怒れる小田さん
あれはもう30数年前、1986年か87年のことだったと思います。あの「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」のコーナーに、某作曲家兼キーボーディストが出演していました。
ワタクシは学校が休みだったのか、何となくボーっと見ておりました。そのキーボーディストのことは当然知っていて、特に興味があった訳ではありませんが、まぁ何となく見ていた訳です。そして、どういう話の流れだったかは忘れましたが、彼がこんなことを語り始めました。
「タモリさんが嫌っているあの人、この前ゴルフ場で会ったんですよ。初対面だったので挨拶に行ったら舌打ちをされて無視されました。あれは良くない。こっちが挨拶してるのに、何なんですかね、あの態度は。ほら、タモリさんの嫌いなあの人、テレフォンショッキングに出て、タモリさんが冷や汗かいていたあの人ですよ」
「お~!それはまさしく小田さんだ!」とワタクシは即座に思いました。そんな話を突然フラれたタモリさんは苦笑するしかなく、特に何も語りませんでした。当時のタモリさんはネタとして小田さんを暗いだの何だの言ってましたが、本当のところ、大して興味は無かったのだと思います。元々タモリという人は大衆的な人ではなく、アングラの匂いがする人でしたから、支持を受けているものに牙をむくことがアイデンティティーだったのだと思います。それが時にオフコースだったり、さだまさしだったりしただけで、単なるネタのひとつにすぎなかったのではないでしょうか。
しかしキーボーディストにしてみれば、小田さんのその時の態度は許せなかったのでしょう。まぁ普通に考えれば、挨拶しているのに舌打ちされて無視されれば、そりゃ怒りますよ。それはよくわかります。
それは小田さんの人見知り故のことでしょうか。多くのアーティスト達も、小田さんの第一印象は悪かったと言っています。オフコースの清水さんですら「一発かましたろか!という感じだった」と言っていましたから(笑)。
しかしこれに関しては、ワタクシは違う見解を持っています。
小田さんの初のソロアルバム「K・ODA」がリリースされる頃(1986年)の音楽雑誌に、こんなインタビューが載っていました。
注釈すると「おニャン子」とは、当時バカ売れしていた秋元康氏プロデュースによる素人アイドルグループ「おニャン子クラブ」のことです。
そして、1987年のオフコースのコンサートツアーを記録した写真集には、音楽評論家の田家秀樹氏による以下のような記事もあります。
実は件の作曲家兼キーボーディストは、そのおニャン子クラブに曲を何曲か提供していた人物なのです。もちろん、仕事としてそれは否定されるべきものではないでしょう。しかし、素人丸出しが売りだったおニャン子クラブの歌を、小田さんが好意的に見られる訳もないことは容易に想像がつきます。
小田さんはエッセイ集「time can't wait」でもこんなことを書いています。
これらのことから察するに、小田さんのこのキーボーディストに対する悪態は、人見知りによるものではなく、自身の確固たる意志によって取られた行動なのではないでしょうか。それは
「俺はお前を許さないぞ!音楽をバカにしやがって!」
という、宣戦布告ともいえる意思表明だったのだと思います。
一般的な大人としての行動とすれば、嫌な奴だったとしても、涼しい顔で「あ、どうも」くらいしておけば、そこそこ穏便に収まるでしょう。そんなことが分からない小田さんではないはずです。しかしそれを分かっていても、無視した上に舌打ちをするとは…。
70代後半になった今であれば、そこまで強く当たることはないかもしれません。しかし、当時は40歳直前のまだまだ尖がっていたであろう時期。「許せないものは許さない」という強さが見て取れます。そこに小田さんの信念とプライドを感じますね。
これぞロック。ロックとは音楽のジャンルではないのです。
ロックとは生き方。
小田和正という人は、ワタクシにそれを教えてくれる人なのであります。