
年収−100万でも障害福祉分野に転職したわけ
こんにちは。ヒルムーです。
6月から障害福祉分野に参入するヒルムーですが、今回はなぜその経緯に至ったのか私の経歴とともにお伝えしたいと思います。
「ヒルムーのこれからの働き方」に詳細版になります。
私は、鹿児島の専門学校を卒業し、地元の病院へ就職しました。学生の頃からインターネットで「リハビリテーション職の将来性はない」「給料は上がらない」等のネガティブな情報をみており、不安に思いながらも臨床や研究に励んできました。
しかし、満足するには到底至らず、「研究で有名になって生活に困らないくらい給料をもらえる人になりたい」という思いが募り、県外の嚥下が強い大学病院へ転職。
その後、海外一人旅や国際学会での発表などを通して、言語聴覚士として「海外で仕事がしたい」と思い、職場に退職の旨を伝え、転職活動を開始しました。
しかし、コロナ禍で海外へ行ける状態ではありませんでした。
その間、自己理解を徹底的に行い、
「自分が本当にやりたいことは何なのか。」
ということを自答自問。
そして、ある結論に至りました。それは、
「言語聴覚士が活躍できるフィールドを拡大(言語聴覚士の可能性を広げる)し、必要な人に必要な言語聴覚療法を届けられる社会にする」というもの。
この理念に従い転職活動を行った結果、年収-100万円となりましたが、障害福祉分野へ転職することとなったのです。
転職した理由を簡潔に言いますと、
○伸びているマーケット
○ブルーオーシャンな領域
だったからというのが一番の理由です。
働き始めた当時の私は、「セラピストの将来性はない」と思っていましたが、今は「言語聴覚士の可能性は無限大」だと思っています。
そう思った経緯と年収−100万でも障害福祉分野に転職した理由について詳しく述べていきます。加えて、転職活動の詳細についても書いております。
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●1つでも当てはまる方に見ていただけると嬉しいです
・セラピストとして将来が不安な方
・ST5年目未満でキャリアビジョンが描けていない方
・転職しようと思っている方
・障害福祉分野に興味がある方
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この記事をみることでキャリアの捉え方や言語聴覚士の可能性が分かるのではないかと思います。
前置きが長くなりましたが、さっそくはじめましょう。
第1章 地元の病院へ就職
私の最初のキャリアは、地元の病院から始まりました。生活期がメインで回復期が数床ある地域密着型の病院です。最初の病院をどうやって決めたかと言いますと、実習でお誘いいただいたからです。
実習中つらいことランキング第1位に挙げた病院で実習初日からお叱りを受け、「この病院には絶対に就職したくない」と思っていた病院でした。
しかし、お誘いをいただき学校の先生にも勧められました。それでも、行きたくはありませんでした。行くことにした決め手は学校の先生に「ここに行けば5年後変わってくる」と言われたからです。
私は、学生の頃からインターネットで「リハビリテーション職の将来性はない」「給料は上がらない」「家族を養っていけない」等のネガティブな情報をみていました。
そのため、何とかこの職で食べていきたいと思い、必死な状態でしたので上記の言葉がグッと刺さったのです。
就職してからは「日本で有名になって生活に困らないくらい給料をもらえる人になりたい」と思い、臨床や研究に励んできました。
特に学会発表を頻回に行うことで有名になりたいと考えており、積極的に取り組んできました。結果、4年間で全国学会1回、九州学会1回、地区の勉強会で4回発表を行いました。
しかし、学会発表に取り組んできたものの、もっと最先端の研究がしたい、もっと多くの学会発表を行いたいとの思いばかりがつのり、満足するには到底至りませんでした。
そこで、転職活動を行いました。
私は有名になるためには、有名な先生がいるところに行くのが得策と考え、日本でも知名度が高かった東京、大阪、愛知の3ヶ所の病院へ見学に行きました。
その中で、
①教育体制が整っている
②研究ができる(大学院進学ができる)
③給料面は十分か
という点を重要視して就職先を決定しました。
第2章 有名になりたいと思い研究ができる大学病院へ
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