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【火ノ丸 記紀奇譚-序章】第5話 黄泉比良坂

黄泉比良坂よもつひらさか

 必死に逃げるイザナキだったが、背後に異様な気配を感じて振り返った。
そこには無数の黄泉醜女よもつしこめたちが追いかけて来ていた。

イザナキは髪に巻き付けていた黒御縵くろみかづら蔓草つるくさ黄泉醜女よもつしこめに投げつけると、蔓は生い茂って葡萄ぶどうの木となり、実がなったのです。

醜女しこめがその葡萄に食らいついている隙に必死に逃げるが、あっという間に葡萄を食べ尽くし再び追って来ました。

イザナキは、また追い付かれそうになると、今度は、束ねた髪の右側に刺してあった湯津津間櫛ゆつつまぐし(神聖な櫛)を醜女しこめに投げつけました。

今度はたけのこが生え、醜女しこめはそのたけのこを抜き次々と食べ始めました。

しかし、追手は醜女しこめだけではなく、先ほどの八柱やはしらの雷神たちと、さらに黄泉国よもつくにの千五百の悪霊たちの軍勢も追って来ているのです。

その時、醜女しこめに紛れていたカグツチは黄泉比良坂よもつひらさかの出口に向かって走り出します。

イザナキは腰に差してある十拳剣とつかつのつるぎを抜き後手しりえでに振り回しながら走り続けました。

そして、ようやく黄泉国よもつくに葦原中国あしはらのなかつくにとの境にあたる黄泉比良坂よもつひらさかの麓に辿り着きました。
イザナキは、一本の桃の木を見つけ、その木に実った桃を三個取り、悪霊たちに投げつけました。

カグツチは悪霊たちに気を取られているイザナキの隙をつき、光の射す方へと飛び出した。
すると、微かに頭の中に直接響く声が聞こえた。

「親父殿!」

カグツチは母の言葉を思い出していた。

『しかし、あなたは一人では黄泉比良坂よもつひらさかを越える事はできません。光の先から、あなたを呼ぶ声が聞こえるはずです。その光を追いかけ、掴むのです。必ず導いてくれます』

カグツチは、その声の先に手を伸ばすと、雷鳴が轟き、一閃のいかづちが落ちました。

それと同時に、イザナキの投げた桃は悪霊たちに命中するとまばゆい閃光を放ちました。

カグツチは、目のくらむ輝きの中、必死にそれを掴んだ。
するとその掴んだ指先から体全体を包み、その刹那、韋駄天いだてんの如き速さで引き上げ、空よりも高く、天よりも高く飛び上がったかと思うと、一瞬の閃光と共に何処へともなく吹き飛ばされてしまいました。

悪霊たちは、その閃光に勢いを失い逃げていってしまいました。

同じくを眩ませていたイザナキが、再び目を開いた時には、何もなかったかのように静まり返っていたのです。

こうして桃の木の助けによって追手を追い払ったイザナキは、桃の木に向かってこう叫んだ。

「私を助けてくれたように、葦原中国あしはらのなかつくにに住む美しき青人草あおひとくさ(現世の人間)達が、苦しみ悩む時、同じように助けてやりなさい」

そう言うと、その桃の木に、意富加牟豆美命おおかむずのみことと名前を与えました。

そうしているうちに、腐り、うじの湧いた体を引きずりながらイザナミがそこまで追い迫っていた。
そこでイザナキは、千引ちびきの岩(千人がかりでようやく動かせるほどの岩)と呼ばれる巨大な岩で黄泉比良坂よもつひらさかを通れないように塞いだ。

そして、その大岩を挟んでイザナキはイザナミに夫婦離別の呪文である「事戸こととべ」を述べた。

すると、イザナミは、

「愛おしい夫がそのようにするのであれば、私はあなたの国の人間を一日に千人絞殺しましょう!」

と恐ろしい声をあげ言いました。

それに対し、イザナキはこう答えた。

「愛おしき妻がそのようにするのであれば、私は一日に千五百の産屋うぶやを建てよう!」

こうして二柱ふたはしらの神は決別し、かくして現世では一日に千人が死に、千五百人が生まれることになったのです。

…つづく。

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