愛は自由にする
愛は、縛るイメージがあるのですが、本当は人を自由にするのが愛なのかも、と、考えさせられます。
パウロが書いたガラテヤ人への手紙は、自由の憲章と呼ばれる一句を含みます。
キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。(ガラテヤ人への手紙5章1節)
自由の中に生きることができることと、自分勝手に生きることとは違うはず。昔は、その違いが分からなくて、うちを飛び出したんでしたが。。。
縛られることは、つらいことです。でも、縛られないと自分勝手にばかり行動する「自分」がいるために、お互いに傷つけることから逃れられない。
それに決着をつけてくれたのが、キリストだ、とパウロは言います。
パウロの経験が最初に語られるのは、理屈ではなくて現実のできごととしての神の愛が自由を得させてくれたことを例証するためだったのでしょう。
兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。(ガラテヤ人への手紙1章11節)
今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。(ガラテヤ人への手紙2章20節)
そして、ガラテヤ人たちが、愛の現実を捨て去って、自分を縛り付けるモノに戻ってしまった事に対して、パウロは声を大にして警告をしたのでした。