【障がい者支援】精神科病院長期入院してた人と過ごして考えたこと その2
精神科病院に長期入院していた方で、すでに亡くなられたが、当時50代後半の男性の保佐人(成年後見制度の保佐類型:以下参照)を受任し、その方の支援や活動の中から、考えたことをお伝えしたい。
そして、精神疾患を持つ方の地域での暮らしや支援、入院についても、自分なりに考える機会にできるとよいと思っている。
「その1」をお読みでない方は、以下の記事からご覧いただくとよりわかりやすいかと思います。
他科受診から入院へ
入院していた精神科病院では、精神科以外の疾患があると外部の病院へ受診しなくてはならなかった。内科受診が必要な時も、保佐人である自分に通院要請があり、病棟看護師の付き添いはできず、派遣できるヘルパー事業所も見つけられていなかったので、ほぼ自分が対応していた状況である。その時はクリニックへの受診で、数ヶ月に1回ほど付き添いで通院をしていた。狭い待合室で順番待ちをしていると、他の患者さんから見って、服装なのか雰囲気なのか何かしら違和感を感じるようで、何を言われるわけでもないが、居心地が悪かったような感じは覚えている。
ある時、病院の主治医から、発熱などの症状が続くため、総合病院を受診して診断し検査をしてもらってほしいと話しがあった。
肝臓がんの末期という診断だった。
病状について、詳しく医師に聞きたいか本人に聞くと希望した。担当医から事前に聞いていた余命3ヶ月ほどということは、本人への告知の際、具体的に伝えられることはなかったが、彼は無表情で説明を聴いていた。何を感じていたのだろう。または何も感じなかったのか。
本人は治療を希望した。入院での治療となるが、病院側の拒否的な反応があり、他の病院へという遠回しの言い方をされたのを覚えている。精神科から通いで治療に来てほしいというような内容だったかと思う。そのことを精神科病院へ伝えると、病状の悪化から何かあったときにすぐに対応できない、などの理由でそれもできないと言われた。そのことを受けて、症状は落ち着いているし、服薬管理ができていることを医師、看護師に伝え入院するにあたり問題ないことを強く伝えたことを記憶している。あからさまな拒否ではないが、精神科の患者が入院を拒否されることがあるということを初めて知った。障がい者差別解消法がまだ施行されていなかった時だったが、今であったならどのようになっているのだろう。
例えば、精神疾患がある患者の入院により、行動障がいなどの対処、見守りで看護師の業務負担が増える、ということだとしたら、障害者差別解消法における合理的配慮の提供の免除となる「事業者の過重な負担」がかかるという要件に該当するのだろうか?
精神科主治医より総合病院の医師へ、文書により病状説明などを含めた依頼書を作成してもらうこととなり、入院はできることになった。
入院してすぐに、彼はみるみるうちに衰弱してきて、食事も普通に摂れなくなってきた。ミキサー食が提供されていたが、あまり食べれないという。担当医に許可をもらい、近くの本格的な寿司屋で、かんぴょう巻きとタマゴの握りをつくってもらい持っていった。小さく切り分けて食べてもらうと、表情は変わらなかったが「うまい」と言って半分ほど食べることができた。数回、面会時に持っていくことができたが、その後はほとんど食べられずだった。
病状が悪く今夜くらいで危ない、と医師から連絡がきた。遅くに病院へいく。すでに意識はもうろうとしていて、朝まで持たないような気がした。
保佐人受任時に、存在を知らせないという選択をした本人に会ったことのない義理のきょうだいに連絡をしてみた。医療同意などが必要になったときには協力してくれると言ってくれていた。夜中であったにもかかわらず、すぐに奥様といっしょに病院へ駆けつけてくれた。
夫婦で医師の病状説明を受けて、観察室にいた本人に会うことになった。生まれてはじめて会う義理のきょうだいだった。意識がもうろうとしている彼に、「実は会ったことがないきょうだいがいて、会いにきてくれたよ」と伝えると、そのときに目を開き驚いている表情で何かを話そうとしていた。
死を前にして初めて会うきょうだいを見て、何を思ったのだろうか。どのような感情が湧くのだろうか。長期の病院での生活で、親の死に目にも会えないどころか、亡くなったこともすぐに知らせてもらえなかった彼が、そのとき血のつながったきょうだいに初めて会ってどう感じたのだろうか。
その晩に彼は亡くなられた。
最後のときに、会うことになったことが良かったのかどうだったのか、彼にとってつらいことになってしまったのか、知ることはできないが、その後、そのときのことは、たびたび思い出して自分が保佐人としてどうすることが良かったのか考えることがある。
埋葬
亡くなった後、火葬式を行ったが、きょうだい夫婦は用事があり保佐人にお任せしたいといい、出席されなかった。自分が担当する多くの被後見人等の最後は、自分一人でお見送りすることが多いので、死後事務といわれる、その後の手続きなども行うことが多い。
病院にあった彼の私物を引き上げると、ダンボール1箱くらいのもので、中には、差し入れしたポータブルCDプレーヤーとイヤフォン、ビートルズのCDがたくさんあった。ビートルズがアヴィロードで着ていて、ほしくて買ったユニクロの黒いジャケットも。
残ったわずかばかりの預貯金が入った通帳と、遺品が入ったダンボールをもち、義理のきょうだい宅へ引き渡しに行った。ほとんど関わりがなかったにもかかわらず、保佐人である自分に対して、丁寧なお礼の言葉を言ってくれた。娘さんも立ち会い、亡くなった親族になる彼の話しの中で、助六寿司が好きだったことを伝えると、きょうだいである父も大好きだといっていた。そのことが今でも心に残っている。
前述したとおり、彼は長期入院中に両親が亡くなったことをすぐに知らされることはなかった。なぜ知らされなかったのか。精神的にダメージを受けることで不穏になり病状が悪化するような危険が心配されたのだろうか。精神科の場合、そうのようなことがあるのだろうか。親が亡くなることよりも病状の安定が大事なことなのだろうか。
だいぶ後になって知らされたというが、あいまいだったが埋葬されたお寺の名前を覚えていて自分に教えてくれていた。
火葬式のあと、遺骨はしばらく自分の事務所で保管した。納骨をしてもらうために、知らされていたお寺の名前からあちこちに連絡してお寺を探しあてた。連絡してお寺を訪ねて、住職に事情を伝えると心よく受け入れてもらうことになった。納骨には費用がかかり、また墓石の手前にある石を動かすことが必要で、業者に頼むと高くなるため、自分で行うのであれば、最低限のお布施でかまわないということだった。本当にありがたかった。
納骨当日、お経をあげてもらい、墓石の手前の重い平らな石を動かしお墓の下を見ると、ご両親の2つの骨壷の間に小さな骨壷が安置されていた。住職にきいてみると亡くなられた幼子のものだという。彼には、ほかにもきょうだいがいたということだ。彼はそのことを知っていたのだろうか。墓の中で彼は初めて同じ場所で家族と一緒になったのだった。
多くのことを知ることがなく、ただ何十年も病院で過ごしてきて人生を終えること、精神疾患という病気のために多くの時間、経験を奪われてしまった、彼のことを改めて考えると、あまりにも悲しく寂しくむなしいと思えた。
どこかの時点で、治療をしつつも地域で暮らすことを選択することができなかったのか。がんが発症する前、64歳になっていたため、65歳になって介護保険を使い、病院から特別養護老人ホームへ入居することを進めていた。本人も希望していた。病院の生活よりは特養の生活のほうが環境も良く思えたし、地域での暮らしにより近いのではないかと思えた。がんという病気によりそれはかなわなかったが、もっと前の段階で長期入院から地域移行ができなかったのか。
精神疾患を持つかたの地域での暮らしには、いまだに壁があると思う。
地域で暮らすことの壁
令和6年改正され合理的配慮が民間事業者にも義務化された「障がい者差別解消法」が施行されたとき、「障がい者差別解消支援地域協議会」という会議が市町村に設置されることになり、自分もその会議に、事業所連絡会の代表として出席していたことがある。今では、自然消滅してしまったような残念なところもあるというが、施行された当時は、当事者、支援者間では大きな期待があり、各地で盛んに合理的配慮に関する研修会などが実施されていた。
地域支援協議会の役割の一つに、地域での紛争解決、グループホーム等の建設に関する反対運動や地元同意問題への対応等があげられていた。いまだにたまにニュースで取り上げられるグループホームの設置に反対する運動など、協議会の対応が期待されていたのだろう。
精神疾患を持つ方にかぎらないが、障がい者の方が地域で安心して暮らすためには、障がい者理解の促進、啓発は、より具体的に継続して行われなければならないし、学校教育の段階からの積み上げが必要で、それが長い期間で実を結ぶようにするために、常に必要なことだと思う。
精神科病院の長期入院の解消はできるのか
長期入院の方が退院して地域で暮らすことの障がいとなる問題は、地域のでの偏見や無理解などの他にも、病院側の問題もあるという。
精神科病院の廃止の取り組みでは、イタリアのバザーリア法(1978年)があり、地域で精神障がいがある方を支える創意工夫が当時から考えられていた。トリエステなどが有名だが、うまくいっているところやそうでないところもあるという。
日本では精神科病床数は世界で群を抜いて多く、またそのうち長期入院患者数もかなりの割合でふくまれている。
古くから始まった日本の精神科医療における「隔離収容主義」的な方策から脱しきることができない要因にはなにがあるのか。
長期入院に対する解消の取り組みは徐々にすすめられてはいるものの、以下のように認知症高齢者の入院受入れに転じていることが心配される。
施設ケアから在宅支援、成年後見人を通して、認知症高齢者の支援に長く取り組んできているが、家族介護が破綻して地域で暮らすことができなくなることの先に施設入所の選択肢はあったものの、精神科病院への入院ということがこれからの選択肢になりうることは容易に考えられることになるのかもしれない。それは高齢者になる上で、だれにでもその可能性がなくはないということである。
虐待事件について
精神科病院の存在の全てが良くないということではないが、以下のような事件が起こる背景に「精神科病院長期入院」問題は大きな要因になっているのではないだろうか。
このような虐待事件が起こることに、精神科長期入院問題が直接的因果関係があるわけではないかもしれない。
自分の被保佐人が、このような扱いを受けたことを聞いてはいない。しかし、精神科医療に詳しい知人に聞くと、古くからある病院はどこも同じようなところがあるかもしれないという。
人としての尊厳を尊重されるのは、どんな障がいがあろうと変わりないことだが、このような隔離された閉鎖的な場所、精神科病院で行われていることに、その現場の環境、人について何かの要因があるのは確かなことで、それが明らかになり、改められなければならない大きな問題ということを強く意識していきたい。
虐待防止については、高齢、障がい福祉を担う事業者に取り組みが義務付けられたこともあり、今盛んに研修会が行われている。
これが、障がい者差別解消法のように、一時的なブームのような取り上げ方で終わることがないように願っている。
自分にもこのところ虐待防止研修の講師依頼がくることもあり、この問題に関心をもち少しでも力になれるように関わりたいと思っている。
特に虐待をする側、養護者、支援者の要因について考えを深めて、改めてnoteに書きたいと思う。