将来の夢はパチプロでした
皆さんいかがお過ごしですか?
こんにちは。Dr.dです。
皆さんは、子供の頃の将来の夢とか何を思っていましたか?お巡りさん、学校の先生、スポーツ選手、ケーキ屋さんなど色々あったと思います。
私も初めは、仮面ライダーのように変身して悪と戦うヒーローから始まり、キャプテン翼が流行っていた頃はサッカー選手に憧れ、F1が流行っていた頃はプロのドライバーを目指して峠を攻めたりと、色々と思ってきましたが、結局現実と向き合うと、才能の無さと根性の無さで自然と諦めてきましたが、そな中でも一番長く思い続けていたのが、パチプロになることでした。
<<パチンコとの出会い>>
私のパチンコとの出会いは2歳か3歳の時、父親に抱っこされて打ったのが初めでした。当時はそんなのが当たり前で今では考えられない状況です。
次に打ったのが、中学2年の夏休みで、先輩の台打ちをさせられた時です。台の名前は分からないですが、羽物で3千発出したら打ち止めになり、報酬はコーラ一本だったのを思い出しました。その後自分のお金でやってみたら、1千円が3千円になったのをきっかけにパチンコにハマり、そこから約30年近く遊技しています。
そこで高校生の時ふと思ったのが、パチンコは儲かる、そうだ!パチプロになろう、ただこの単純な思いで、目指しました。
<<時代の流れ>>
自分が始めたころは羽物全盛期で、釘の開いた店を探すのが、結構簡単で、打ち止め台を抽選で引いて稼いでいました。スロットも当時はモーニングがあったので、まず朝はスロットでモーニング狙い。一軒目がスカッたら近くの2件目のモーニングに挑戦。そんなこんなを繰り返して羽物コーナーに行き、打ち止めさせて変える。こんな感じで稼働してました。早い時には午前中で1万5千円位になり、遅くても夕方までにはその日の決着が付くので、非常に良い時を過ごしていました。しかし、次代と共に情勢は厳しくなり、CR機が出た辺りから少しずづ負けが加算で今では月に一度行くか行かないかの趣味程度のものになってしまいました。
今では、もっぱらイチパチのみで、スロットも閉店間際のジャグラーを1千円だけ打つくらいで大分スタイルは変わりました。
パチンコも、シンプルイズベストな演出の台しかプレイしないので、必然と海シリーズをメインでしか打っていません。
それでも、トータル収支だと年収で2万から8万プラスでいるので、ちょっとしたお小遣いにはなっています。
<<これからの未来>>
とりあえず、夢破れた今でのパチンコとは上手く付き合ってはいます。色々と叩かれる業界ですが大人の社交場なので自助努力で楽しめば良いのかと思う日々であります。
今回はこんな感じで私のパチンコライフを記事にしてみました。今後もパチンコの事や、その他の趣味なんかも書いていこうかと思うので、興味がある方はぜひお立ち寄り下さい。
ちなみに今の私の夢は、世界が平和で有る様祈り続けることです。