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「とくべつなこと」が特別である理由

「とくべつなこと」は小田和正さんの楽曲で、2024年11月27日にリリースされたベストアルバム「自己ベスト3」に収録されている曲です。元々は2000年のアルバム「個人主義」のエンディングを飾る曲としてリリースされました。

一般的にベストアルバムとは、そのアーティストの代表的な曲を収録することが多く、言ってみれば入門書的な意味合いを持つことが多いと思われます。小田さんの場合、何枚かのベストアルバムが既に発売されており、「自己ベスト」シリーズだけでも今回が3作目になるので、選曲は割とマニアックというか、思いがけない曲が収録されていたりするのでした。

この「とくべつなこと」も、収録されるのは意外に感じる曲のひとつでした。美しい旋律のバラードで、シンプルでありながらもそれぞれのパートが存在感を示すアレンジの曲ですが、「個人主義」がリリースされた直後のツアーでしか歌われなかったと思いますし、何かのタイアップがあった訳でもありません。どちらかというと、地味な部類に入る曲だったのではないでしょうか。

それが何故今回、「自己ベスト3」に収録されることになったのか。今回のリリースに関して小田さんは、「みんなが選ばなくても、自分が気に入っている曲がある」と語っていました。この曲は、それにあたる曲だったのかもしれませんね。しかし以前からワタクシは、この曲は大きな意味を持つ曲なのではないかと思っておりました。それこそ「個人主義」の発売当初から。

この曲は、遠い昔に別れた2人が再び出会うというラブソングです。小田さんの曲の多くは、例えば「私はこういう人間で、誰とどこで出会って何をして、こういう風に感じて、それがどうなってこうなった」というようなストーリーがありません。歌われているのはストーリーではなく、その時々の心象風景、その瞬間の感情を切り取ったようなものだと思います。だからこそ懐が深く、聴く人を限定せずに多くの人の心に入り込めるのではないでしょうか。オフコースの頃はそれが「曖昧、詞が弱い、ワンパターン」などと叩かれたこともあったようですが、更にそれを重ねていくと「一貫している、軸がぶれない、普遍的なメッセージ」などと変わってくるので、まぁ世間とは何といい加減なものかと😁。まぁそれは置いといて。

「個人主義」というアルバムは、1994年のアルバム「MY HOME TOWN」から実に6年ぶりのオリジナル・アルバムとしてリリースされました。6年間というインターバルは、当時としてはとてつもなく長い時間でした。しかしその間、小田さんは何もしていなかった訳ではなく、セルフカバー・アルバムの発売、映画の制作、コンサートツアーなど、寧ろ精力的に活動していました。オリジナル・アルバムである「MY HOME TOWN」のセールスが芳しくなく、それでいてセルフカバー・アルバムである「LOOKING BACK」が大ヒットしてしまったことから、オリジナル・アルバムの意義を失くしかけていたのかもしれません。(とは言っても、「MY HOME TOWN」は全く売れなかったという訳ではありませんが。)

そんな状況もあり、アルバム「個人主義」はそれまでと違うアプローチで制作されました。それは「小田和正」という人の個人的な想いを歌にするということです。それを雑誌のインタビューで知った時、どういう音楽になるのだろうかと少々心配になりましたが、それは杞憂に終わりました。考えてみれば、小田さんは自分では気付いていなかったのかもしれませんが、自らの気持ちを歌にする人だったはずです。古くは「首輪のない犬」「ひとりで生きてゆければ」「青空と人生と」、ブレイク以降も「生まれ来る子供たちのために」「言葉にできない」「僕等がいた」など、その時々の想いを形にしてきました。「ラブストーリーは突然に」以降、大きくなってしまったパブリックイメージを、改めて元に戻すという作業が「個人主義」というアルバムだったのではないかと思います。

その「個人主義」は「the flag」を始め、「青い空」「見果てぬ夢」「19の頃」など、小田和正という人の等身大のメッセージを表した曲が収録された素晴らしいアルバムとなりました。セールス的にも前作「MY HOME TOWN」を大きく超え、ビジネス的にもヒットと言えるものになったと思います。

で、この「とくべつなこと」です。先にも述べたように、アルバムのラストを飾る曲として収録されました。通常、アルバムのラストの曲というのは、特別な意味を持つものが多くなっております。アルバムの総括だったり、アーティストの本音だったり、一枚の大作を終えるに相応しい曲で締め括りたいということなのでしょう。そういった意味で「とくべつなこと」がラストに選ばれたとすれば、そこにはどんな意味があったのでしょうか。

「個人主義」が発売されたのは2000年の4月20日です。2000年は20世紀最後の年で、世の中は次世紀への希望と暗澹たる現状が入り乱れ、混沌としていたように思います。当時小田さんは52歳。現在では50代アーティストなんて全く十分過ぎるほどの現役世代ですが、当時は未知の年代でした。何故なら、そうした前例が無かったからです。小田さん達の世代は全てがそうでした。自分達の前に前例がないから、全てが未知になる。それは30歳の時も40歳の時も同じだったはずです。しかし、50代という年齢で、これまでのようなポップミュージックをやっていけるのか。自分は変わらなかったとしても、世の中はそれを受け入れてくれるのか。混沌とする世の中で、更に混沌としている自分自身が存在している。その何とも言えない感情は、これまでに無かったものだったのかもしれません。

それを表す衝撃的な小田さんの発言をワタクシは覚えています。それは「個人主義」発売時のインタビューでのことです。当時、小田さんはこう言っておりました。

「これからは介護保険なんかに片足を突っ込みながら、ラブソングを歌っていくのか…。そのイメージがよくわからない」

小田さんの言う介護保険とは、その年(2000年4月)に施行された超高齢社会を補完する社会保険制度である介護保険法のことで、40歳以上の人が加入者(被保険者)となって保険料を納め、介護が必要となった時にサービスを利用することが出来るという仕組みのことです。小田さんは自分が既にそういう対象になっており、そういうことがあっても不思議ではない年齢になっているということを、改めて突き付けられたのかもしれません。

この「とくべつなこと」は、かつて別れたであろう2人が再び出会う歌であることは前述しました。しかしそこに、明るく前向きな喜びは感じられません。喜んでいない訳では無いと思います。しかしそこにあるものは、静かに運命を受け入れる決心のような、ようやく辿り着いた先がここであったのかという諦観のような、とにかく、静寂の中で冷静に何かを見定める決意のような雰囲気を感じてしまうのです。何かを得るためには、何かを棄てる覚悟が必要であるということも、ここに含まれているような気がします。

それを書かせたものは、一体何だったのでしょうか。それはきっと、50代という年齢でしょう。だからこそこの歌は、小田さんにとって非常にリアリティーのあるものだったのだと思います。それは実際にかつての恋人に出会って、などということではありません。観念の上での話です。きっともう若い頃のような恋愛をすることは無いだろうという受容が、この歌を書かせたのではないでしょうか。この歌のうら寂しさは、「青春」との決別によるものなのだと思います。そうだとするならば、この歌は人としての成長段階として非常に重要な歌で、ここを乗り越えたからこそ、小田さんはその後の小田さんになれたのではないでしょうか。

その後、小田さんは「キラキラ」「こころ」「真っ白」などの瑞々しいラブソングを大ヒットさせました。そこにあったものは、無邪気なほどの恋愛に対するポジティブさであり、一途に誰かを想う純粋さであり、それによる切なさや苦しさであったり…。それらを改めて歌えたのは、この「とくべつなこと」で、実際の自分と一旦区切りをつけられたからなのではないでしょうか。そういう意味で、この「とくべつなこと」は特別な歌であるとワタクシは感じているのであります。


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