「視座を高く」という便利なコトバ
コンサル的なThird partyで働いていると、「もっと視座の高い」提言、suggestionをしようとかいう人が出てくる。
でもこれって、裏返すと当事者たちのことを何も理解しないまま、一般論的な、毒にも薬にもならないことを言っているだけなのではないか、と感じる。ことばの他人ごと化?という構想日本で出たセンテンスを思い出す。
もちろん難しい。知らない領域のことを、いろんなステークホルダーがいる中で、理解して、まとめることはすごく難しい。
でもだからこそ、そこにはしっかり時間をかけて、理解、共感する努力が必要なわけで、そのプロセスをサボった人に、「視座の高いところから」と言われると、おそらく当事者からすると何の解決にもならない。
自分は問題の解決につなげるためにも、毎日奮闘したいし、少なくとも努力を怠った言い訳として「視座の高いところから」などという言い方は絶対にしたくない。
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