「社会人になると1年が早い」ことはない
2021年も最終日となってしまった。
今年を振り返ると色々なことがあった。
社会人になると1年が早いとおっしゃる方がいるが、ある側面ではそうだろうが、私は特にそうは思わない。じゃあ遅かったのかと言われるとそんなこともない。
時間に早いも遅いもない。それは感覚でしかなく時間は一定にしか過ぎない(特殊相対性理論とか言われたら私は反論はできない)。
社会人になると週の大半、1日の8時間+休憩を仕事に費やす。言ってしまえばある種のルーティンに陥る。そのルーティンをこなしてしまうとそれは1年はすぐに過ぎ去ってしまう。
確かに予定を振り返ると対して埋まっていないのですが、感情や考えていたことを振り返ると様々な感情の起伏や思考の産物が思い浮かべられるだろう。それらが起こった原因や問題や出来事を思い出すと1年は様々なことがあったのではないだろうか。
哲学者のセネカは「人生の短さについて」にて、
社会人になると誰しもが多忙になる。
セネカは人生の無駄遣いと批判する。
そしてセネカは時間の使い方を以下のようにするべきと主張する。
何を持って多忙とは書かれていない。
ただ「忙しい」「疲れた」「時間がない」が口癖ならそれは多忙であり、人生を浪費しており、自分の人生の時間を自分で使っていない、他人に使われている可能性があるだろう。
自分の人生の時間は自分のモノであり、他人に干渉されることはあってはならないのだ。
仕事も子育ても家事も他人のためにするのではなく、自分のために他者に尽くすという考えであるべきだし、そうでなければ時間の浪費にほかならない。
時間の浪費は多忙となり、時間の消耗につながる。
そうなれば人生は短くなってしまう。
社会人になると1年が早くなるなんてことは断じて無い。
むしろ早く感じたのならそれは自分の時間を生きていないのかもしれないから、見直した方が良い。