私を豊かにしてくれたあなたへ
ヨーグルと映画「君たちはどう生きるか」を観に行った。
ヨーグルには感謝していることがたくさんある。
まず一番は、私に小説を書くことを教えてくれたこと。
小説だけじゃない。書くことを好きにさせてくれたことで、私は自分の気持ちや考えを文章にすることを覚えた。
書くことは私の強い味方となり、それは私を豊かにしてくれた。
もう一つは、私に出版業界という未知の世界を見せてくれたこと。
狭い世界に閉じこもりがちになっていた私を「こっちにおいで」と手をひき、様々なところに連れて行ってくれたことは私に大きな刺激を与えた。
そして「いつか私もこの世界にいくんだ」という夢を与えた。
その夢は私を豊かにしてくれた。
そして私に「私は小説が書ける」という自信をくれたこと。
子供の頃、弟と常に比較されてきた私は自分は何もできない人間だとずっと思っていた。
何か始めようと思っても「どうせ私には無理」と考えてしまうし、受験も就職も「私のやりたいこと」ではなく「私にもできること」を探し続けた。
「小説書いてみようかな」と言った私に、彼は自分の使わなくなったパソコンを与え、その使い方を教え「書いてごらん」と言ってくれた。
そして、いろんなアドバイスをくれた。
彼が最初に私に教えたことは「副詞と動詞はできるだけ離さず書きなさい」である。
いかに私がめちゃくちゃな文章を書いていたかわかる(笑)
初めて彼が私の小説を褒めてくれた時のことは、今でもよく覚えている。
書き始めて一年ぐらい経ったころだったか。
「よく書けたね。これ、どこかに出してごらん。いい線いくと思う」
彼の言葉通り、初めて投稿した私の小説は小さな地方文学賞に入選した。
生まれて初めて、私は「表彰状」というものを手にした。
賞なんてものに縁のなかった私にはそれはそれは輝かしかった。
私は小説が書けるーーその自信は私を豊かにしてくれた。
最後に私に映画の楽しみを教えてくれたことを書いておきたい。
彼と出会って間もない頃「風の谷のナウシカ」の話になった。
ストーリーについてはもう有名すぎるので省くが、私はこの映画が好きだ。
小学生の時に鑑賞したのだが、今までのアニメでも全く見たことがなかった世界観に驚いたこと、苛酷な世界でのナウシカの強さと優しさに魅かれたこと、感動的なラストに心が震えたこと。
そんなことを話したと思う。
でも彼の反応から、彼はあまりこの映画が好きではない気がした。
そう指摘すると「そういうわけじゃないよ」と彼は否定する。
好きとか嫌いとかそういうことではなく、ちょっと悩むらしいのだ。
「何を悩むの?」
「だって、僕らの立ち位置はむしろクシャナだろ?」
子供の頃から親しんできた映画を、いきなり裏返されて別のものを見せられたような驚きだった。
クシャナは、ナウシカの住む風の谷を侵略しにきたトルメキア国の皇女、冷徹な女性として描かれている。実際、子供のころの私の中でクシャナはしっかり悪役だった。
でも、クシャナは悪じゃない。
「腐海を焼き払う」というのは、人々が安心して暮らせる世界を作るという彼女の正義だし、だいたい私たちの自然に対する姿勢はナウシカではなくクシャナであったことを、お恥ずかしながら今になって気がついた。
同時に、だから「もののけ姫」のエボシはあんな風に描かれていたのだとも気がつく。
エボシもクシャナと同様、自然を支配しようとする立場だが、クシャナとちがって冷徹なイメージはなく、強く賢く頼もしく多くの人々に慕われている。
クシャナも本来はあんなふうに描かれるべき存在だったのだと思う。
「あのテーマは難しい。突き詰めて書いていけば、最後は人間の存在を否定することになりかねない。人間という存在が悪になる」
ヨーグルのこの言葉以降、私の映画鑑賞は変わった気がする。
そして映画がますます面白くなった。そして好きになった。
それは、本当に私を豊かにしてくれた。
ところで「君たちはどう生きるか」だが、ヨーグルが「世界に腹を立てていた少年が、その世界と仲直りする話だね」と言っていたのが印象的だった。
うん、そうね。宮崎監督の描く「世界」はすごかったね。
珍しくヨーグルは映画について、いろんな感想を話してくれた。
とても興味深くて、やはり彼と映画を観るのは楽しい。
ふむふむと聞いていたら、突然、彼がぱっと手で口を押さえて困ったような顔をした。
「どうしたの?」
「いや。語ってしまって恥ずかしい」
思わず「何、それ~」と大笑いしてしまった。
「恥ずかしいんだよ。映画の考察をこんなふうにベラベラ話すなんて」
んー?恥ずかしいかな?
つまり「君たちはどう生きるか」は、あの無口なヨーグルでさえ饒舌に語りたくなってしまうほどの名作でした。