ココロのフェイク・ニュース
「フェイク」。偽情報。自分が思ってもいないことが、まるで自分発信みたいに言い伝えられたら、たいへん。しかも、それが多くの人にかかわっていって、苦しめる結果になっているとしたら、もっとたいへん。すぐにでもそれを正さなければなりません。
それが、使徒パウロの周辺で起きていたのでした。誰でもキリストを信じることで救われる「福音」として伝えられた神さまの良い知らせ。それが根底からくつがえされて、パウロが最初に指導したガラテヤの諸教会が、宗教規則に縛られる重荷に押しつぶされるような流れにはまってしまった。。。。
それにパウロが、心からの呼びかけをします。大声の叫び声に呼び止められて命が助かったなら、感謝あるのみ、です。
神さまからのニュースが捻じ曲げられる、という事件の話です。それで、今に至るまで、使徒に伝えられた通りの「福音」なのかどうか、確かめる必要があるのです。
ガラテヤ人への手紙 1章 6-7節
私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。
ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるわけではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。
ガラテヤ1章3-5節(下リンク)の続きです。
自分たちを召してくださった方
神は、人に語りかけて招いてくださるお方。
六法全書のような宗教規則集を与えて「これを守ったら私のもとに来てもいい」などと命じるような方ではない!! パウロがガラテヤの諸教会の状況を聞いて思い浮かべたのは、まず、恵みの神さまそのお方のことでした。条件なしにすべての人を招いておられる神。
パウロが心配したのは、ガラテヤの教会の人々が自分から離れていくことなどではありませんでした。違った教えを「福音」と言って伝えられていることに乗せられてしまって、神から離れてしまっている! それに驚いていたのです。
つまり、パウロには、人生にかかわってくださるリアルな神が、はっきりしていたのでした。
キリストの恵み
こういう実績を積め、などという条件なしに、すべての人が招かれる。唯一の条件が、キリストを信じることだけでした。
イエス・キリストが「罪人たち」と呼ばれる人々と一緒に食事をしているのを見て、当時の宗教家たちがけなします。汚らわしい ! 規則を守らない者たちと同類だ ! そんな無法者たちがいるから、天国が出来上がらないのだ、排除してしまえ ! でも、イエス・キリストが「罪人たち」に求めたことは信じることだけでした。それから、「わたしについてきなさい」と招いだのです。
キリストにふさわしいものになったら、わたしもついて行ってみようか、と思っていたら、永遠にその時は来ないかも。ふさわしくない者が招かれているのです。選ばれた弟子たちは、自分こそキリストにふさわしい、なんて、微塵も思っていない人たちです。
そこに、条件付きの「福音」が伝えられてしまったのでした。
キリストの福音
キリストのふくいん。最近は、世間一般には死語のような言葉かもしれません。ものすごく素晴らしいニュース。
たとえば、不治の病が治る薬ができあがった、というような。しかも、それで誰かが救われたという他人事のニュースに終わらない、「私」にかかわること。「不治の病」にかかっていたのが「私」だったのが、新薬が届けられた、というニュース。これは嬉しい知らせで、一刻も早くそれが手元に届けられるように願う、というもの。。。
キリストの福音は、キリストが私たちの罪のためにご自分を与えてくださり、死人の中からよみがえらされたというニュースで、それによって、今の悪の世から救われる、というもの。手紙の一番最初に書かれていたことです。以下、再掲。
ガラテヤ人への手紙 1章 1-5節
人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ、 ならびにわたしと共にいる兄弟たち一同から、ガラテヤの諸教会へ。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
キリストは、今の悪の時代から私たちを救い出すために、私たちの罪のためにご自分を与えてくださいました。私たちの父である神のみこころにしたがったのです。
この神に、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。
その福音を、違う教えにしてしまっている人たちがいる、ということだったのです。
フェイク・ニュースが飛び交ってしまうと、何が本物なのか、わからなくなってしまいます。聖書の教えも、その危険に直面してしまっていたのです。
ということで、そういう事件が起きたことを伝えているパウロの手紙。まだまだ続きます。