【実録】なぜ私は婚活に臨み、いかにして失敗し、そこから何を得たか
概要
どうして婚活をしようと思ったの?
寂しかったから。さっさと一人と恋愛して結婚して安定したかったから。
どうして失敗したの?
結婚と恋愛の違いがわかっていなくて、しかも会ったばかりの人から期待や好意を向けられる可能性が怖かったから。
婚活から何を得たの?
それなりの自己肯定感と、思ったより自分が嫌なヤツだったという気付き。自分が結婚や恋愛に本当に望んでいたものの正体。
次に自分を好きになってくれるかもしれない人がいたら大事にしよう、という決意。
まえがき
2024年の締めくくりとして
もうすぐ2024年が終わる。
この一年、私は婚活をしていた。
「していた」と過去形になっているのは良いこ゚縁が見つかったということではなく、活動の辛さに耐えかねてたった4ヶ月で結婚相談所を退会し、その後は特に何もしていないということだ。
今年の汚れは今年のうちに……ではないが、清算の意味で私が経験したこと、考えたことを出来るだけ多く書き残しておく。
これから婚活を始める人、婚活の流れが気になる人には前半部分、私が体験したことと感情を時系列に沿って述べるパートが役に立つだろう。
一方、特に婚活に興味はないが、「恋愛や結婚がうまく行かない人」の典型例を知りたいという人には後半部分のほうが面白いかもしれない。
と言いつつ、後半部分の自己分析はごくごくありきたりなもので、私自身色々なところで見聞きしていた話と似たような内容でもあったのだけれど、自分ごととして捉えた失敗の理由は骨身に染みるものだった。
非常に長い文章になってしまった(2万字弱ある)が、一部分であっても読み物として面白いと思ってもらえれば幸いだ。
選ばれるためのテクニックではなく、自分自身のマインドこそが大事だということ
世の中の婚活アドバイザーは「選ばれるための努力」について語る。
大事なことなのだが、実はそれだけでは婚活はうまくいかない。
見た目やコミュニケーションといった表面の改善だけではなく、自分自身の心構えが整っている必要がある。
表面の部分を整えるのは楽ではないが、やるべきことは割と決まっている。
女性についてはわからないが、男性の外見ならひとまず肌と髪とヒゲと眉と服と体型に手をかければとりなえずなんとかなる。
コミュニケーションはいろいろな人(出来ればあなたに優しい友人ではなくプロ)と話してフィードバックをもらおう。
一度に全部やるのは大変なのでコツコツやろう。
いずれにせよ、改善のためのメソッドはたくさん転がっている。
実はそれよりも大事なのが心構えだ。
こちらについては、何が問題なのかというのは案外わかりにくい。
解決法も人それぞれだ。
婚活に関して勝ち負けという言葉を使うのは適切ではないかもしれないが、婚活が上手く行かなかったのは自分が成熟していなかった、自分に負けたからだという実感が強い。
しかし、それに気づけたのも大きな財産だった。
仮に結婚という結果に結びつかなくても、多大なお金と労力をかけて婚活に臨むだけの価値はきっとあるはずだ。
もしこれを読んで自分も婚活をやってみようかと思う人がいれば、私はあなたを心から応援する。
なぜ私は婚活しようと思ったのか
私の頭の中には常に言葉が渦巻いている。
絶えず何かを考えていて、それはいつも溢れだしそうなくらいだ。
休日は趣味があるから別にいいのだが、平日夜遅くに家に帰って来ると、「誰か話し相手がいたらなあ」と思う。
「今日は寒かったね」とか。
「この前見た映画が面白くてさ」とか。
「職場でこんな話を聞いてね」とか。
「人生で一度はここに行ってみたいね」とか。
そういう他愛のない言葉を、思いを誰かと共有したい。
朝5分、夜10分くらいでもいい。頭の中で堂々巡りを続ける言葉たちを吐き出して、誰か別の人の言葉を吹き入れる。
しかも、それが自分の好きな人のものだったらどんなに良いだろう。
私が当初思い描いていたモチベーションはそんなものだった。
ただ、「後から考えてみると他愛のない言葉のやり取りだけでいい」というのは不足があったのだが、当時の私はそれに気がついていなかった。
しかも、厄介なことに私の好きな人のタイプは「尊敬できる人」だ。
男女問わず、これを言い出すタイプは予後がよろしくない。
運良くそんな相手が見つかって両思いになれれば良いのだけれど、大抵は理想を追い求めて苦しみ続けているような人が多いように思う。
ともかくそんなことを思っていたのだが、かと言って身近な人には振られ、マッチングアプリはうまくいかない(というかそもそも好きになれそうな人がいない)。
恋愛経験はないくせに、一度誰かに思いがとらわれると結構脳のリソースが持っていかれるのだが、それも結構辛い。
誰か一人と恋愛してさっと結婚してしまえば、そういう苦しみから抜け出してすごろくの「あがり」の状態になれるのではないか、そうしたらきっとぶれぶれの私の人生の指針も安定するのではないか……という打算もあった。
これも今思えば大変良くなかった。
結果として「結婚したから安定する」ケースは存在するが、「安定したいから結婚したい」はおそらくあまりうまくいかない。
こと婚活市場において、自分が安定していないままに他者を受け入れるのは難しいからだ。
結婚相談所入会時のスペック
年齢:26歳
容姿:『ザ・ノンフィクション』婚活回の進藤さんに近い
年収:550万円
職業:データサイエンティスト
転勤:ない
家事能力:一人暮らしをギリギリ成立させる事ができる程度の自炊掃除洗濯は出来る
学歴・学校歴:東大理系修士卒
居住地:東京23区
出身地:福岡県
続柄:長男
身長:163 cm
体重:57 kg
酒:付き合い程度(でも酒飲みは好き)
タバコ:吸わない(でも喫煙者は好き)
ギャンブル:しない
筋肉:ない
恋愛経験:ない
交友関係:友人は男女問わずそこそこ多いほうだと思う
趣味:ゲーム、映画、読書
子供の希望:どちらでもよい(本心は欲しくない寄り)
年齢の若さでややプラス、身長の低さでややマイナス、あとは東京の結婚相談所に所属する平均的な男性像だったと思う。
先に言ってしまうが、私の婚活が上手くいかなかったのはスペックのせいではおそらくない。
市場価値が高いというわけでは決してないが、戦えないというほどでもない。
実際の経緯
婚活決意期(2022年~2024年1月)
うまくいかないマッチングアプリ
この期間を通して、ちょくちょくマッチングアプリをやっていたのだが、鳴かず飛ばずで2週間位でやめる、というのを3回ほど繰り返していた。
いくら「いいね」を送っても全然返ってこないし、どうにもやりとりを続けるのがしんどくなってしまう。
本気で相手を探すにはもう結婚相談所で尻を叩かれながらやるしかないのかもしれないな、とぼんやり思い始めた。
結婚相談所は若い男性が有利らしいし……。
これも結構危うい姿勢で、確かに戦う場所は大事だが、マインドを変えず場所だけ変えてもあんまり意味がないのだ。
少しずつ美容を気にするようになる
2022年9月頃から美容メインの皮膚科に通うようになった。
もともとアトピー性皮膚炎の治療で皮膚科にはかかっていたのだが、だんだんニキビが気になりだして、審美的な観点でもアドバイスを受けられるところを選んだのだった。
それまで通っていたところの先生からはあまり化粧水や乳液などの話を聞いたことがなかったのだが、新しいところの先生の話を聞いて保湿の重要性を知った。
スキンケアのぶんお金はかかるようになったが、薬を減らしつつかなりニキビやアトピーが減った。
周囲からも「だいぶ肌綺麗になったよね」と言われるようになった。
そして、自分が思っていた以上に肌が自分のコンプレックスになっていたのだな、と気づいた。
そういう意味では、私にとってスキンケア用品というのは抗うつ薬のようなものだ。
自分の肌が気になるがスキンケアをやったことがない……という各位は是非試されたい。
同じ時期からヒゲの脱毛を始めていた。
皮膚科の先生から、カミソリ負け由来のニキビの根本的な解決にはヒゲの脱毛が良いですよ、と教えられたのだ。
15万くらいのコースだが、私の顎の毛根が強力なのか、毛量や生えるスピードは確かに減ったものの2年経った今も相変わらず青々としたヒゲが生えている。
経験者はわかると思うが、医療脱毛は本当に痛い。
麻酔クリームを塗っていても痛い。
毛量が減ってきても、照射するレーザーの出力が上がっていくのでずっと痛い。
これを2年、3年と続けていくのは結構辛い。
とはいえ頬や首あたりの産毛みたいなヒゲや鼻の下はだいぶマシになったしカミソリ負けも減ったので、やった価値はあった。
歯のホワイトニングもやればよかった……と思いつつ、なんだかんだ先延ばしにしたり虫歯の治療をしていたりうちに時間が経ってしまった。
これから婚活を始める人がいれば、歯周りの改善も結構時間がかかるので早めに歯科にかかることをおすすめする。
婚活パーティーに参加して結婚相談所への入会を決意する
決定的だったのは2024年1月だ。
軽い気持ちである婚活パーティーに参加したのだが、男女共に年齢が上がるほど"癖が強い"人の割合が上がっていくということを痛感した。
自分が"普通の人"なのかどうかは全く自信がないが、仮に"普通の人"であり続けたとしても、"普通の人"とマッチングできる可能性はどんどん減っていくのだ!
ちなみに、そのパーティーで私が「この人癖が強いな……」と思った男女は結構仲良さそうにしているようだ。
急がなければ。
今の私に、他の男より価値がありそうなのは若さしかない!
あらゆるリソースに格差があるこの世の中で、時間だけは誰にとっても平等だ。
これだけは自分の武器にしなくては。
そんな気持ちで結婚相談所への入会を決意したのだった。
婚活準備期(~2024年5月)
結婚相談所への入会
数多ある結婚相談所の中からインターネットで評判が良さそうなところを探し、3社ほど説明を受けた。
そのうちの1社に最終的に入会したのだが、決め手は「仲人(結婚相談所では活動をサポートしてくれるスタッフを仲人と言う)が担当制ではない」というところだった。
「仲人と反りが合わなくて婚活が上手く行かない」という体験談を目にしていた私は、「担当がしっかり決まっていないほうが色んな人に相談出来て良いかもな」と思ったのだった。
……が、すでにここにも私の失敗の理由の一端が表れている。相談所側が悪いということではなく、「一人の担当仲人と深い関係を結んでしっかり伴走してもらう」という覚悟が私になかった。
さて、入会を決めた私は活動開始に向けて動き出した。
結婚相談所のシステムを知らない人の多くが勘違いをしているが、現代の結婚相談所のシステムはほとんどマッチングアプリと同じだ。
各連盟ごとのアプリを使って相手を探し、気に入った人がいればお見合いの希望を出す。
希望を出した場合に会える確率は年齢・性別・年収・申し込み相手のレベルなどによっても変動するが、概ね5%~10%というところだ。
システムを通じて誰かが紹介されることもあるが、その人に申し込んだらお見合いが確定するという仕組みでもなく、よくある推薦システムのレコメンド機能と大差ない。
申し込みの受諾率に興味があるなら、詳しくはIBJ(最大手の結婚相談所の連盟)が作成している成婚白書やその解説記事を見てほしい。
もしあなたがデータを分析することを生業とする人であれば、これだけで論文の一本や二本は書けそうだと思うであろうくらい興味深いデータだ。
マッチングアプリと違うのは、まず第一に参加している人の層。
相談所にもよるが、結婚相談所での活動には数十万かかるのもザラだ。
女性の方が安い…などということも基本ないので、必然的に男女ともにある程度の収入がある人が多くなる。
身元証明ができているのも大きい。
相談所によってはお見合料がかかったりする。
個人的に一番良いと思ったのは、お見合い希望を出した・受けた後最初のお見合いまでは相手と直接やり取りするのではなく、仲人さん経由でセッティングを行うところだ。
マッチングアプリによくある、最初に会うまでの牽制みたいな薄いやり取りをしなくてよいというのはとても快適だ(自分にとってはこれが一番ストレスだった)。
一度会ってしまえば、それ以降のコミュニケーションのハードルは大きく下がる。
プロフィールを作っていく
プロフィールの作成のために仲人さんから様々な質問を受け、テキストで丁寧に回答していく。
数千字くらいはメールで回答したと思う。
プロの手によって私のプロフィールは美しく整えられ、さも結婚に適した素敵な好青年であるかのように作り変えられていく。
ここは本当にプロの業だな……と心から感心した。
写真も仲人さんのおすすめの写真館で撮ってもらった。
2万円くらいかかったが、確かに誠実でスマートそうな青年が写った良い写真が撮れた。
友人に見せると大概「えっ……」みたいな顔をする。
私自身なんだか詐欺みたいだなと思ったが、何度かお見合いを重ねているうちに「女性側もプロフィール写真は自然な範囲で盛ってるな」と気付いたので、お互い様かな、と思った。
メガネを外したほうが良いとアドバイスされたが、他のところはともかくどうしてもメガネだけは外したくなかった。
見慣れていないだけなのかもしれないが、メガネをかけていない自分の顔は普段以上に好きじゃない。
自分の外見に自信のない私の数少ない好きな部分が「そのへんの人よりちょっと賢そうに見えるのではないか」「文化的っぽい匂いをさせているのではないか」というところで、それを象徴するようなメガネが無くなったらもう私に外見的に良いところが何も無くなってしまうような気がしている。
正直、メガネを掛けていないところを異性に見られるのは上裸を見られるのよりも恥ずかしい。
それでも一応眼科に行ってコンタクトレンズを作ろうとしたが、2回ほど行ってうまく自分の目に合うレンズがなく、もっと合うレンズを探す気にもなれず行かなくなってしまった。
この辺の頑固さも思えばダメなところの一つだったと思う。
とは言え、ちょっとでもオシャレそうに見えるようにメガネは新調した。これは3万円くらいだったろうか。
あと、ヒゲが濃いと指摘されたのでBBクリームを塗って隠すようにした。ただ付け焼き刃だったので、今思えば会った人は塗りムラとか気になってたかもしれないな…。
武器になりそうなものを少しずつ揃えていく
少し時期が前後するが、2023年末から料理教室に通い出した。
通い出したと言っても月1程度であったが、婚活プロフィール文でアピール位は出来るかな、という打算だった。
料理が上手くなったかは微妙である。
以前よりはマシなものを作れるようになったかもしれないが、手間暇かけてこれならCookDoで十分だな…とも思うようになった。
ただ、その時習った麻婆豆腐とハンバーグのレシピは今でも使い続けている。
2024年1月ごろは人生の中で一番太っていた時期だったので、入会までに62 kgから5 kg落として57 kg弱までこぎつけた。ちなみに今はリバウンドして58.5 kgに戻った。
3月頃、人生で初めてオーダーメイドでスーツを作った。
一式で8万強だったと思う。
就活以降はほとんどスーツを着ていないので、ほぼお見合い専用スーツである。
こんな自分でも、カチッとしたスーツを着るとなんとなく様になって見える。
自分の体型に合わせて作るので、これを着続けるには体型維持が必須だな……と思った。
この頃から眉毛サロンに通い出した。
美容室でも眉の手入れしてもらえるから別に……と思ったのだが、実はかなり効果が大きい。
眉毛は顔の額縁と言うらしく、眉毛の手入れをしっかりするとたしかに顔の印象が締まって見える。
毎月通い続けるのは正直コスト面でつらいが、あまり眉毛を気にしたことがない方は一度行ってみると良いだろう。
婚活初期(2024年6月)
思うように活動が進まなくて焦っていた時期
諸事情のため入会から活動開始まで少し遅れ、結婚相談所のアプリに私の情報が掲載されるようになったのは6月に入ってからだった。
結婚相談所では、いわゆる「入会バブル」というものが発生することがある。
新規会員にお見合いの申し込みが殺到し、入会から数日で数十件から100件、200件もお見合い希望がくるようなケースだ。
また、新規登録直後に申し込んで来てくれる人の中で一番いい人がピークで、あとはだんだん申し込んでくれる人のレベルは下がっていく……と聞いたこともあった。
結構期待していたのだが、私には入会バブルは一切なかった。
お見合いの申込みは最初の2週間でせいぜい2~3件程度だった。
その後もだいたい月1~2件申し込みがあるかどうかというところで、ここでも私には需要がないのだろうか……と少し落ち込んだ。
とは言え落ち込んでいても始まらないので、一定の条件で絞り込みをかけて数百人のプロフィールを熟読して申し込み希望を出していった。
好みの外見はあるけれど、(おそらく世間一般の男性に比べると)相手の容姿に対する比重は小さいので、一人ひとりをチェックするのにかなり時間がかかった。
20代男性の場合、お見合い申し込みの一般的な受諾率は8~9%。
一ヶ月に四人と会うとして、一ヶ月にだいたい40人から50人に申し込みを出せばよいはずだ。
50人に申し込むというのは結構大変なことで、画一的に整えられてしまった写真やプロフィールで人の魅力がわかるなんてことはほぼないから、正直に言うとどの人も似たりよったりに見える。
その中でなんとか「この人なら何か話せるんじゃなかろうか」と会話をシミュレーションしてみて、良さそうなら特に心から惹かれるような部分がなくてもお見合い希望を出す。
プロフィールが良さそうだからと言って会って楽しいかと言えば必ずしもそうでもないし、逆にあまり話すことがないんじゃないか、と思いながらお見合いに行ってみたら意外と話が弾む、なんてこともあった。
婚活全体の中でも、こうしてお見合い希望を出し続ける時期は結構辛いほうだと思う。
当たり前のように断られるし(当たり前のように、ではなく当たり前なのだが)、すぐに良いなと思えるような人はどんどん減っていく。
そうして何人かとお見合いにこぎつけたのだが、最初の方は勝手もわからず、なかなかお見合いから先に進めなかった。
少しでもお見合いから先に進めるように、プロフィール写真の(詐欺みたいに)盛れた写真を再現するにはどうすればいいかと考えて色々試行錯誤したりした。
友人からのアドバイスも聞き入れて髪型だけでも写真に近づけようとしたが、残念ながら完全な再現は無理だと判断し、なんとか自分一人で出来そうな髪型として七三分けにたどり着いた。
この辺りで気づいたのだが、美容が好きな人というのはある意味美容のオタクで、興味対象が違うだけで我々のような典型的インドアオタクとそう違わないのだ。
興味対象が違うだけなのに異性からのウケが変わってくるというのも悲しいものだが……。
婚活中期(2024年7月~8月)
だんだんコツが分かってきた時期
お見合いをこなし、だんだんお見合い相手と仮交際(いわゆるお友達フェーズ)に進めるようになってきたのがこの頃だ。
ある程度「自分がどんな層にウケが良いのか」「どうすればお見合いの後交際希望を出してもらえるか」というのがなんとなくわかるようになってきた。
相変わらず女性側からの申し込みはほとんど無かったが、層を絞ってこちらから申し込んだ際の受諾率は10~15%ほどとかなり高かった。
自分が気をつけていたのは、「相手に気を遣わせないこと」「この人と会うと疲れるな、と感じさせないこと」だった。
一度会って好かれるようなことはないので、ひとまず「話していて楽しい」「嫌ではない」と思われるレベルを目指す。
お見合いで自分が話しすぎると交際希望を出されないというのはよく言われることだが、かと言って沈黙は気まずい。
初めて会ったのに沈黙が苦にならない、なんていうのは余程相性が良くない限り起きないのだ。
だから相手に質問するのだが、プロフィールに書いてあることを何でも聞けば良いというものではない。
プロフィールは読んでいないとマイナスになるが、穴が空くほど熟読して暗記したところで大してプラスにはならない。
大事なのは、自分が興味を持てそうな話題を出すことだ。自分は動物好きでもないのに相手がプロフィールに猫好きと書いているからといって「猫好きなんですね」なんて言ってもお互い虚しい気分になるだけだ。
プロフィールを読んでも一つも聞きたいことが出てこないようなら自分から調べに行くべきだし、どうしても出てこないようならそもそも最初から申し込むべきではない。
ちなみに食と自炊の話題は大体誰と話しても盛り上がる鉄板ネタである。
最近作ったご飯の話、やる気が出ない時の限界飯、手癖で使いがちな調味料、使い切れないで腐らせてしまった具材、などなど……。
今日日多くはないと思うが、これから婚活を考えているが一切自分で料理をしない男性諸氏はたまにでも自炊することを勧めたい。
自分でお弁当を作って会社に持っていきます、なんて人に対して自然と敬意を持つようになる。
そしてもう一つ、自分から先にドン引きされないくらいの軽いマイナス情報を出しておく、というのもよくやっていた。
「プロフィールには〇〇をよくやるなんて書いているけど、最近サボっちゃってて」なんていうのは自分から言い出してしまう方が良い。
オタクトークも盛り上がればかなり強い。
相手の方も「プロフィール通りの自分を演じないといけない」と緊張しているから、こちらからハードルを下げることで相手も緊張が和らぐ。
もちろん百発百中とは言わないまでも、自分なりにベストを尽くしてもお見合い後に断られるのであれば仕方がないと諦めも付く。
「良い人だけれど好きになれない」と悩み始めた
こうしてだんだん「好かれる」までは行かずとも「嫌われない」が出来るようになったのだが、私の心は別に楽しくはなかった。
よくある話なのだが、婚活の場では、誰と会っても好きにはなれなかったのだ。
婚活でおそらく最も多いのが「良い人なんだけれど好きになれない」という悩みだ。
ご多分に漏れず私も同じ悩みを持つようになった。
心がときめくような恋愛よりも「この人といると安心する」のような安らぎを重視したほうが良い、というのもよく言われるが、その意味では昔からの友人たちと一緒にいるほうがずっと安心する。
「女性は男性をすぐに好きになることはほとんどない、だからピンと来なくてもとりあえず継続して会ってみて」というアドバイスもよく聞くが、男性側も女性側も気持ちが高まらなければ交際を続けていくのは難しい。
お見合いや仮交際1回目のデートくらいならともかく、その先となるとだんだん「他所様向け」の自分を取り繕うのに疲れてくる。
仮交際にも入って「他所様向け」の態度を取り繕おうとする自分にも嫌気が指してくる。
取り繕った自分ではない自分で誰かと親密な関係を築きたいと願っていたのに、どうして私は真逆のことをしているのだろう。
そして……恥ずかしいことに、私はかなり相手の学歴・学校歴を重視していた。
別に大学受験の出来がその人の賢さとか教養とイコールであるわけではないし、そもそも自分が一方的に他人を「賢い」とか「教養がある」なんてジャッジして好き嫌いを決めようとしているのにも腹が立つ。
一方で、自分に近い学歴・学校歴の人と話している時の強い親近感や気楽さもまた否定しがたい。
率直に言って私は東大卒の人間(学部・大学院問わず)が好きだ。
理屈っぽくて、群れたがらなくて、どこか生真面目な彼ら彼女らが大好きだ。
文I→法学部→商社/コンサル/官僚みたいな王道ルートから外れた人ならなお良い。
しかし日本では東大や入試難易度が高い大学や学部における女子比率は低く、従って婚活の場においても高学歴・高学校歴の異性は多くはない。
(このことは大きな問題で、アファーマティブ・アクションだけで解決する問題でもないとも思っているのだが……話が逸れるので一旦措く)
そうなるとどうしても自分が望む属性の異性は少なくってしまうのだ。
この頃は、お見合い希望や仮交際希望を断られるとむしろホッとするようになっていた。
・小休止へ
8月頃、お会いしたうちの一人と4回目、5回目のデートに行くことになった。
仮交際のデートでは3回目で真剣交際(恋人フェーズ)の打診をするのが基本……なんてのを真に受けた訳では無いが、何回も会っていると流石に先を見据えた会話をしなくてはならなくなる。
結婚したらどんな生活をしていきたいのか、何にどれくらいお金を使うか、東京に住みたいのか、家を買いたいのか、子供は欲しいのか、などなど……。
しかし、私はどうしてもそんな話をする気になれなかった。
それどころか、「もし色んな価値観が合致してしまって、真剣交際に入るかどうかというところに本気で向き合わないといけなくなったら困る」と思っていた。
どうしてもその人を好きになりきれなかったし、私には「こんな生活をしていきたい」というのがほとんどなかった。
5回目のデートを終えて、私は交際終了を申し出ると共に半月ほど結婚相談所での活動を休むことにした。
8月末に資格試験があるためそれに集中したかったというのが大きいが、一度婚活から気持ちを離したかったというのもある。
多分お相手も私のことをそれほど好きだったというわけではなくて、でも好きになろうと努力はしてくれていたと思う。
婚活ではなく、友達としてゆっくり交流を深めていたら好きになっていたかもしれないのにな、と思うと少し悲しかった。
どうして私が婚活の中で出会った人を好きになれなかったのかについては後ほど考察することにしよう。
婚活後期(2024年9月~10月)
退会が頭をよぎりだした時期
8月末に資格試験が終わり、改めて婚活を再開したが、相変わらずお見合いの申し込みも誰かと会うことも億劫だった。
この頃から、もう休会か退会してしまおうか……と思い始めていた。
3ヶ月という活動期間は短いが、もう仮交際のお断りの連絡を入れるのが辛くて仕方がなかった。
成婚白書によると、20代後半の成婚者のお見合い数の中央値は8、仮交際の数は3だ。
既に10人近くお見合いをしていて、そのうちの約半分と仮交際に進んだが交際終了していた。
「良いご縁があるかもしれない」と期待できているならともかく、そうではない状態で活動をしても相手に失礼なだけだ。
これでもう最後にしよう、と思って最後に会った人は、それまでで一番気が合う人だった。
相手も自分に興味を持ってくれていたようだし、「この人でダメだったら、今の自分では婚活で結婚することは出来ないだろう」と思った。
それでもやはり、真剣交際に踏み出すかもしれない、この人と生活をするかもしれないと思うと先に進むのが怖かった。
私は結婚相談所に交際終了の連絡と、活動を終了して退会するつもりであることを伝えた。
4ヶ月ほどの結婚相談所での活動の中で12人とお見合いし、そのうちの6人と仮交際に進んでもう一度会った。
3回以上会ったのは二人で、仮交際以降は全て自分から交際終了を申し出た。
退会直後
退会直後はそれまでの重荷から解き放たれたような気分で、婚活について相談していた何人かの友人に「やっと相談所退会した!ハッピー!!!!」と勢い任せにLINEを送った。
ただ、一ヶ月ほどして「結婚相談所でダメならもう自分は一生結婚も恋愛も出来ないのではないか」という疑念がじわじわと脳を蝕み始めた。
自分のスペックを鑑みるに、結婚相談所という選択は他のマッチングサービスと比べて最も自分が有利になれる場であったことは間違いない。
肩書きだけ見れば、いかにも「真面目で結婚向きの独身男性」っぽく見える。
もう少し年収が高ければさらに需要があったかもしれないが、いずれにせよ大差はないと思われる。
その結婚相談所でダメだったら、もう積極的に自分から出会いの場に出向いていってもどうしようもなくて、「自然な出会い」という頼りない運任せしかないのではないか。
正直に言って、これは今でも解決できていない。
だからこそ、失敗の原因を分析し、次――次とは何かもよくわからないのだが――に活かしたいのだ。
いかにして私は失敗したか
ここまで私の婚活のいきさつを追ってきたが、このように書いていると結婚できなかった理由がよくわかる。
ありきたりな結論を言ってしまえば、私の婚活が上手く行かなかったのは私が恋愛と結婚の違いをわかっていなくて、しかも誰かと親密になることを心の中で恐れていたからだ。
「愛-性-結婚」の三位一体のイデオロギー
「結婚と恋愛は違う」とよく言われる。
結婚を経験した人の多くがそう言うのだから、実際そうなのだろう。
しかし、私を含めた日本の多くの独身男女はそれに納得出来ない。
7年前のキャッチコピーではあるが、未だにこの言葉は多くの婚活男女が共感するものだろう。
私達は、恋愛の先に結婚があると思っているし、結婚するためには恋愛したい/すべきだとも思っている。
高橋幸・永田夏来編『恋愛社会学 多様化する親密な関係に接近する』(以下『恋愛社会学』)では、1990年代以降の不況、そして(多少マシになったとは言え)根強く残る性別分業役割の中で恋愛感情が結婚願望と読み替えられてきた経緯について語られている。
ここからは私見だが、経済的には必ずしも結婚しなくても良くなってきつつある2024年において、結婚は長期的な親密さの象徴であり、それ以外の役割が薄くなりつつあり、最も重要な目的である長期的な親密さの実現を予測する変数としての短期的な親密さ=恋愛感情が重視されるようになっているのではないか。
同書では、出会い方がお見合いか恋愛かというのは必ずしも結婚後の幸福に大きな違いはないと指摘している。
ポジショントークを多分に含んでいるだろうが、各種婚活サービスも「お見合い結婚は恋愛結婚よりも離婚率が低い」と報告している。
これは結婚を経験したことのある人にとっては納得できる事実なのかもしれないが、それでも未婚者(特に恋愛経験の少ない人)にとって結婚には恋愛が必要である、ように見えてしまう。
なぜなら、恋愛の情熱以外に長期的な親密さを維持するために必要な要素がわからないから。
私は恋愛がしたかった(出来れば一人とだけ)し、その人と長期的に親密な関係を築きたいとも思っていた。
しかし、結婚して一緒に生活を創り上げていきたいと思っていたわけではなかったようだ。
苗字を変えたり、家を買ったり、車を買ったり、子供を育てたり……そういった行為は、自分の将来の方向性を大きく制限する。
もともと生活に興味が持てなくて、しかも結婚によって発生する様々な制限によって生活がさらに窮屈になる……というのは、私にとっては安定というより足枷に見えた。
「じゃあ結婚じゃなくて恋愛でいいじゃん」と言われればそれまでだ。
でも、長期的に恋愛をするとなると結婚"しなくてはいけない"あるいは結婚を"迫られる"と思い込んでいたし、恋愛市場より婚活市場のほうが自分への(表面的な)需要が高いこともわかっていたから、「自分は結婚したいのだ」と思い込んで婚活を始めた。
しかし、自分の本当の欲望がわからないまま婚活をしても上手く行かないのだ。
『恋愛社会学』第6章では、現代の「愛-性-結婚」の三位一体のイデオロギーの中で、若い未婚男性が結婚やそれに結びつく恋愛を「失敗できないもの」とみなしリスク回避的になる理由が書かれている。
平たく言うと、「女性は早く結婚したい、子供を欲しいと思っている(と認識している)から、その女性たちと恋愛をする自分たちも結婚を視野に入れざるを得ないし、だからこそ恋愛に対して慎重になる」というものだ。
現代日本において結婚は「失敗できないもの」で、さらに「愛-性-結婚」の繋がりが強くなれば強くなるほど恋愛もまた「失敗できないもの」になる。
しかし、そうやって慎重になればなるほどいざという時に決断ができないものだ。
高橋によれば、「愛-性-結婚」の三位一体のイデオロギー="ロマンティックラブ・イデオロギー"という語を初めて使用したのは上野千鶴子であり、上野は最初からこの3つのつながりを批判し解放することを目指していた。
しかし、皮肉なことにこのつながりは90年代以降さらに強まりを見せているように見える。
失望されること/失望することへの恐れ
誰かと親密な関係を築くことが怖い。
「そんな人じゃないと思ってた」と言われるのが怖い。
「期待していたのと違った」と思われるくらいなら、好かれないほうが良い。
日常のどの場面であっても、(特に関わりが薄い人から)何かを褒められると「きっと今日がピークですよ」「残念ながらもうこれからそんな良いところは出ませんよ」と言ってしまいたくなる。
他人とセックスすることも怖い。
自分の動物的な部分での弱さや醜さが露呈して失望されてしまいそうだから。
論理や言葉で戦える領域(受験勉強、文章作成、机上で処理できる学問、議論、デスクワークなど)なら大体なんでもこなしてきた。
一方、身体が物を言う分野(体育、スポーツ、接客系のアルバイト、科学実験、手技、反射神経を要するゲームなど)ではいつも私は不出来だったし、全然上手くならなかった。
それなりに長い付き合いがある人であればともかく、婚活で会ったばかりの人に期待されてしまう可能性がほんの少しでもあると居心地が悪くなる。
同じように、会ったばかりの他人に何かを勝手に期待して、失望してしまうかもしれない自分も怖い。
自分がされて嫌なことは、きっと他の人も嫌だろう。
他人に嫌なことをしてしまうかもしれない自分が嫌いだ。
私は(あるいは婚活で「相手を好きになれない」と嘆く人々は)「好きになれない」のではなくて、会ったばかりの人に何かを期待されて失望されること、何かを期待して失望してしまうことを恐れていた(る)のだと思う。
私の恋愛の情熱の根源は、「尊敬できるあの人の一番の親友になりたい、隣りにいる私になりたい」だ。
私が好きで尊敬する人というのはたいてい「賢くて孤独な人」である。
そして、これは私が憧れる人物像でもある。
賢い人が好きだし、賢くなりたい。身の回りの半径5 mのもっと先に関心がある人。言葉をうまく使える人。科学とか、文化とか、人類が蓄積してきた叡智を尊重出来る人。
孤独な人が好きだし、孤独の良さを知っている人でありたい。和而不同。社交を断つわけではないけれど、かといって安易に他人に迎合することはなく、自分の意思を持っている人。
そして、賢くて孤独な人の、唯一隣にいる人でありたい。
でも、そういう性質は、婚活のプロフィール文や数回のデートでは絶対に出てこない。
年収や趣味や仕事はどうでもよくて、普段その人の奥深くにしまわれている部分こそが魅力なのだから。
孤独な人に憧れているから、誰かと親密になろうとして恋愛や婚活市場に乗り出していく自分を蔑んでいる。
それを他人にも投影してしまうから、マッチングアプリや婚活で会う人を心のどこかで見下してしまう。
市場の外で出会った人の中で、尊敬できそうな人を好きになる。
その人はだいたい孤独そうで、それなりに長い付き合いもあるから、私に期待しなさそうに見える。
実際は本当に孤独なのではなくて、大抵は単にその人が私に対して恋愛的な関心がないだけなのだが、いずれにせよ自分を好きになってくれそうな人ではない。
そして、私はそういう人をわざわざ選んで好きになっている。
一から十まで、やっていることが無茶苦茶だ。
そんなちぐはぐな状態で、誰かと長期的に親密な関係を築くなど無理があったのだろう。
子供が欲しくない、というのは実は結構マイナスポイントだったのかもしれない
この部分は他人から直接フィードバックをもらったわけではないので他ほど確証があるわけではないのだが――子供を欲しいと思っている女性にとって、私はパートナーとして魅力的に見えなかったのではないか。
スペック説明のところでも書いたが、私はあまり子供が欲しくはない。
子供を可愛いと思ったことがないし、「手がかかって大変そうだな」という気持ちのほうが圧倒的に強い。
ただし、別に嫌いでもない。
子供がうるさかったり手がかかったりするのは生物として当然のことだし、自分もその分世話をされてきた。
自分のパートナーが子供を望むならそれを拒否はしないし、父親としての責務はきちんと行う。
(ただ「子供が好きだから」より義務感ベースでいるほうが安定して育児を出来るのではないか、という期待もある。子供の愛着形成には悪影響かもしれないが)
子供がある程度大きくなってきて、自分の考えを自分の言葉で話せるようになってきたら、彼もしくは彼女の話をじっくり聞いてみたい、という気持ちもある。
だから私は「子供が欲しい」「どちらでもよい」「子供が欲しくない」のいずれの人にもお見合い希望を出して、会った時点で私は結構このスタンスを前面に出していたのだが、これがあまり良くなかったのではないか……という気もする。
恋愛感情を持てない相手と長期的な親密関係を築くことなんて出来ないと直観するのと同じで、子供が取り立てて好きではないと言い放つ相手と育児をすることなんて出来ない、と感じるのは自然なことだ。
とはいえ、これでお断りされていたなら、これは価値観の違いなので仕方がない。
婚活を経て得た気付き
正直活動中は目の前のことでいっぱいいっぱいだったので、婚活を終えてからのほうが学びが多い。
毎週誰かとお見合いして、LINEして、次の場所を決めて……なんてやっていたらとても自省の時間を取ることは出来ない。
相談所を退会してから土日が暇になって、色々と本を読んだり映画を見たりした。
婚活がうまく行った人、うまく行かなかった人、様々な人のブログを読んだりもした。
そうすると、今までは全然ピンと来なかった「恋愛」や「結婚」や「愛」を取り巻く様々な言説が自分ごととして刺さり始めた。
私の失敗はひどくありきたりで、多くの人が既に辿った道だった。
でも、私自身の問題として引き受けるためには必要なことだったのだ、と思うようになった。
見た目に手をかけるとなんだかんだ自己肯定感はマシになる
肌、髪、眉、ヒゲにある程度手を入れると「小綺麗」レベルにはなる。
それだけで戦えるほどではないけれど、足切りはされにくくなる。
何より、自分の顔を見て「やだな」と思う度合いが減る。
これは諸刃の剣で、「きちんとケアをしていない自分」を人に向けるハードルも上がってしまったな、とも感じるのだけれど、やってよかったかと言われれば間違いなく良かった。
自分が自分の見た目をどの程度コンプレックスに思っていたのかというのは、改善してみてはじめて本当にわかるのだ。
生まれついてのイケメンにはなれないけれど、別にイケメンじゃなくていい。
イケメンじゃなくても、美女じゃなくても、格好良い人は世の中に結構いる。
次は……歯並びの矯正もやってみたいな。
自分は一方的に評価されるイノセントな人間ではなかった
マッチングアプリでは自分は一方的に評価される側だと思い込んでいたが、結婚相談所では互いに選び選ばれる立場になった、と感じた。
お会いした人たちから好かれていたとは思わないけれど、でもまあ……そんなに断られない程度ではあったから、捨てたものではないのかもしれない。
これは結構自分の自信になった。
でも、同時に自分は誰かを傷つけうる存在でもあると自覚した。
かつては周りには「自分に恋愛経験がないのはただ単にモテないからです」と言っていて、まあ9割位は実際その通りなのだけれど、でもやっぱり自分も選り好みをしているのだ。
この事実を突きつけられた時は結構ショックだった。
それまで自分が思っていたより、私は全然善い人間ではなかった。
ずっと記憶の奥底にしまっていて、誰にも話したことがなかったのだけれど、人生で一度だけ、はっきりと異性から好意を示されたことがある。
小学6年生の冬、もう中学受験が終わってあとは小学校を卒業するだけというタイミングだった。
薄々その子からの好意を感じてはいたのだけれど、私は来年度から通うことになる県外の中高一貫校での生活への期待で胸がいっぱいだったし、やっぱり……もっと勉強が出来る子が好きだったから、わからないふりをしていた。
卒業間近の3月、学校からの帰り道で二人きりになった。
彼女は泣きそうな顔で「私の気持ちわかるでしょ」と言った。
私はどうすればいいかわからなくて、「わからないよ」と言って逃げるように家に帰った。
どうして自分なんかを好きになるのだろう。
運動もできないし、見た目もよくない自分なんかをどうして。
その後のことは何も覚えていない。
「そんな大昔の話なんて」と思う一方で、自分の情けなくて臆病な部分は小学6年生の時からちっとも変わっていなかった、成長していないのだと痛感させられる。
当時は「もう県外に行く自分には責任が取れないから」「駆け込み需要でなんとなくよく見えているだけ」と自分に言い聞かせていたけれど、だとしてももっといいやり方があったはずだ。
私は選り好みもするし、でも自分に自信がなくて、好意を示されると逃げ出してしまう嫌なヤツだ。
自分に本当に必要だったもの
相談所を退会した後に濱口竜介の映画『親密さ』を見て、私が「親密な関係」に求めていたのはこれだったのだな、と思った。
質問すること。あなたのことを知りたい、と思うこと。あなたの持ち物ではなくて、あなたの魂の形を教えてほしい、と願うこと。
質問されること。私を知ってほしい、と思うこと。私の持ち物ではなくて、私の魂の形を伝えたい、と願うこと。
きっと易々と出来ることではない。
でも、私が相手に望むのはただ世間話が出来ることではなく、時に傷つけ合うくらいぶつかること。
お互いの嫌な部分を曝け出して、「それでもまだこの人と一緒にいたい」と思えること。
物凄い高望みだと思う一方で、特定の他人と長く付き合ったことのある人々は大体そんなことを経験しているようにも思える。
やっぱり私にはそれが羨ましい。
羨ましいけれど、「羨ましい」という欲望の輪郭をはっきりと理解できている、というのは一つの強みだろう、とも思う。
次に誰かが私を好きになってくれそうなら
自分のちぐはぐさ、臆病さが浮き彫りになったところで、どうすればいいのだろう。
一つ決めたことがある。
もし次に誰かが私を好きになってくれそうなら、その人をきっと大切にしようと思う。
少なくとも、そうしなければ私はきっと前に進めない。
自分を愛してほしい、自分に関心を向けてほしい、そうやって相手に期待するのはとても暴力的だ。
そして、そんな暴力的な行為を他人に向けたとしても、相手は自分の思い通りにはならないし、倫理的でもない。
だったら自分が変わるしかない。
これは受け身でいるということではなくて、自分を好きになってくれそうな人を怖がらない、ちゃんと好きになるということだ。
長い婚活の末に結婚した人の活動記録を読んでいると、「全てが理想の人」を見つけたというより、「この人でいいかも」と思えるような、相手へのハードルが下がる瞬間があることが多い。
傍目から見ればそれは妥協に見えるのかもしれないが、「青い鳥が近くにいた」と気づいた、というのが実態に近いのではないだろうか。
幸せがそこにあると気づくためには、旅に出て色々な感情を経験しなくてはならない。
誰かと恋愛をしたり結婚をしたりして、自分のダメな部分があらわになるのはとても怖いけれど、それが怖いのはきっとその経験がないからだ。
27歳ともなると誰かとお付き合いをするということは結婚を視野に入れる責任が生じてくるから、結婚を見据えない恋愛をするのは今まで以上に難しい、という問題はあるが……。
これから婚活を始めるかもしれない人へ
「自分がしたいのは恋愛なのか?結婚なのか?」をまず考えよう。
もしあなたが本当にしたいのは結婚ではなくて恋愛で、ただ「さっさと一人と恋愛して結婚して"上がり"にしたい」と思っているのならば、婚活は考え直したほうが良い。
それでも婚活を始めようというのであれば、まずは自分が望んでいるものがなにか、というのをじっくり考えたほうが良い。
出来れば、自分をよく知る人と誰かとゆっくり話し合いながら。
とは言え、とりあえず結婚相談所に飛び込んでみるのもいいだろう。
正直に言って結婚相談所での婚活には金も時間もかかる(私の場合全部で50~60万円くらいはかかっている)が、それ相応の経験は得られるだろう。
参考文献として自己分析に役立ったものをいくつか挙げておく。
特に男性向け、女性向けという区分はない。
あなたが婚活に興味がなくても、「恋愛」や「愛」に関心があれば触れてみて損はないはずだ。
エーリッヒ・フロム『愛するということ』及びその解説本
濱口竜介『親密さ』
二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』『すべてはモテるためである』
苫野一徳『愛』
吉野朔実『恋愛的瞬間』
高橋幸・永田夏来 編『恋愛社会学 多様化する親密な関係に接近する』
ジェニファー・ペトリリエリ『デュアルキャリア・カップル』
これらを読んですぐ目の前の相手との交際を上手く進めるかと言われればおそらくそうではないのだが、せっかく真面目に取り組むのであれば「結婚した/しなかった」という結果以外も自分の滋養にしないともったいない。
それと、なんだかんだ言って、見た目はとても大事だ。
仮交際や真剣交際以降はともかく、お見合いまでに関して言えば婚活は「敗者のゲーム」、わかりやすい失点ポイントを無くしていくスキームが有効だ。
女性に関しては特にアドバイスが出来ないので、右も左もわからない婚活初心者男性向けの本をいくつか挙げておく。
今となってはやや情報が古いものもあるが、基本的な考え方は大きくは変わらないはずだ。
おちまさと『はじめての男の婚活マニュアル』
大山旬『服が、めんどい』
MB『最速でおしゃれに見せる方法』
ひろゆき『メンズ外見マニュアル 最速で外見力を底上げする方法』
西日本ヘアメイクカレッジ『ナチュラルだけど、いつもよりかっこいい! 世界一簡単なメンズメイクの教科書』
おわりに
たぶん……婚活が辛くない、という人は(数人と会ってすぐ結婚しました、という人を除けば)多くはない。
楽しいことがないとは言わないけれど、「なぜ自分は選ばれないのか」「なぜ自分は好きになれないのか」と自問自答してもがき続ける日々のほうがずっと長い。
それでもやはり……一度経験しておいて良かったな、と心から思った。
最後に、婚活を通して私に会ってくれたすべての人に最大限の感謝を捧げる。
僅かなりとも自分に関心を持ってくれた人たちに、自分のコンディションが整った状態でお会いできなかったことは申し訳ない。
きっともうお会いすることはないけれど、彼女たちがなんらかの形で幸せになっていることを心から願っている。