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意思決定支援でたりないことを考えてみるその1
福祉職に求められる「意思決定支援」とは、自ら意思を決定することに困難を抱える認知症高齢者や障がい者が、日常生活や社会生活で自らの意思や希望を反映できるような生活を送ることができるようになるための支援である。
しかし、支援の対象となる当事者の方々やご家族から、意思決定を支援してほしい、手伝って欲しい、と明確に求められることはまれで、意思決定について自らの困り感を持って相談に来るわけではないし、どちらかと言うと支援者の見立てで必要性が判断され提供されるものかもしれない。
ご本人がなにか選択をする場面、行動を起こすときに誰かの支援が必要で助けを求めてくる、というような単純なシチュエーションもあるかもしれないが、求められている意思決定支援、あるいは支援付き意思決定、というものは、ご本人にとって顕在化された課題ではなく潜在的なニーズであると思われる。さらにいうと、それは単に選択や、判断をするためだけのものでもなく、もっと複雑な要素があるように思うのである。
認知症分野、障がい福祉分野、医療分野、終末期支援分野、成年後見分野にそれぞれ意思決定支援のガイドラインが作成され支援者向けに考え方や、具体的な支援方法が示されている。そして、エンデイングノートや、リビングウィル、事前指示書、尊厳死宣言公正証書など、判断能力を失うまえのに自分自身が積極的に意思決定を示すための事前準備としてのツールもたくさんある。
各ガイドラインの比較については以下の資料を参照してほしい。
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私たちは日々、大小さまざまな意思決定を行っている。 朝ごはんはパンにしよう、今日はこんな服を着てでかけよう、家や車を購入するための検討、個人的なものだけではなく、会社や法人などで事業の方向性、会議での決めごとなどなど。。。人生は常に選択の連続であるともいえる。しかし、誰もが自由に、また簡単に意思決定を下せるわけではない。決断は日常的なかんたんなものもあれば、重要な決定では困難を伴う場合が多い。
そして、意思決定支援が必要となる状況は多岐にわたる。それぞれの人生を歩む場面で、意思決定や判断を求められ、行動、実践にむける決断を強いられる。まさに人生は選択と意思決定の連続であるともいえる。その意味でいうと、すべての人は意思決定をすること、すなわち生きているすべての人は意思を持ち、それを決定することで生きる道を作り出していることになる。
支援者として、その過程において支援が必要な当事者に関与することは、その人の人生、生き方を決めることの一部であり、その認識を持つことが重要かもしれない。
タイトルに「たりないことを考えてみる」としたが、支援者として意思決定支援を求められていることで、何か少なからず違和感、というよりも不全感のようなものを感じている。それがなんなのか、今の時点で明確にすることができない。そんなモヤモヤ感を明らかにしたいと思って取り上げたテーマである。
意思を決定するという行為、選択、決定、行動をするにあたって、必要な情報、経験、思考、について考えるとき、まずは「考える」ことがどのようなことなのか、モチベーションについて書かれた本から以下の引用を参考に別のフレームから考えてみたい。
「考えるとは、思考的な要素が多いと思われがちだ。しかし、過去の出来事を振り返りつつ探るのも、思考の重要な一要素だ。そのときに、過去の出来事に対して自分が抱いた感情の情報まで汲み取って意思決定するのがポイントだ。過去の出来事をしっかり振り返るからこそ、感情的な要素、自分の価値観が出て「よし、やろう」というモチベーションにつながりやすくなる。」
「重要なのは「挑戦したときの記憶」と「そこから得たものの記憶」を脳で同時に再現することだ。そうしてはじめて、「挑戦すると何かを得られる」という脳の配線ができあがる。そして、このような体験が繰り返されると、脳が徐々に挑戦というものを価値として強い記憶に留めるようになる。そして、「挑戦自体が価値として認識される」脳は、結果がどうなるかわからないことに対しても、前向きにモチベーションを高めてくれる。それが、根拠なく自信を持てている状態なのだ。」
意思決定支援において、「意思を決定する」ということに必要な「考える」ことを元に、次回に探っていきたいと思う。