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風になりたい


今日は「沖縄慰霊の日」。

本土よりの修学旅行の少年が平和の礎(いしじ)仰ぎ「ああ僕も戦死したい」

2018/06讀賣新聞・四季

まだ「僕」と言っているのならあどけない少年なんでしょうか? 毎日が彼にとっては「戦争」なんでしょうか? 誰かに命を絶ち切ってもらいたいと思うくらい辛い出来事が続いているのか……「この平和ボケが!」と一喝するのは簡単だけれど、それだけではいけないような、何もならないのでは…と思ってしまう私はダメ人間なのか。

以下、長谷川さんの言葉です。

あの夏、住民たちが追い詰められた沖縄南端の摩文仁。平和の礎には二十四万人の名前が刻まれている。不謹慎な少年を咎めることもないかもしれない。海のそよ風のように微笑んでいればいい。これも平和の光景。


今朝、夢の中で「あなたは風のような人ね」という言葉が……私に向けられたのではなく、キメツの風柱でもなく(笑)誰か他の人が書かれたものに対しての感想のようでした。

細い糸     トーマ・ヒロコ

糸が切れないように
乱暴な風が吹きそうになったら
手で風をさえぎる
さえぎるのが遅くて
風が糸を切ったなら
そっと糸を結ぶだけ
結び目が目立たなくなるまで
じっと見守るだけ

トーマ・ヒロコさんは『通勤電車でよむ詩集』で知りました。

ひとつでいい   トーマ・ヒロコ

挨拶はひとつだけでいい
おはようも
ありがとうも
さようならも
おやすみも
もう要らない

朝一番の学校で
「お疲れ」と声をかけてきた同級生
起きるだけで
ご飯を食べるだけで
消耗するエネルギー
バスに揺られて化粧して
何度か停車をくり返し
やがて見えてくる校舎
バスを降りた瞬間
家に帰りたくなる

初デートの帰り道
家まで送ってくれた彼氏の「お疲れ」
スカート、目力(めぢから)主張、鈴のような笑い声
慣れないことから
もうすぐ解放される
しかしまだ油断はできない
彼の車が左折するまで
笑顔で見送らなくてはならない
左折すれば
彼もホッとため息つくだろう

家でごろごろするだけの休日でも
夕方になれば
肩が凝り
脚がむくんで
目がしょぼしょぼする

おはようも
ありがとうも
ごめんなさいも
さようならも
おやすみも
もう要らない
この世を生き抜くためには
挨拶はひとつでいい
「お疲れ」だけで事足りる

疲れていない人にも「おつかれさま」の挨拶は…ねぇ?と考える人もいるでしょうが、 自分を、相手をねぎらうやさしい言葉のなにが悪いんじゃ!と思っています。