首ジストニアで鬱が深刻になったときの救世主
"私の鬱思考を180度変えた友人に捧ぐ"
こんばんは、「渚」です。(記事中には鬱期の状態・表現有り。影響される方はまたの機会にぜひ)
昨日(今も少々)は疲労感で短めの記事にしごまかしましたが、今日は普通の、というか感情たっぷりのちゃんとしたもの?を書こうと思います。
ちなみに画像は自前、ジストニア前の鬱期に下書きしたまま放置してあったのを今日ペン入れした、久々のお絵描き(恥を晒す練習)です。
Twitterにも載せ、もう少し詳しく語ってますので知りたい方は飛んでください(逆宣伝!)。
首ジストニア併発からの経過は事実中心にすでに記事にしましたが、秋から本当に辛い思いばかりしてました。
唯一体重が減ったことは嬉しいけれど、本当にそれだけ。
オシャレして出かけられる訳じゃない。アシが無い、体力が無い、褒めてくれる恋人がいる訳でもない。確かに少しは自分を好きになれたし、基本的に痩せるのは誰のためでも無い自分の為なのだけれど。
でも、首のもたらした負があまりに多い。
私から職を、出かける自由(運転)を、家事や犬猫の世話や遊びに付き合う時間を奪った。
左へねじれ、かたまり、痛みを伴い、前が見えにくく歩行困難になることで。
溜まるストレスで今を頑張って生きる人や現実的なニュースを見たくなくなり、テレビや好きだった映画鑑賞から私を離した。
人に会いたくなくなり、心配して訪問してくださった先輩や上司に母が代わりに対応した。
なるべく動かずにできる楽しいこと。
子供の頃から漫画やアニメが好きで、自分で描くことは得意分野でもあった。
描くのは消耗して難しいが、二次元趣味でなんとか気を紛らわして、減薬時期・病院転々時期を凌いでいた。
ハマればグッズもフリマからなるべく安く入手したが、それでも月2万いくことがあるほどだった。無職になったのだから、我慢しようかとも思ったが、私には貯金を残す理由が無くなっていた。
首の影響(減薬、様子見で増薬できないことも含め)で鬱も悪化し、年内には首を吊る予定でいた。
だったら使い切れば良い。好きな、癒される物にだけ囲まれた部屋で死ぬ。
動ける日は身辺整理をしていた。不要な物から大したことのない思い出はもちろん、捨てていった。
(片付いた場所には中古の漫画やグッズが並ぶ為、永久に片付かないままなのだが。現在も。)
そんな中本格的に周囲との"縁切り"行為も始まった(本当は鬱期には良くない行為。距離を置くのは良いが、関係を切ると後で後悔するらしい。私も一部の人には後悔した)。
定期的に心配の連絡をくれる人や、片手に収まる友人達にLINE、あるいは手紙で現状を簡単に報告し、治す気がないのでこれが最後と知らせた。すぐに反応してくれる人もいたが、一部の友人には連絡時に断りを入れ、すぐにブロックした。
今回は深く触れないが、それまで細々と関係があった実父・腹違いの兄とも絶縁した。
それから一ヶ月、12月中旬に一つの大きな荷物が届いた。高校時代からの友人の一人が、私のためにお金を使って沢山のプレゼントと、時間を使って手紙と自作のアルバムを送ってくれたのだ。
物はもちろん気遣いある品ばかりで嬉しかったが、何よりアルバムに感動した。
彼女は以前、私の家の敷地内に生まれた野良子猫を二匹も引き取ってくれ、今も大事に世話してくれている。その二匹の写真に、私と彼女ともう一人の高校から付き合いある友人三人の写真なども貼ってあり、全てのページに吹き出しや長いメッセージ、デコレーションが施されていた。
そして手紙には私を心配している旨、自分の現状、何年何十年経っても友人でいることを言葉で、手書きの文字で、形に表してくれた。
そして、私は記してあった彼女の現状に驚愕した。
今の私から見てもあまりにも大変な事ばかりが彼女の身に降りかかっていたからだ。
内容は伏せるが、その後彼女に直接お礼の電話をした時の私の第一声は「どうしてそんなにがんばれるの?」だった。
そして気付いたことがある。
私は遅かれ早かれ自ら死ぬと思ったときから、周囲と距離をとり始めた。
連絡や会う機会が無く、それが長いほど、私の死を知ったときの相手のダメージが少ないと思っていたからだ。数年前から、それを少しずつ始めていた。今回周囲との最後の連絡も、なるべく軽めに最低限の情報でフェードアウトをはかったのだが、私の考えは間違っていた。彼女の手紙で思い知ったのだ。
私はこんな苦境に立つ彼女を知らなかった…。
私に知らされなかったのは、彼女が気遣ってのことであり、私が自分で招いた、遠ざけた結果だ。
そりゃあ、知ったところでそのとき私が役に立たない状態なら仕方ない。
けれど、連絡ぐらいはしただろうし、もし動ける状態だったら何か手伝えたかもしれない。
それなのに…
今回私から最後の連絡を受けた人達はどう思っただろう。彼女に対して私が感じた思いと同じ思いをさせてしまっただろうか。
本当に私を気にかけてくれている人は、自分を頼ってくれない、自分は沖にとってそれだけの存在だったと思ったかもしれない。
私と過ごした楽しい記憶だけがだんだんぼんやりしていって忘れてくれるなんて、私(私の鬱脳)はなんて想像力が欠如しているのだろう。
あの連絡をしてから、私と関係していた人達は私と過ごした思い出が、すでに全て悲しい思い出となってしまい、このままだと変な話その人が死ぬまでそんな形で覚えているかもしれない。
私は鬱期真っ只中だったが、友人の行動により180度考えが変わった。
私には「迷惑」と「頼る」の区別がつかない。だから最初から一歩引いて他者と距離を置いてしまうフシがあるのだが、今回で学んだ。
悲しかったり辛かったりしてどうしようもなくなったら、死にたくなったら、それをそのとき思い浮かんだ人に言おう、と。
電話でもメールのような文字ツールでも。
とにかく知らせよう、と。
たとえ「迷惑」の類になるとしても、通常時に前もって迷惑になったら注意してほしいと伝え、相手にハッキリ言ってもらうことを頼んでおけば良い。
(まぁ、頭ではわかってるけど通常時には心配かけたくなくなるし、やっぱ鬱時は一人きりになりたくなるという気持ちもよくわかります)
そんな訳で友人に泣きながらその旨を話し、謝り、今後もどうぞよろしくと情緒がめちゃくちゃな長電話をしてから切った。
向こうからアクビも聞こえたし(笑)。
翌日仕事だったのかな。どちらにしてもこんな私に付き合ってくれて、アクビも思いっきりかましてくれるから、気のおけない大事な存在。
本当にありがたい。
彼女のおかげで、体力も無いのに無事東京まで行き初診を受けられたし、禁煙の辛さも共有できた(笑)
こちらから度々連絡を入れているし、noteとTwitterを始めたことも知らせた。
私と違って忙しい身なので、ほぼ読まれてないと思うが、これをアップしたらURLを送りつける予定だ。
彼女はわたしの救世主。
そう言っても過言では無い。
新記録ってくらい長くなってしまった。
お付き合いくださった皆様、あと友人よ、ありがとう。目を充分休ませてくださいな。
ではまた(◞‿◟)