
124.8:41 「列」についてじっくり考えた歌川国芳展
「膝を打つ」って何かいい言葉だな。
滅多に使わないし、聞かないけれど。
確かに!と感心した時に使ってみよう。
こういう日本語の慣用句がすっと出てくる大人になりたい。
話し言葉では難しくとも、書けるようになりたいものだ。
先日、久しぶりに展覧会に行ってきた。
中之島美術館で開催中の「歌川国芳展 ―奇才絵師の魔力」である。
江戸っ子アートのラスボスとは面白いキャッチコピーである。
まんまと引き付けられた。
「作品」というべきなのか「絵」というべきなのか分からないが、どれも見ごたえがあり、気に入ったものもいくつかあった。
展示の量にも質にも満足したので、凍えるような寒い日に大阪まで行って良かったな、と思えた。
肉筆まであって大満足である。
それはそうと、いつものごとく私は、絵と同じく「人」にも関心が向いてしまった。
その話をしよう。
開場の10時を少し過ぎたころに美術館に着いたのだが、会期の終盤のためか、既に入場待ちの列が作られていた。
そんなに人気なのか、と驚いたが、作品を来場者が十分に見る為には入場を規制するのも致し方ない。
それは問題ではない。
しばらくして入場できたのだが、最初の展示からまたまた人々は「列」を作っていた。
1番目の作品から展示順に近くで観るための「列」である。
これが問題である。
人気がある展覧会ではよくある光景だが、私はこれが好きではない。
待つ行為がそもそも苦手であるし、人々が美術館でぞろぞろ歩むのがなんだか滑稽に思えるのだ。
しかも、この列に加わると鑑賞時間がもの凄くかかる。
「最初から」じっくりはっきり見たいのであれば仕方ないだろう。
折角お金を払っているし、作品を少しも見逃したくない気持ちも理解できる。
けれどそのように観ていると、直ぐ疲れるし(気疲れも)、結局そんな皆さんも展示が進むにつれて列なんて作っていないのだ。
だったら、最初から並んでぞろぞろ進まずに自由に観ようよ、と思うのだがこれは私だけだろうか。
作品はどこからどう観ても自由だ!
その方が分散されて、結局はどの作品も近くでじっくり観られるのでは?
係員の方も「会場内はどこからご覧いただいても結構です。」と言っているではないか。
最初の方に飾られている作品はいつも非常に観づらい、と思っている。
何とかなりませんかね?
と愚痴になってしまった。
しかし、列に加わっていない私でさえも今回の展覧会には非常に満足したので、良い催しだと思います。
会期も、残り3日。
迷っている方がいたらぜひ行っていただきたい。
ただ、列に加わるかどうかはあなた次第です。