。

『日本のふしぎな夫婦同姓 社会学者、妻の姓を選ぶ』『第3章 名字を変えない男たち、あきらめ続けた女たち』より

そして忘れてはならないのが、この感情は「娘はいずれ自分の家の人間ではなくなる」という諦めともセットである。
私から見れば苗字なんて記号でしかないし、娘が結婚して姓が変わってもあなたの娘であることに変わりはないだろうと思うのだけれど、そうではなかった状況を生きてきた人々に軽々しく突きつけられる主張でもない。でも、親娘が最初からそんな諦めをしなければならないという世界こそが私が反発しているものなのだ。

だから、私にとっては夫側の改姓というのはある側面では親と息子の意地の問題なのだと思う。子供を自分の影響下に置きたい、自分の味方であってほしい親のエゴと、親の影響から離れたい、親から独立したい息子のエゴ。頑固で意固地なのはお互い様で、私と母のよく似ているところだと思う。

本心を言えば、私は選択的夫婦別姓が早期に実現することを個人として心から望んでいるわけではない。結婚によってどちらかの姓に合わせなければならないという状況に直面した時、派手に散るであろう火種を不完全燃焼のままに隠蔽してしまうだろう、という予感があるからだ。

……私は、母と縁を切ることを望んでいるのだろうか?

「恩知らず」になるのは怖い

沢山の親切と心配をありがとう
沢山の気づかいと人生をありがとう
どれもこれもあなたには 出来ない無理をさせたのね
そんなにいつの間にボロボロになってたの まだ続けるつもり?
だからだからだからこれきりです
これでこれでこれで楽になってね
恩を仇で返します 恩知らずになりました
まだずっと好きだけど ごめん

『恩知らず』中島みゆき

もし私が勘当されたとして、困ることはあるのだろうか。おそらく、マイナスよりもプラスのほうが大きい気がする。
まず、あまりデメリットがない。遺産は相続出来ないだろうが構わない。子供を持ったとしても九州の母に来てもらうのは難しいだろうし、そもそも子供を持ちたいという強い願望もない。……そして何より、親兄弟に会えなくてもさほど寂しくはない、というのが本心だ。決して個々人として嫌いではないけれど、友人や先生などと違い、自分自身で選び取った人間関係ではないから。
一方で、親類付き合い、二束三文や墓の土地の管理、両親や祖父母の介護、そういったものから手を切ることが出来るというメリットはとても大きい。
高校生の時の私がどうしても東京に出たかったのはこうした「家」的なもの、私に同調圧力を強いてくる実態のない観念から距離を置きたかったから、というのも大きい。ずっと九州にいたら、長男である私はきっとこれらを率先してやらなくてはならなかっただろう。個々人としての家族はともかく、「家」的なものと縁が切れるなら願ったり叶ったりである。

だから親と、家と絶縁してもあまり困りはしないのだろうが――「恩知らず」と言われるかもしれないのは恐ろしい。
母も別に「家」に関することがしたかったわけではない、というのはよくわかっている。むしろ、そういう面倒ごとから子どもたちを遠ざけようとしてくれていた。母には返しきれないほどの恩がある。ここまで触れてこなかったが、東京に一人で飛び出して田舎に起因する様々な面倒事を押し付けてきた妹と弟にも恩がある。だから、「勝手に改姓するなんて不義理だ」と言われたらどうしようかと思っている。

私は「恩知らず」と謗られるのがとても恐ろしい。何でもかんでも一人で選んできたような顔をして、家族親類や国や社会制度にかなり助けてもらって選択肢を用意してもらっていることを知っている。だから、どこかで義理は返さなくてはならないと思っている。自分が生きている理由の一つもそれで、親より先に死ぬのは不孝だし、妹と弟に面倒を押し付けたままでいるわけにもいかないし、自分にかけられた投資分くらいは家族にも社会にも還元する義理がある(義務ではなく、義理)。いずれ年金で生活するかもしれなくなる(出来ないかもしれないが)人間としては子にあたる人々の世代の生活を少しでも楽にするべきだし、そのためには子供を持つほうが良いのかもしれない、とも思う。

義理というのは疎ましいものだ。しかし、義理という感情を捨て去ってしまえば、私は自分の重要な要素を失ってしまうだろう。
義理はきずなによって生じ、やがてしがらみになるものだが、しがらみがあることで私は人倫を保っている。そして、結構私は人倫というものを大切にしている。

じゃあ改姓くらい妥協するべきじゃないか、と言われると首を縦に振ることは出来ないのだけれど……。

やっぱり帰省するのは気が重い

意図せずして、最近家族の不和と解消について扱う作品をいくつか見た。『和解』(志賀直哉)では父と息子、『男たちの挽歌』では兄と弟、『違国日記』では姉と妹であったが、いずれにせよ「許し」という言葉がキーワードになる。
しかし彼ら彼女と違い、私の場合は母のことを許すとか許さないとかではなく、なんだかずっと不義理を働いているような気持ちがしているのだ。何か酷いことをされたわけではないし、愛情を持って育ててくれた尊敬すべき母親だけれど、私の方では家屋や土地や墓や苗字を継ぐ気はさらさらないし、正直に言えば介護もしたくない。
そして、そんな冷たい人間であることを自覚させられるから地元へ帰る足が遠のく。

……と言いつつ先ほど東京熊本間の航空チケットを取り、仕事のスケジュールを確認して年末年始の9日間を実家で過ごすことを決めたのだった。

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