【雑記】思い出を残しておくということ

なぜ書かなかったのか

私は中高一貫校の出身なのだが、私の学校では高校受験の代わりとして学生に卒業論文/制作を課していた。そこで私は当時ハマっていた京極夏彦に憧れて、上田秋成『雨月物語』の『夢応の鯉魚』という作品を翻案した小説を書き、学内でそれなりに良い賞を取った。今までの人生の中で多分一、二を争うくらい頑張って、嬉しかった瞬間でもある。
ただ、書き終わって改めて自分の作品を振り返ってみると上手く書けていないところにばかり気がついて嫌になってしまった。美しい文章、鋭い批評、ユニークな物語を読むたびに、世の中にはもっともっと上手い表現者がたくさんいて、自分の書く言葉なんかとっくの昔に誰かが書いているんじゃないかと思った。誰かが言った言葉の劣化コピーみたいな言葉を吐いて、一体何の意味があるんだろうか。誰かの劣化コピーみたいな言葉であることを自覚しつつ、それでも言葉を捻り出すほどの価値があるんだろうか。

そうして私はものを書かなくなってしまった。いや、大学に入学した時点では実はまだ哲学者とか批評家みたいなものに対する憧れもあったのだけれど、そんなにたくさんのテキストに耽溺する熱意もなく、ワナビーを続ける覚悟もなく、だんだんと数学や統計学の方が楽しくなってきてしまった。そうして私は文学部に進むことを止め、情報技術者の端くれとして働いている。

(前略)すなわち、前者にとって、「人間」はバイアスの源ですが、後者にとって「人間」は価値の源泉であるわけです。
断言はできませんが、どちらかといえば、前者は理工系、後者は人文社会系に特徴的な態度といえるでしょう。

隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』

たぶん、多くの"文系"や"理系"を自認する人はこの言葉に共感を覚えるのではないだろうか。理工系の分野の良さというのは同じ方法論を持ってすれば(理想的には)誰でも同じ結果が出るところだと思う。これは結構"理系"の人間からすると気楽なところで、要は作り手の個性などというものは不要なのだ。だから、私的なテキストなどを書く必要はない。そういう教育を受け、それに感化されて私は大学院の修士課程を修了した。

じゃあ、なぜ今また書くのか

写真機は要らないわ 五感を持ってお出で

東京事変『閃光少女』

なんとなく旅先で写真を撮るのが好きではなかった。思い出を残そうという行為が、それに縋ろうとしているみたいでなんとなく浅ましく思えていたから。過去を振り返って生きていくなんて格好悪い、本当に大事な気持ちなら記録に残さなくてもきっと覚えている、と息巻いていた。カメラを取り出すのが億劫だから、というのもある。

でも、何かに残しておかないと人はすぐに忘れてしまう。写真がないと、そこに一緒に行った人や、行ったこと自体を忘れてしまうこともある。半ば無理矢理に撮ったiPhoneのカメラロールをなんとなくうっとりと見返していると、写真に残っていない期間のことはかなり記憶が曖昧になっていることを実感する。一緒に写っているこの人は今も元気かな。もうきっと二度と会うことはないだろうけれど、それでも元気でいてくれるならそれだけで嬉しい。そして、写真がないとそんな交流があったこともすぐ忘れてしまう。これは仕事においてもそうで、何か論文を読んだり、技術記事を見たりしていても、きちんとアウトプットしないとすぐに忘れてしまう。人間は、いや少なくとも私は、かつて自分に期待していたほど物覚えがよくない。誰かに見せるものではなくても、記録にしておかないといとも容易くなかったことになってしまうのだ。

牛はなぜ食べたものを反芻するのか。それは単に味を何度も楽しむためではなく、反芻することで滋味を得るためだ。

誰のためでもなく、反芻によって自分自身から滋味を得るために、もう一度何かを書いてみようと思った。大学初年度くらいまでの私は、誰かに読まれる価値のあるテキストを書かなくてはならない、と思っていた。でも、プロでもなければ別にそんなこともないのだ。Twitter(未だに私は意思を持ってTwitterと呼んでいる)の140文字では反芻のための強度が足りないし、後から見返すのにあたって利便性も低い。忘却に抗うために、自己満足のために書くのだ。

文章を書くというのは結構難しい。長くなれば長くなるほど、段落間の繋がりを求められる。ぽんぽんと書きたい一文だけが浮かんできて、段落間の整合性を取るのに苦労する。でも、他人に読まれるものじゃなければそんなに気にすることもない。

それに、また最近「何か書いてみたら」と言われることが何回かあった。
受け取ってみて、思ったより嬉しい言葉だな、と思った。他の人から見たときに、ある人との思い出というのはほとんどその人自身のことだ。私から出た言葉が私の印象を形成する。それをどこかに残しておいたら、と言われることは結構嬉しいことだ。

何を書くのか

見た映画とか、読んだ本とか、遊んだゲームとか、学んだ技術の話とかをとりとめもなく書いていくと思う。そこに紡がれた言葉こそがきっと私だし、それこそが私だと思ってもらえると至上の喜びだ。

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