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64.ローマ4:2-3 主の御前で誇りたい?

2,もしアブラハムが行いによって義と認められたのであれば、彼は誇ることができます。しかし、神の御前ではそうではありません。
3,聖書は何と言っていますか。
「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」
とあります。

ローマ人への手紙4章2−3節;

 アブラハムの生涯の物語の中で、最もよく知られている「善行」は何でしょうか。息子イサクを全焼のいけにえとして献げたことです。(創世記22章)

 神はその行いを評価して、アブラハムは神に義とされたのでしょうか?

 いいえ、そうではありません。

 パウロは、アブラハムが神を信じた時点で、アブラハムがイサクを献げるまで25年以上経っていたと言いました。神は最初の信仰を義とされたのです。(創世記15:6)

 人は神に対する善行によってではなく、神への信仰によって義とされることは、この父祖の例から明らかなのです。

考えてみましょう:一般に、人は「祖先」を含め「親に称賛される」ために善を行う努力をするよう教育されます。この世はそうした基準が第一でしょうか。あなたはどう思いますか?


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