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[ひとことお題]#7 苦手

にが‐て【苦手】
①爪がにがく、手に毒のあるという手。その手でさわると癪や腹痛などが治るという。
②勝ち目のない相手。いやな相手。また、気性などが合わないで互いに忌みきらう相手。
③不得手。不得意。
                                                          広辞苑より

私はよく【苦手】という表現を使う。
それは【嫌い】という表現が苦手だからだ。

いつからか嫌いという表現をあまり使わなくなった。
そのきっかけは食べ物の好き嫌いが少なくなってきたことにあると思う。

昔はピーマンが嫌いでグリンピースが嫌いでレバーが嫌いだった。
今ではそれらは食べようと思えば食べられる。
今でも単体では多少抵抗があるのだが、「なにかと一緒に食べれば美味しい」ということに気付いたときからそれらは苦手な食べ物に変わった。
一度食べてみてダメでも工夫すれば問題なくなるかもしれないと分かってから、とりあえず食べてみようと思うことが増えた。
食べてみてから、どうやったら美味しく食べられるのか試してみようって思うようになったのだ。
そうやって試したなかで普通に食べられるようになったものもある。ピーマンは今ではナムルにして単体でばくばく食べる。美味しい。

なんで苦手かって、それらを美味しいと感じることはわかるけど、私は常にはそうじゃない。食えと言われれば食べられるけど、選択が出来るなら私はそれを好んで食べない、と思うからだ。

私には【嫌い】のニュアンスに強い拒絶が含まれている気がして、なんだか言葉としての力が強いからあまり使いたくない。
【苦手】には、'not for me(私には合っていない)'という意味合いがある気がしてよく使うようになった。
自分なりに良さを知った上で自分好みではないなという感じだ。

だから、美味しさがわからないものは今でも嫌いである。
どう頑張っても美味しさが私にはわからないものがある。
でも、理解してみたい気持ちはあるから私が嫌いなものを美味しく思う人がどんな理由で好んで食べているのかはとても気になる。

***

【嫌い】という表現を使わなくなった理由は他にもある。
自分が好きなものを嫌いと言われるとなんだか少し悲しい気持ちになるからだ。
なぜだか「それが好きな私」も含めて嫌いと言われている気がしてしまうのだ。
言っている本人はそんなつもりはないのだろうけど、それを含めた全部を拒絶されているように感じてしまうのだと思う。

***

ちょっとかじっただけで全面的に拒絶するのはもったいないことだなと思っていて。
漠然と嫌いなものってそれをちゃんと知らないだけなんじゃないかなと思っていて。
私は嫌いなら嫌いなりに理由を知っていたいし、知るうちに好きな部分がでてきてくれればいいなと思う。
好きまでいかなくても知ることで受け入れられることもきっとあるなと思っている。

知りもしないものに好き嫌いを言っていいと思わなくて。
私は知らないものには好きも嫌いも苦手も言わない。知らないものは「知らないもの」でしかなくて判断がつかないから。

身の回りのものは、いいところがあってそれが好きな部分もあるけど大部分はいまいちみたいな、苦手なものが多いのだと思う。
いいところもあるということは、それは誰かには合うものなんだろうなと予想も簡単なわけで、やっぱり'not for me'でしかないなと思う。

あと、わざわざ嫌いなものに「嫌い」と言うくらいなら
好きなものに「好き」と言っていたい。
嫌いなものについて考えている時間があるなら好きなもののこと考えていたほうが幸せだもん。
苦手なものが多くたって付き合い方がわかれば大抵は問題ないし、きっぱり好き嫌いで分けてしまうより曖昧なものが多いほうが楽な気がする。

*****

あとから読み返していて思ったけど、「調べてみた上の嫌い」と「漠然としたままの嫌い」の区別ってどうしたらわかるんだろうな。
やっぱり嫌いな理由を聞いてみるしかないんだろうか。

思えば私は嫌いと言うときは大抵「○○だから嫌い」と理由をつけて伝えている気がする。

結局伝え方次第、なんだろうな。

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