ぢゅち
私が10年以上に渡って試行錯誤を繰り返して編み出してきた「家計簿を活用するためのテクニック」を公開します。私と一緒に、家計簿を使って幸せな生活を目指しませんか。
私が今でもときどき思い出すのは、とあるオフ会で突然自分の中から出てきた「他人に鼻で笑われるような生き方をしたい」って言葉。これが結構お気に入りなのだ。 そのときは「誰かを鼻で笑うような人になるくらいなら、鼻で笑われるような存在でいたい」っていう、どちらかというと影で鼻で笑うような人たちを揶揄するような気持ちがあった。 でも、今は、結構純粋にその言葉通りになりたいと思っている。 「ねぇねぇ、あいつのこと覚えてる?」 「あー、そういえばそんなヤツいたよな。あいつのこと
すごくよかった。 「君の膵臓をたべたい」を観終わったときに似た感覚。そういえば、あの作品の主題歌もミスチルだったな。 あらすじを言葉にしてしまえばありきたりなものになってしまうのかもしれない。また、昨今の映画でよく見かけるようなサプライズ的なもの(伏線と回収)を楽しみにしているのであれば、もしかしたら期待外れとさえ言われてしまうかもしれない。しかし、そういうことではない、何か大切なものを観させてもらった気がする。 タイムパフォーマンスみたいなことが最近強く求められるよう
映画「怪物」を観てきた。 観終わったあとの自分を客観視すると、たしかに「いい映画を観た気分」にはなっているんだけど、少しモヤモヤしている感じも残っていて、そのモヤモヤを解決するために、いろんな感想サイトを読み漁っては「なるほど、こういう解釈をしている人たちがいるのか」ということをやっていた。 モヤモヤした部分が残るのは、映画の中で「明かされていること」と「明かされていないこと」の両面があるからだと思う。でも、どれだけ語り尽くしたとしても、「明かされていないこと」というのは
今日考えていたのは、「将来どうなっていたいかからバックキャストで今何をやるべきかを考えることは、若いときだからできることであって、大人になったら将来のことよりも現在を楽しく過ごせているかにフォーカスした方がいいんじゃないか」ということ。今輝いている方が若い人の希望にもつながる。
最近 note を更新できてないけれど、言葉は日記や携帯のメモに書き留めている。タイトルが付けられないような取り止めもないことだから、note としてはまとめられてないけれど。それでも、誰かのためになるかもしれないから、時折こうしてつぶやきとして残してみようかな。
実は今月は30冊本を読もうとしてた。マンガも含めて…、だけれども(笑)本を読むことはテレビを見ることに比べて罪悪感がないし、目標達成ができれば自己肯定感も上がる。 なんで、未だにテレビを見ることに罪悪感を感じるのか不明だが、それは親から「ダラダラテレビを見てはいけない」という価値観を押し付けられたからだろうな。 テレビを見る時間を減らして本を読んでた。静かな部屋でひたすらに。ときには寝る間も惜しんで。 で、ふと気がついた。 何のために目標を定めたのか。 それは、たぶん
湿度の強い朝は苦手だ。 空は自分の色を忘れてしまったかのように真っ白だ。白なのに決して明るくは感じない。色の表現に彩度と明度という測り方があったな、なんて思うけれど、その違いについてはよくは分かっていない。 毎朝のルーティンで洗濯機を回して、掃除機をかける。頭痛がする。昨日、久しぶりに少しお酒を飲んだからだろうか。シャワーを浴びて、身体の血を巡らせる。 何が私を落ち込ませているのだろう。 お風呂は嫌なことを思い出させるけれど、お風呂あがりはやっぱり少しサッパリしている
夏の終わりのこの時期が、日本の四季の中で一番好きだ。「好き」という書くと、なんだかキャンディーのような可愛らしさを伴った言葉のようにも読めてしまうけれど、もうちょっと落ち着いた感じの、少し低音での、静かな、「好き」。 賑やかで煌びやかな夏は、穏やかにゆっくり過ごすよりも、どうしても「夏を満喫するぞ」という気分の高揚感がずっと続いている気がする。夏以外の季節で貯めてきたエネルギーを、このタイミングで使わなくてどうするんだというくらいに消耗をしながら。それこそ、7年土の中にいた
学生時代はもっと本を読むことが好きだった気がする。勉強や部活などやらなくちゃいけないことがある中で、学生なりにストレスを感じていて、そのストレス発散のひとつが読書だったように思う。テスト期間が終わると、その帰りに図書館に寄って読みたかった本を貸し出し数の限度まで借りて帰っていたような気がする。 それなのに、最近は、本は「読みたいから読む」ではなくて、「読んだ方がいいらしいから読む」に変わってしまっていた気がする。選ぶ本も「(仕事のために)読んでおいた方がいいんだろう」とか「
私はいつも「死にたい」と思って生きている。自分の最期がどういう風になるのかばかりを考えている。 だから、「長生きして色々な世界を見たい」と語る人は、自分にとっては眩しすぎるし、近寄りがたいと、いつも感じる。私は早く死にたいのだ。それも、できる限り、はやく。 でも、私は自分で死を選ぶことはしない。そう決めている。もちろん、今のところは、だが。生きているのではなく、生かされていると思うから。 人は、生を受けたそのときから修行が始まっている。生きることは行なのだと、いつも思っ
好きじゃない言葉づかいから距離を置く、少なくとも書き言葉では。 人間だから嫌なことはある。「バカじゃない?」「アホみたい」「死ねばいいのに」。思うことはある。そして、ときには突発的に、感情的に口から溢れてしまうこともある。 けれど、書き言葉はそれを世に放つ前に考える時間を作ることができるのだから、できる限りそれらの言葉は使わないようにしたい。「自分が読みたくないと思う言葉」は消してから放ちたい。それが創作の世界の中でも可能な限り。 もちろん、文章を読む際も、それらの言葉
「終わった…」 普段だったらリモートで仕事をしているこの時間に、最寄駅前のロータリーを歩いていたケイタは唐突にそう思った。今日は電車に乗る予定はない。それでも駅に向かっていたのは、近くのビルで行われているワクチンを接種するためだった。 「もう戻ることはできないんだ…」 15年前にスタートしたこの街の再開発は5年ほど前に完成した。人一倍大きく建てられたそのビルには、完成に合わせて本社を移してきた会社の名前が、誇り高く所有者を示すように赤くつけられ、50年以上も続くデパート
テレワークになってよかったことは休み明けのギャップが少なくなったことかもしれない。日常の流れの中に仕事がある感じだから、「あー、明日から仕事かぁー」みたいないわゆる「サザエさん症候群」みたいなものは減った気がする。もちろん、完全になくなったわけではないけれど。 満員電車で出社していた頃は、出社している間は他人に何かを与えるための時間、出社していない時間は自分のための時間、というくっきりとした線引きがあったような気がする。でも、本当だったら、仕事をしている時間だって「自分のた
好きになったらのめり込みやすい体質で、最近は、元ブルゾンちえみさんこと藤原しおりさんの YouTube ばかり見ています。 木曜日に更新された動画の中で、しおりさんが最近読んだ本として紹介されていたのが、朝井リョウさんの「正欲」。「『多様性』という言葉の中で生きづらさを感じる人たちの話として、興味深かった」というようなことを、しおりさんは話されていました。 もともとこの本はタイトルとシンプルな装丁、そして朝井リョウさんが書かれたということで気にはなっていたのですが、なかな