横須賀の歴史を背負った建築
やなせ支店の建物は、関東大震災(1923年 大正十二年)も、第二次世界大戦(1939年〜1945年)の戦火にも耐え忍んだ。
横須賀が軍港として栄えた頃、近隣には料亭(小松など)が多数できた。(1920年前後)
その際に、御座敷に呼ばれる芸者や舞妓の生活の場(置屋)としてこの建物が建てられた。
その後、やなせ支店が引継ぎ、解体される事なく増築、改築を繰り返しながら現在に至る。
その価値は、横須賀の歴史を語り継ぐ、現存の建物として非常に価値があると思われる。
奥の座敷では、開業当初より賑わい、今もその歴史を伝えている。