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今のわたしの無限ループ

昔の素晴らしい布は儀式で使うものや、高い地位の人や家族のために手間を惜しまず作ったものが多い。売るという目的ではないものも多い。

今のわたしは好き勝手に思いつくまま染めている。注文以外はあまり計画もせず作りたいものを作る。特に藍染めは染めてから、はてこれどないしよ?と考えてる。これどないして売ろうかと。

こんな作り方でいいもんができるだろか?儀式のためとかの厳かなものと比べようのない軽さに目眩がする。誰かのために身を削ってまで作るなんてこともない。自分の子供のものでさえ、たいしたものは染めてない。

アレアレ?こんなじゃあ一生かかっても無理じゃね?無理じゃね?とか言ってる時点で無理じゃね?人間自体が軽すぎるんじゃね?とかとか。思いが無さすぎるんじゃあないのわたし。

考え方を変えなきゃだな。 この状況、とても幸せなことと捉えてみよう。思いつくままに図案を書き、楽しんで染め、出来上がりに一喜一憂する。それを売れば買ってくれる人がいる。そして生活が成り立つ。あれあれ?これのどこがダメなんだっけ?充分過ぎるほどの幸せじゃね?そして、家族の健康を願うには願うがそれほど願わなくても病院行けば治る。食べ物にも困ってない。多くを望まなければ幸せに暮らせる。

その暮らしからはまた違ったものが生まれるだろう。高尚なものを作りたがったからおかしくなった。高尚なものは作ろうとしてできるものじゃないはず。

振り返り思い出せば、常にこうなりたいなという希望があった。自分の染めたもの売って生活したいな。たくさん買取してほしいな。広い作業場ほしいな。安心して生活したいな。それを何年もかけてある程度達成した今、本来の目的がやっと出てきたとも言える。「もっといいもの作りたいな」

そしてふりだしに戻る。昔のいいものみたいの作りたいな。こんなのとかあんなの。ああ、わたしにゃ作れん。まず人として作れん。とかなってきてしまう。今現在生きている方で素晴らしいものを作っている人などを見ても、みな高尚に見えてやばい。ヤバいとか語彙力のなさがもうダメ。なんかすごい人って語彙力も高いんだもん。見ている世界の違いに圧倒される。

そこでまた思い直す。わたしはわたしなんですから、自分自身に身の程をしれと言い聞かせる、いやいや知りたくない、もっといいもの作りたいよおと涙目になる。

最近その繰り返しです。このループからなんとか脱出したいと思います。方法はわかっています。もっとる作ることです。なんも考えず作れや!



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