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会社の周りを散歩する(短編小説)
空の色を感じるのは地下鉄の階段を登った一瞬だけで、後は雨が降るかどうかだけの話だった。今日は曇り空でやたらと寒かった。会社に行っても面白い事なんかないのに、なぜ行く必要があるのだろう?人生なんて、面白い部分だけでいいのに。面白い部分だけでいいのに。
会社に着く頃には空の色の事なんか忘れていた。2分後には忘れているような挨拶と打刻を済ませてメールを見る。少し目を離しただけで押しつぶされそうな量の文章が襲ってくる。それらを砂の目を読むか如く慎重に読み、返信する。そういえばあれ、どうなった?とか誰も聞くなよ、と祈る。頼むから計画通りに進めさせてくれよ。目の端に映る切れかけの蛍光灯がチカチカと点滅しているのでさえ、強烈なストレスだった。会社に入る時に自動ドアに挟まれた右腕がチカチカと点滅するリズムに合わせて痛んでいた。
「ヤニ切れたんでちょっと行ってきますわ。」
「ん。」
同僚はしれっとタバコを吸いにいく。というか、業務始まったばかりだろう。ヤニ切れもクソもあるか。何故タバコ休憩だけは合法なのだろうか。それなら会社の周りを一周散歩してきた方がよっぽどいいと思うのだが。健康になってもっと会社に貢献できます、というようなやり口で。
「あ、ごめん。そういえばあれ、どうなった?」
僕の計画は上司の張り手で押し出され、二度と土俵に立てなくなる。突然降ってきた業務をこなす姿は靭帯を切った力士のように痛々しい。こういう時に限ってパソコンはゆっくりと動く。僕は産まれてこの方快適に動くパソコンというものを見た事がない。いつも何かヌメっとした動きをしている。中にナメクジでも入っているのだろうか。
水面から顔を出した時、時刻は2時半になっていた。昼飯を食い損ねた。その事に気づいた途端、力が湧いてこなくなった。
「ヤニ切れたんでちょっと行ってきますわ。」
「あ、俺も行くわ。昼飯終わりの一服、キメに行こうよ。」
僕の中で何かが崩れた。僕はゆっくりと立ち上がり、トイレに行くような顔をしてエレベーターを降りた。
会社の外はビル塗れで、空なんかロクに見えなかった。空気も新鮮とは思わなかった。けど、陽の光を浴びる事がこんなに気持ちいいとは思わなかった。
会社の周りを歩く。オフィスビルの隅の芝生はもう枯れかかっている。入社日、青々とした芝生を横目にこのビルに入って行ったのを今でも覚えている。あの時は緊張でほとんど眠れず、フラフラとした足取りで歩いていて、自動ドアにぶつかった。今では仕事の疲れからフラフラとした足取りになっていて、まだ時々自動ドアにぶつかる。
それでも僕は前に進んで行かなければならない。嫌な事しかないし、何のために生きているかもよく分からない。空も見られない仕事にどんな意味を感じればいいのだろうか?けど、進まないまま暗い部屋で死ぬのは何だか違う気がする。
僕はこれからも自動ドアにぶつかるだろう。たんこぶをいくつも作るだろう。それでも会社に行くし、その事をやめる事はない。別に転職しないとかそういう話ではなく。
「働くかあ。」
僕は誰に聞かせるわけでもなくそう呟くと、ビルに戻る事にした。自動ドアにはぶつからなかったが、何もないところで転けてしまった。